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異国の“双子”の姉妹 7 Somos hermanas gemelas(全8話)
ネット検索でヒットしたのは、マドリードにある演劇学校のホームページだった。その中の先生紹介のページに数名の先生たちと共に、アナの写真と経歴が載っていたのだ。
ということは、アナはロンドンで私に語っていた夢を実現したことになる。
少し落ち着いた時、翻訳機能が使えることに気づいた。翻訳された画面をじっくり読んでいて不思議に感じることがあった。
他のどの先生も、生年月日や生まれ故郷、卒業した大学名などは一切書いていないのに、アナだけが書いているのだ。先生の紹介にそれらの情報は不要と言えば不要なのに。
もしかしたら、私がいつかこのページに辿り着いてアナを見つけ出すことができるよう、その為にアナは敢えて書いたのではないだろうか、私にはそう思えた。もちろん想像に過ぎないけれど。
手紙を送ってからすでに一ヶ月半が過ぎてしまった。相変わらず音沙汰無し。
しかし、私の発案で、夏休みに家族で旅行しようということになった。大学へ進学した息子たち、特に長男はもうすぐ就活が始まるかもしれないし、就職すれば、家族旅行もそう易々とは出来なくなる。これがラストチャンスかも知れない。
そんな理由も一方では有ったが、正直なところ、私はもう居ても立っても居られない気分だったのだ。つまり、行く先は一も二もなくスペイン。この足で訪ねて、アナを探し出したい。
かなり唐突な提案だったが、私の気持ちは家族にも伝わったし、スペインと言えば、イギリスと並ぶサッカーの聖地。サッカー好きの息子たちも行こうと乗り気、全員一致で一気にスペイン行きが決まった。
すぐに計画に取り掛かかり、マドリード・バルセロナ8日間の旅に決定した。出発は8月30日、夏休み最終盤だ。
マドリードでは、アナが勤めているであろう例の演劇学校に比較的近いホテルを予約した。出発の日までアナから連絡が来なくても、一か八か、私はその学校に行ってみるつもりだ。家族も賛成してくれている。
どうにかして会いたい。
すがる思いだった。
出発日が近づいたある日、お昼を過ぎた頃だったと思う。私のiPadに一通のメールが届いた。
アナからだった。
目の奥が熱くなり、手が震えた。涙で文字が読めない。血圧も心拍数も、とんでもない数値になっていたに違いない。嬉しくて嬉しくて、気が遠くなりそうだ。
つながった。
深呼吸して、落ち着いてメールを読む。
そこには、アナも私を探していたことや、家族のこと、現在の仕事のことなどがびっしりと英文で書かれていた。
最も驚いたのは、息子が2人いると書いてあったこと。その年齢が、なんと、我が家の2人と上も下も同じなのだ。
そうか、そうだったのか!
文通が途切れた頃、私たちはそれぞれ母となり、同じような道を歩み始めていたということを、その時初めて知ったのだった。
直ぐに、スペイン旅行の日程を伝えた。そして何度も連絡を取り合い、我々のマドリード到着の日に、ホテルで落ち合うことを約束した。
8月最終日。マドリード上空に近づくにつれ、風が強まっているのがわかった。恐怖さえ感じるほどの風雨に見舞われてしまったのだ。飛行機は時折激しく揺れる。先ほどから空港上空を旋回しているようだ。
私はただ祈った。
祈るしかなかった。
とてもとても長く感じた。我々を乗せたびしょ濡れの機体は、ぐらぐらと揺れながら、ようやくマドリード・バラハス国際空港に着陸した。
予定時刻はかなり過ぎている。空港から急ぎ電車に乗った。アナにメールすると即座に“大丈夫、待っている”と返信があった。つながっている安堵感が、疲れも緊張も吹き飛ばしてくれる。
この日は、夏休み最後の週末。道路は大渋滞、夜は尚更だ。タクシーには乗らない方が良いという、アナのアドバイス通り、地下鉄を乗り継ぎ、待ち合わせのホテルへ直行した。
早く、一刻も早く。
(最終回へ続く)