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異国の“双子”の姉妹 最終回 Somos hermanas gemelas
すでに21時半を回っていた。
最寄駅からホテルはすぐだ。雨風は嘘のように収まっていたが、道端には木の葉や枝があちこちに散らばっていて、先ほどの嵐の凄まじさを物語っていた。
ロビーに、アナとアナの夫パブロ、そして二人の息子、家族全員が私たちを待ってくれていた。ようやく辿り着いた、奇跡のような瞬間、夢のような夜だ。
ロンドンで初めて出会った日から、26年の歳月が流れていた。懐かしいアナの優しい口調、ちっとも変わってない。
アナは古い私の手紙を今も大切に持っていると言った。
そして、度々家族に私のことを話していたと。
私も同じだった。
また、こうも言った。
私を遠くにいる双子の姉妹のように思っている。
それもまた、私も、同じだった。
ロンドンでわずが数ヶ月一緒に過ごしただけだったのに、心は離れなかったのだ。
実はアナ家族は、マドリード在住ではない。ここから車で6、7時間ほどかかる、北スペインに住んでいる。しかし、昨日今日と、長男の出場する自転車競技大会がマドリードで開催され、その応援に皆で来ていた。
つまり、彼らは、私たちが既に決めていた旅行日程に擦り合わせたわけでなく、今日、マドーリドにいるのだ。しかも、私たちが予約したホテルは、彼らの滞在先である、アナの妹の家から徒歩5分だった。
全てが驚きに満ちていた。
これも、波長なのだろうか。
バルでスペイン料理を楽しみながら、アナが全身の感情を込めて言った。
「世界中のこの一点に、8人がこうして一緒にいるなんて奇跡だ!」と。
本当にその通りだ。アナは心から喜んでくれている。時間よ止まれと叫びたい気持ちだった。
少し街を散策し、ホテルまで、話しながらゆっくり歩く。どんなにゆっくり歩いても、夢の時間は過ぎて行く。
また必ず会おうと約束した。アナは、自分たちの人生で、もう一度だけで良いから会いたいと言った。その語り方は、アナが人生というものをどこか悟っているように聞こえて、私は少し悲しくなった。でも、その言葉を振り払うように、一回と言わず何回でも会おうと私は少し強がって言った。本当は、もう決してバラバラにならないように、いつまでも手を繋いでいたかった。
私はパブロに言った。
Please take care of her,please.
彼女を大事にしてください、お願いします、と。
本当の姉妹のような心持ちで、自然とそんな言葉が出たのだと思う。
“私はアナのそばには居られないから、彼女のことを頼みます”、そんな気持ちで。
別れは勿論辛かったが、私はとても晴々としていた。我々家族のスペイン旅行は大成功、清々しい疲労感と達成感に満ちていた。
しかも、私には新しい目標が出来たのだ。スペイン語の習得である。
英語も中途半端だったキミに、スペイン語なんてできるはずもなかろう、と誰かが笑うかもしれないが、かなり本気だ。
もしかしたら、英語からスペイン語への流れも既にあの時に決まっていたのかな?ロンドンで新しい学校の門をくぐった、あの時に。
パブロは根っからの日本贔屓で、マドリードで会った夜は、トトロのTシャツを着ていたほどだ。その彼が、次は自分たちが日本に行く、その時にもっといろいろな話ができるように、日本語を勉強する!と宣言したのだ。それならば、私はスペイン語に取り組もう。これはライフワークになりそうな予感がする。
帰国後、ちょっと気になっていたことがあったので、夫に尋ねた。別れ際、アナが夫に何か話していた、そのことが知りたかったのだ。夫は彼女の言葉を思い出して復唱した。
「Please take caer of her.」
彼女を大事にしてください。
私は確信する。
Somos hermanas gemelas.
私たちは双子の姉妹だ。
何の悪戯か、運命か、誰にもわからないけれど、おそらく人生が途切れるその瞬間まで、私たちは双子の姉妹でいるだろう。スペインと日本という遠く離れた異国にある、同じ生まれ星の、二つの心の中で。
(終)