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『ラストマイル』所感

この感想は帰りの電車で書いたメモをもとに帰宅後すぐに書いているもので、つまりまだ興奮していて、文章も順序もぐちゃぐちゃだということを念頭において読んでいただけたらと思う。ちなみに監督や作家のメッセージとかインタビューとかあるのか知らないけどそういったものは未読です。

アンナチュラルとMIU404は制覇してから観た。MIUは数年前のお正月に一挙放送していたのを観ていたけれど、アンナチュはこの映画のために観た。おもしろかった。どちらも。
そのうえで言うと説得力がないけれど、単体で観ても問題ないと思う! あーそういう人がね、いるのね、くらいの感じでもいける。ただ両方観たからか、『ラストマイル』は、二つの連ドラで散りばめられていたものが集約されていて、かつ、両作品よりもっと、その辺にいそうな人にスポットを当てたからこそ、ラストマイルの数キロ分さらに社会に突っ込んできたな~とは感じた。
なのでこの感想の中には連ドラの人物もネタバレも全部出て来る。まだ知りたくないという方はここで回れ右。あと敬称も全部略しているのでまとめてお許しいただきたい。

始まりからさまざまな働く人の常が描かれて、事件の進行とあわせて代わる代わるその人たちの物語も進みながら回収されて繋ぎ合わされていく様は三谷幸喜作品みたいだ~と思った。絶妙に絡まなさそうな人がクライマックスに向けて強烈に絡みつく感じにはうおお…と唸った。そして洗濯機でガッツポーズ。
その人たちは皆、ひとりひとり物語があり、われわれは社会の中のひとつの駒である、という前提は野木作品に通ずるものなんだろうな~と思った。三谷作品より生身感の強い人物を設定し、それらをもう少しキャラクター感の強いアンナチュの人物やMIUの人物と絡めることで社会派とサスペンスとミステリーと人間ドラマを全部やってのけてるところ、すげ~~。

二つの連ドラを観ていたから、ちょっとしんどいところがありそうでも、物語の結として絶対に間に合ってほしいところには間に合う、という安心感があって、落ち着いて観られた(単体でも観れるとか言っておいて…と思われるけどこれは観る前の心構えの段階で安心してたってことだから許してほしい)。
あの母娘は、間に合って心の底からよかったと思ったし、あそこで「誕生日だからだよ」って言い返せた娘が、そういう風に育っていてよかった。配達親子もだけれど、関係性をはぐくんでいた母が、守ったんだよ家族を、と思って涙が出た。成川はできなかった、そして九ちゃんとイブキの手を逃れてクズミに耳を貸してしまった。それでも最後に彼も間に合った。よかった。九ちゃん最高だった。そんでシンママ松本も、母(祖母)に育てられる中で強がったり不安を零したりできる関係性がつくられていて、ああ継がれているんんだな~って。すごくよかった。安藤玉恵の表情の演技がうますぎる。

でも間に合わなかった人もいた。重傷者も軽症者も、どちらかといえば間に合わなかった人。筧も。
それでも、世間であんな事件があっても、みんな明日からまた社会の歯車になって働く。学校に行き、園に行き、飯を食って寝る。その当たり前の生活の中には、誰にでも起こりうる不条理があちこちにあって。志摩の「誰と出会うか、出会わないかだ」という台詞、なにがスイッチを押すのか。掛け違えが起こると時に殺意にかわることさえある。それは実際に施行されてしまえば許されないことになるけれど、もしかして、自分にもそうなる分岐ルートがあったかもしれない、そう思わせられたのが、『ラストマイル』のすごいところだった。
ひとりの人間にすごくフォーカスしていって、それでいて社会の問題にかえせるのは、私たちが集まって「社会」だから。
シネコン遠い!田舎!と叫びながら、留守番の子の待つ家への帰路を急ぐわたしの物語でもある。毎日働いて、暮らす。切ない、でもまわる。Wantの業を背負って。

そんな風に突っ込んでくるけれど、野木さんご本人はきっとそこで暮らす人間と、その人たちでまわす社会に対して、まだ諦めてない、というのが根底にあるんじゃないかな~って思った。
アンナチュの白井、MIUの勝俣の現在が描かれてるところ、親から子へ繋いでいく佐野親子、松本親子のあたりはそういうロマンが込められてるなと感じる。亘が一度爆発の恐怖にさらされていながらも、必死で小さな子供を爆発から守ろうとする人間に育てたのはあの父と亡くなった同僚で(もちろんそれだけではない)。育ての親からミコトへ注がれ続けている愛情もそうだよな~と。

野木作品を観てから、それまでそこまで好きでもなかった俳優さんをとても好きになった。井浦新とか、岡田将生とか。すごいよね~みんなのファンになる。それだけ人間の魅力が描かれてる。
それぞれの人間の、今の生き方を描くだけで、過去囲まれていたものの想像をかきたてられて、すごい。ミコトにせよ、伊吹にせよ、そして今回のエレナにせよ孔にせよ、細部までは掘り起こされない。中堂さんと志摩はストーリーのメインorバディの根幹を育てる大事なエッセンスだったので詳しく描かれたけど、ほかの人物はそうでもない。それなのに、あのミコトだからこそ「そんな根性なら、ない方がいい」に重みがあり、あの中堂さんだからこそ「見上げた根性だ」から筧に感情移入する部分もあったんだなってことが伝わってきて、もう、なにも言えない。ううう。
でも生きてるってそういうことでしょってことが、今回の映画では、さらに強かった気がした。みんな自分の置かれてきた環境についていちいち具に語ることはないけど、その積み重ねの上に立って生きているよね、って。

満島ひかりは個人的にとても好きな役者さんで、『悪人』も『川の底からこんにちは』もとても好きだった。彼女のエレナの会社への姿勢、マジックワードを何度も口にする鼓舞、何者かわからないところ、ミスリードが故意なようで天然なようで。まだ何者であるかを決めかねている姿があのミスリードを誘っていて、すごかった。五十嵐のことも知っていてあの景色を見て、ネット張った方がいいよと言える無神経さ。でも、遣わされて、最後は自分でレールに乗ってそして降りた生き様、山崎のメッセージの解釈、いくらでも観た人に考えさせるすごいキャラクターだし満島ひかりだからこそだな~っていうのがね、好きだった。装飾品とか着ているものとかが、あとから考えれば、あ~~アメリカから…ね……の説得力になってるのもすごい。時差の回収も。
女性の生き様の描き方にもすごく幅があって。エレナ、松本、桔梗、ハムちゃん、ミコト、ミコトの母(薬師丸の方)、東海林……。彼女たちがいきいきしている姿はとても元気になれるなって思う。

岡田将生は今回とても好きになった。孔が一番、観ている人が移入しやすいのではないかな~とも思った。もっと底をみてきたから今の状況はましで、でもブルドーザーみたいに働くエレナに憧れも少しあって。なのに彼女の人物像がわからなくなったときに、孔は「知りたい」というWantにかられ自分の持てる技術でもって踏み込んでしまう。とても人間らしいと思う。半沢直樹を観てすげ~って奮い立つけど現実の仕事を振り返って「そんなことは起こらないよ!」って思うような、そんな面が感じられる。でも、もっと底よりましだからって、それでそこそこ充実してるからって、それが良いわけないでしょって思える彼は、いい奴だ。

あと阿部サダヲを、あんなに特徴的な役者を、役者の個性を活かしたままでああいう会社にいそうな没個性の、毎日すり潰されてるおじさんにするの、すごい。悪そうな顔して気の毒なおじさんを演じられるのすごい。褒めてる。

あと刈谷さんが真摯に捜査に取り組む姿が観られたのはよかったし、毛利さんがやれやれって感じで振り回されながら振り回してるのもよかった。向島くんには悪いけど、なかなかいいバディじゃん笑

ビールを飲みながら書いてきたらちょっと酔っぱらってきたので取り留めがなくなってきてしまったけれど、なんとかまとめたい。
MIU404で桔梗が「ただ働いてるだけなのに」と言った台詞がとても印象に残っている。男性社会の中で奮闘してきた彼女の地道さが光る言葉だと思う。そう、みんな「ただ働いているだけなのに」今回もそうだったんだと思う。地道に、真面目に、働いているだけなのに、でもそうだったから、ドカンとなった人がたくさんいた。大なり小なり、現実のわたしたちの近くにもそうなった人、そうなりそうな人はたくさんいて、「あのとき何もしなかった」はきっと誰もに刺さったままになっている小さな棘だなって。だから観終えた今、一日一日を大事に生きなくてはと思うし、それは個人的なところに留まらず、社会の駒のひとつとしてやるべきことをやらなくては、と思わされている。物流の淀んだ部分とともに、そこにだけあるものじゃない、と突き付けられながら明日も働く。あのベルトコンベアーの絶え間ない音のように。その営みの中で「今、少しだけ何かした」があちこちで起これば……そんな祈りのようなものを米津玄師のエンディングテーマと共に流し込まれているような気がする。
もう二十年ほど社会的な活動に関わっているのだけど、自分たちのやっていることは海にインクを垂らすような、常に絶望との闘いだと実感している。それでもインクを垂らすことはやめてはならない。そして、誰もがその人らしく生きられる社会を、白井に、勝俣に、成川に、松本娘に、ゆたちゃんに、繋いでゆけるひとりの大人でありたいなと、思わされる。そんな余白がある作品だった。おもしろかった。

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