59 私の母も一歩間違えたら婚外恋愛していたのか?

  こんな失礼な事言うと
怒られるかな? 親子って似るって言うけど
親が離婚経験者だったら子どもも離婚する確率高くないですか?って話。
 同じように女遊びしたり浮気に走る親に
育てられた子が大人になり不倫したり?
 だから我が子が同じような経験するんじゃなかろうかと心配する時もあるんだよねー。
  親子似るよね、って関連付けて聞いて欲しい話。  
ずっとずっと気になっていた事がある。
 私がまだ幼い時、母の職場での不倫の話。
 『皆んなバレてるけど知らんふりしとるんや』  詳しくは聞けないが、
大人って何でもやってしまうんやな そんな気持ちで聞いてた記憶。
  
  当時、バブル期で物が売れまくっていた。
生産が追いつかず外国人労働者も数ヶ月単位で日本に来て働き技術習得や日本人のヘルプとして働きに来ていた。母は40代前半。
 その外国人労働者がうちの母を慕い
母国の料理を振る舞ってくれたり、
我が家に招いたら手作りの洋服を作ったり
郷土料理を作って食べさせてくれたり
 一緒に観光したりした事もあった。

同じアジア圏の人で既婚者で小さな子どもがいた。
何回かうちに招いて食事会もした。
 私の父にもフレンドリーで
『おとうさん、おとうさん』と呼んで慕っていた。
研修が終わり
 最終日、帰国する際には子どもさんへ、と
日本の玩具やお菓子を母は渡したようだった。 他の人は空港に見送りしたらしいが母は家の事もあるし行かなかった。
でも泣いていた。
『もう飛行機飛んだかな』って。
 母に自分が住む外国へ会いに来てよと言われたけど田舎者だから飛行機に乗れないし
行く暇な時間も無いし、もう会う事も無い
そんな話をしながら泣いていた。 
  
 それから後に手紙のやり取りをしたり
お互いの写真を送ったり贈り物も
届いた時もあった。
 私が結婚する前に久しぶりに
近況を書いて出したが勿論、その国の言葉も分からず和訳できず何と書かれていたか理解できないままの返事。
 今ならスマホですぐに和訳できるのにな。

  今になって思う。
ただの研修生、そのような付き合いだったんだろうが本当の母の気持ちは分からない。
  結婚して同居する義父母、私達子供に旦那がいたりしたら
こっそり会いに行くだなんて出来るわけが無い。もし、母に抑えきれない気持ちがあったとしたら…
  
母の同僚が休みを利用してその研修生の住む外国へ行っていた事があり母は
羨ましがっていた。 自分も会いたかったなぁって…   それから30年以上かー


  私が同じように外国人の留学生と仲良くしていると知って(まさか不倫してるなんて思う訳ない) 
『あんたも外国人の世話を焼いてるんやなー これ食べさせてあげたら?持って帰ってあげなさいよー(自家製の野菜)
懐かしいな、〇〇さんどうしてるかな?
もうあの仕事は辞めたかしら?子どももおっきくなってるだろうね』そう言いながら
 母が外国人研修生と仲良くしていた話を
再び聞いた。  

 『母さん,あの頃〇〇さん好きだった?』
って聞いてみた所で本音は言わないだろうな。

 それから数年後、祖母の緊急入院で
母が毎日毎日寝泊まりで付き添い。良くなったら
仕事終わりに病院へ行って、半日休んで病院へ行って…   数ヶ月間病院通いが続いていた。
 私も見舞いに何度か行く。
 その時、祖母が思いがけない事を私に言ったのだ。
『おばあちゃんを担当してくれてる沖縄出身の〇〇先生が、あんたのお母さんを気に入って沖縄へ連れて帰りたいって言ってる』
 祖母は認知症があった訳じゃない。
頭はしっかりしていた。 
 
 どう考えても医者の嫁になれるような
見た目をしてない母。学力も無い、医者には不釣り合いすぎる女性だった。
  絶対そんな話ある訳ない!
『お母さんには言うなよ』そう言った。
それから後にも病院にお見舞いに行くと
その話をだしてきて
『家族を置いて、おばあちゃんをほったらかしてあの先生と一緒になれるわけないよなぁ
 あんたのお母さんをえらい気に入って
えーな、えーな 言うとる』
 祖母の付き添い中に先生と母はどんな事があったか?
どんな話をしたか分からない。
 長期入院した退院後は受診も続く。
それも母が全て行っていた。 
 ある日、全く病院に行かなくなった母。
昔は本人が行かなくても薬を処方されていた。 いつも母が薬を貰いに行くのに
私に取りに行って欲しいと言うようになり
何回か病院へ行った。
その先生とも何回か話をした。
  優しいおじさん ただただそんなイメージ。医者って言うカタブツな感じは,全くなかった。  この先生が本当に母の事を気に入ってるのか?  勇気を出して
祖母が先生は沖縄出身だと言っていた事を話すと、 そうだよと答えた。
 お母さんは元気か?
 母の話も聞かれた。 待てよ,やっぱり
祖母の話は作り話じゃなく実話じゃないか?と思った。 妙に気持ち悪かった。

全く病院に行かなくなった母。
薬は私が代わりにもらいに行く、そうやってしばらくたった日、その先生は
本当に沖縄へ帰ってしまっていた。
祖母の担当医が代わっていた。 
 
 それから年月がたち、
母に祖母の話をすると
泣きながら 当時は必死だった事を話す。
仕事しながら祖母の病院通いをした自分は
若かったから一生懸命だった、って。
 『あの〇〇先生、よく診てくれて
とても良い先生だった』そう付け加えられて
話す。  

 好きだったのかな?
好きでも家族を置いてまで行けなかったよね?
 来世はその先生と早く出会って医者の嫁になってください。 笑
 あの話、、、
もう亡くなってしまったけど祖母に
根掘り葉掘り聞いてみたかったな。

 そうやって母のことを振り返ってみると
結婚しても何となく横道にそれそうな出会いもあったんだなって。
 もしかしたら 色んな我慢や自分の気持ちを押し殺して私らに隠れて泣いていたかもしれない。
 親子似たような経験をして来たのかもしれないなー って。
 そんなしっかりしていた母も少し物忘れが出てきている。
 昔々のこの祖母の長期入院の話や母の職場に来ていた外国人研修生の話をすると泣き出す母。涙もろくなって来たのは認知症が出て来たから?
 色々あった昔をただただ懐かしみ
そんな事もあったね、そうやって振り返っているのだろうか?
   
 私も年老いた時にそうやって
涙を流して、あんな事やこんな事を
振り返るんだろうな。 
    きっと親子似てるから…

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