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流れ星なんていらない
あけましておめでとうございます。
2025年もみなさんが健やかに生活を送られることを願っています。
みなさんは、初詣など行かれましたか?何をお願いしましたか?今年の抱負はなんですか?
僕はと言いますと、
初詣には絶対に行きません!!!
今回はそういう話です。
経緯
合格祈願
昔は普通のこととして初詣に連れられていた。僕が違和感を初めて覚えたのは、大学受験直前の年明けだ。共通テストまで2週間もなくなっている。僕の精神はピリつき、神にもすがりたい気分だった。
ルーティンにしていたランニングに出かけた。僕のランニング圏内に、いくつか小さい神社がある。何を祀っているかは知らないが。僕はそこを巡って合格できるように祈った。
このとき、ふと僕は申し訳なくなった。
普段から別に信神深い行いをしているわけではないのに、こういう自分の都合のいいときだけ神に祈っても、神様が(いたとして)良い思いをしないんじゃないかと思ったのだ。
敬虔な3ヶ月
神のおかげか、僕は大学に合格できた。引っ越して一人暮らしが始まったのち、僕は改心した。祈るなら、日頃からちゃんと神を意識しようと思ったのだ。
僕は毎週土曜日、家のいちばん近い神社に行って、お祈りをした。家族が、健康に生活を送れるよう。大切な人が、幸せに生きていけるように・・・
ちなみに〇〇教では、土曜日は何々とされている。
このような敬虔な生活を3ヶ月くらい続けた。3ヶ月も続けると習慣化されてきているかと思いきや、正直めんどくさくなっていた。
遊びに行きたい気持ちに負けて、神社に行かない日も出てきちゃいました。
もうひとつは、僕が祈りを捧げる際、自分のことは一切お願いしなかった。僕は敬虔な自己責任論信者(自分のことについては殊更に)なので、自分の健康とか成功は、自分自身の取り組みがすべて左右すると思っていたからだ。
神を、僕は信じていなかった。自分がどうなるかは全て自分次第だと思っている。
じゃあ、僕は何に祈っているのだろう?
と思った。居りもしない神に祈っているのって不自然じゃないか?「もし全知全能の神がいるのなら、戦争がこんなに絶えない世界をどうにかしてないのおかしい」って誰かが言ってたのを極めつけに、萌芽した疑問を解消することはできなかった。
神を信じない僕にとって、祈ると想うは、同じ動作だった。だったら神社でやらなくてもいいんじゃないか?動作が同じなら場所は問われないだろう。
という感じで、神社に行くのが面倒な言い訳を考えて行かなくなった。
神を信じていない。信じていないものにお願いはしない。=自分のことは自分次第。
他の誰かが元気でいてほしい、みたいなことを想うのは、どこでだってできる。
という理由で僕は初詣を含めたお参りに行かなくなった。
テーマソングにしたい曲に出会った
ていう、ちょっと尖った考えをしていたのだが、最近は少し考えが変わっている。浦島坂田船というグループの「流れ星なんていらない」という曲を聞いたからだ。
流れ星なんていらない
この歌は一言で言ってしまえば、幼い頃からずっといっしょにいる人が夢に向かって旅立つときに、エールを送るような歌だ。
特に響いたのがこの部分。サビの後半部分だ。
流れ星なんていらないのさ
僕らが過ごした時間が輝いて
君の夜を照らすから
いい・・・一緒に過ごした時間が、淋しい夜に支えになることをレトリックで表現している。
神様には祈らないのさ
僕らが過ごした日々は消えないで
君の背中を押すから
神様に祈らないのは、神を信じていないからではなく、君と過ごした時間があるから。その時間が、神の替わりに心の拠り所となり、自分の力になる。
こっちの方がよっぽど平和で温かい。「神なんて信じてないくせに祈るなんて、意味わかんねえ!」と尖っていた僕をこの歌は「神には祈らないよ。だってみんなと過ごした時間が、その思い出が、何よりもの力になってくれるから。」と優しく包みこんでくれた。
今までの僕が尖っていたのはきっと、孤独に悶えていたからだろう。だから、自分がどうすれば諸々の苦しい環境から抜けられるだろうと考えていた。でも、今、僕がこの歌に共感できるのは、大学生活で人と幸せな時間を過ごしたからだろう。野生で自身の飯を確保しなければいけない野良猫は、爪を研ぎ、攻撃的になるが、人に懐いた家猫になると喉を鳴らし、毛づくろいをするようになる。
大学生活で、自分に合う人たちに出会えてよかった。無邪気に楽しめた時間が今、僕の支えになっている。最初は「初詣には絶対に行きません!」なんて言ったけど、別に絶対に行かないわけではない。気のおけない人と行く初詣はきっと楽しいし、日本の街には寺社仏閣が残っていてほしいと思う。
ようやく、普通の感覚で物事を考えられるようになってきた。僕の大学4年間は、普遍性獲得の物語だったんだ。
結局、大学4年間で初詣には1度も言っていない。
それでも、これからは、僕がお祈りをしないのは、神を信じていないからじゃなくて、神に祈らなくてもいいくらい充分幸せだからだと言うようにしよう。
それでは、また次回。