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第450回「鬼滅の刃」は、正義の話なのかを語ってみた


前回「泣いた赤鬼」の話を持ち出した繋がりで「鬼滅の刃」の話をしようと思うのですが、一般的にこの作品は、正義が悪を倒す作品の様に考えられていると思うのですが、自分はその考えには、やや否定的に感じています。

「鬼滅の刃が、正義が悪を倒す話でないのなら、一体何の話というのだ?」と言われれば「人間が、鬼を倒す話」なのです。

「それ、正義が悪を倒すのと何が違うのだ?結局、同じ事じゃないか!!」と思われるかも知れませんが、自分は違うと思っています。

鬼殺隊とは文字通り、鬼を殺す為の組織であって、別に悪を倒す為の正義の組織ではないのです。だから人間が行う悪事には一切の関与をしないですし相手が鬼であれば、善悪の概念に関係なく、相手を殺すのです。

「鬼殺隊は、鬼になった者でも、悪でなければ殺していない。お前は作品をきちんと見ていないだろ!!」とお怒りを受けてしまいそうですが、それはあくまでも鬼舞辻無惨を倒すという目的の上で、利害が一致する相手だからであり、決して善悪の基準で、その判断をしている訳ではありません。

自分ももちろん、鬼殺隊の多くの人達が、善人であるとは思っています。
しかしそれはあくまでも、個々の人間性の話であり、鬼殺隊自体が必ずしも善の概念の上に成り立っている、正義の組織という訳ではないのです。

「鬼殺隊が正義の組織でない事に、拘る必要があるのか?」と言われれば、自分はとても大切な事だと思っています。

というのも、鬼滅の刃は作中で、鬼殺隊の非人道的ともいえる様な描写が、幾つも描かれているからです。
鬼殺隊はあくまでも、鬼を殺す為の組織であり、その為には手段を択ばない、いわば正義である事を放棄した組織なのだと、自分は考えています。
だから鬼を倒すという目的の為に、決して正しくはない手段を用いる事も、時にはあるのです。

自分がなぜそこまで、鬼殺隊が正義の組織ではない事に拘るのかというと、鬼殺隊を正義の組織と考えてしまうと「人間は、悪を倒す正義の為ならば、何をしてもいいのだ」と作品を見ている人に、大きな勘違いをさせてしまう危険性がある様に感じているからです。

人間は決して、正義の為ならば、何をしてもいい訳ではありません。

しかし鬼殺隊は、正義の組織ではないので、人間の悪事には、関与をしないですし、鬼を殺すという目的の為ならば、その手段を択ばないのです。

とはいえ鬼殺隊は悪の組織という訳ではありませんし、人間を守る為に行動をしているので、人間の味方である事に、変わりはないと思います。

ただそれと正義を混同する事は、自分は危険な事だと思っているのです。

大切な事なので、もう一度言うのですが、
人間は、正義の為ならば、何をしてもいい訳では、決してないのです。


※勘違いをしないで欲しいのですが、自分はこの作品自体は大好きです。

劇場版三部作も、とても楽しみにしています。

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