第212回、T刑事の奇妙な取り調べ事件簿
ここに一人の刑事がいる。彼の名は取り調べ刑事 (デカ)。通称、T刑事だ。
もちろん本名ではなく通り名なのだが、そう呼ばれる程、彼の元には幾つも奇妙な事件の容疑者が、取り調べ人としてやって来る。
今日もまたT刑事の元に、奇妙な事件の容疑者が送られて来た。
ここ数カ月、T刑事の住む街では奇妙なひき逃げ事故が多数発生していた。
通称、偽幼女(ぎようじょ)ひき逃げ事故と呼ばれる物だ。
偽幼女という聞きなれない言葉に、いささか奇妙な違和感を抱かれるかも
しれないが、その言葉にはれっきとした訳がある。
車にひかれた幼女達が全て、幼女の姿をした人形だったからだ。
見た目には、5、6歳の幼女にそっくりな身長、体形をした、リアルな人形でご丁寧に年齢相応の女児の服まで着せてある。
その人形をひいたドライバー達は全員、本当に幼女を引いてしまったのかと思い焦るのだが、それが人形だとわかると安心して、ひいた人形を放置してその場から立ち去ってしまった。
なぜそんな事がわかるのかと言うと、その人形には記録カメラが仕込まれていて、人形をひいた運転手の様子が、一部始終記録をされていたからだ。
もちろん人形をひいたドライバー達は全て、任意同行で事情聴取をした。
だが本物の人間ではない、人形をひいただけの彼らを罪に問う事はできなく投棄物破損事故として処理をされる事になる。
この奇妙な事故は、もちろんマスコミにも取り上げられた。様々な見識者がテレビに出ては、犯人の推測を好き勝手に言い合っていたが、実際に死人が出ている訳ではない状態に、マスコミも視聴者も次第に興味を失い、愉快犯による悪戯だろうという事で片づけて、どこも取り扱わなくなっていった。
一連の事故を仕掛けた人物は、手口から同一犯と思われるが、それにしてもなぜこんな手の込んだ事をしたのか、幼女が車にひかれる映像を見て楽しむ余程のサイコパスなのか、今その犯人と思われる容疑者が取り調べ人としてT刑事の前に座っていた。
容疑者は40代半ばの男で、見た目は優しそうなとてもそんな事をするような人物には見えなかったが、奇妙な事件を起こす犯人とは、得てしてそういう物なのだ。T刑事はこれまでの経験から、この人物が一連の事故を仕掛けた犯人である事を直感していた。
T刑事「この事故を仕掛けたのは、お前なんだな」
そう問いただすと、容疑者は否定する事なくうなずいた。
容疑者「刑事さんもマスコミと一緒で、自分が愉快犯かなにかだと思っているんでしょうね。でも違いますよ。これは、自分の言葉に耳を傾けなかった社会への警告、正義の警鐘なんだ」
T刑事「これが正義の警鐘だと?お前の仕掛けた人形のおかげで、一体何人のドライバーが肝を冷やしたと思っているんだ。人形だからよかった物の、もしあれが本当の人間だったら、彼らは幼女をひいていた事になるんだぞ」
容疑者「もしあれが本当の人間だったらですか‥そうですね。人形をひいただけの彼らは、何の罪にも問われない。しかし起こした行為自体は、本当の人身事故と、何も変わらないんですよ」
T刑事「こんな事をしでかして、お前は一体何が言いたいんだ。
お前の事は調べたよ。お前にはかつて5歳になる娘がいたんだな。
その娘を交通事故で亡くした事も知っている。さぞ娘をひいたドライバーを憎んでいる事だろう。だがその犯人も捕まり、今は刑に服している。
お前は別にその時の犯人を捜す為に、こんな事をしている訳ではない。
ではなぜ誰よりも事故を憎んでいるはずのお前が、わざわざ同じ事故をひき起こすような事を、自らしているんだ?
人身事故を起こすようなドライバーへの、報復をしているつもりなのか?」
容疑者「報復なんて、そんなつもりはありませんよ。何度もいう様にこれは警告なんです。自分の用意した人形はいずれも、周囲のどこにも信号がなくかつ人形を視認しずらい場所を選んで置いています。むしろいつ事故が起きてもおかしくない、ドライバーには何の落ち度もないような場所にです」
T刑事「だったら、これでドライバーを責める事なんて出来はしないぞ」
容疑者「自分はドライバーを責めるつもりなんて、最初からありませんよ。
娘をひいたドライバーは、わき見運転をしていた過失があるので、もちろん許せません。しかしドライバーに過失がなくても、事故は起こるんです。
娘と同じような事が起こり得る場所が、この日本にはごまんとあるのです。
しかしその危険性をどんなに訴えても、その言葉に耳を傾けてはくれる人は誰もいなかった。起きてもいない事故の危険性を訴えられても、実際に事故が起きてから言いに来てくださいと、誰もまともに聞こうとはしない。
だから自分は、実際に事故を起こし、その危険性を実証して見せたんです。
刑事さん、あんたはさっき、あれが本当の人間だったらと言いましたよね。あれがもしも本当の人間だったなら、本来なら取り返しのつかない命が失われていた事になるんです。それなのに、実際に人の命が失われない事には、誰もその問題に耳を傾けようとはしない。
人はよく、自殺をする人達に対して、死ぬくらいなら、死ぬ前に自分の口で社会に訴える事ができたのではないかと言います。でも死なずに訴える事をきちんと聞いてくれる人が、この社会のどこにいるんですか?
実際に人が死ななければ、誰も興味を示そうともしない。実際に人が死んで初めて世間は、その問題に注目して社会問題として扱い大騒ぎをするんだ。
こんな社会の状態で、死なずに訴えろとよく言えますね。
自分は命まではかける事はないと思い、代わりに人形を使ってその危険性を訴えたつもりです。しかし命のない人形ではやはりダメなんだ。この国は、人の命が失われないと、やはり誰も真剣には受け止めようとはしない。
だから、今度は命をかけた訴えをする事にしたんです。
昨日の夜、道路に設置した人形の一体に、爆弾を仕掛けておきました。
その人形を車がひけば、人形が爆発する仕掛けになっています。
もちろん罪のないドライバーを殺すような事はしたくないので、あまり威力のある爆弾は仕掛けてありません。しかしそれでは愉快犯として扱われて、この国の人は誰も耳を傾けてはくれないでしょう。
だからもう一つの仕掛けを施しておきました。その人形が車にひかれて爆発をした際に、自分の体に仕掛けたもう一つの爆弾も一緒に作動して、自分の命が失われる様にしてあります。自分の様な他愛のない命でも、失われれば一時でも社会の関心を示して、訴えに耳を傾けてくれるでしょうからね」
T刑事「きさま、なんて事を。おい、その人形はどこにあるっ!一体どこに仕掛けたんだっ!!」
容疑者「僕は絶対に言いませんよ。これは僕の、命をかけた訴えなんだ。
もう誰も止められはしない。爆弾を仕掛けた人形が車にひかれる前に、その人形を見つけられない限りはね」
T刑事「至急、刑事を総動員して、道路に置かれた不審な人形を探すんだ!
場所は、自動車事故が起こりそうな場所だ。そんな所誰もわからないって?どこでもいい。普段、車を運転していて、ここ信号がなくて危なそうだなと何気なく思っている場所を、片っ端から探すんだ!!」
容疑者「ふふ、やはりこの国は、人の命がかかって始めて動き出すんだ。
せいぜいこれまで、危なそうだと思っても見て見ぬふりをして来た場所を、思い起こして探すがいい。この国にはそんな場所が、どれだけあるかな?」
数時間後、爆弾を仕掛けられた人形は発見されて、爆弾処理班によって無事解体された。爆弾を仕掛けられた場所は、容疑者の娘が交通事故を起こした場所だった。娘の事故は、わき見運転をしていたドライバーによる過失事故として判決をされていたが、例えドライバーに落ち度がなくても、元々いつ事故が起きてもおかしくない場所だったのだ。
容疑者は、娘と同じ悲しい事故が二度と起こらない様にと思い、この事件を起こしたのだろう。
確かにこの容疑者の起こした事は、決して許される物ではない。
しかしT刑事には、死人が出ないと誰も耳を傾けてくれないという容疑者の言葉が、耳の奥に残って消えなかった。
俺達刑事はそうならない為に、それ以上死人が出ない様に、容疑者の言葉に耳を傾けて取り調べをしている。
だがその発端は殆どの場合、人の命が失われて初めて動き出すのも事実だ。
今日もどこかで、自殺や殺人事件が起きている。
俺達はいつになったら、事件が起きる前にかけがえのない命が失われる前に人の苦しみに耳を傾けられる様になるのだろうか。
そんなのは理想論者の戯言なのはわかっている。誰もが皆一生懸命に自分の人生を生きているのだ。誰かに罪がある訳でもない。
家に帰ったら、今日は娘とカミさんの言葉に十分耳を傾ける事としよう。
せめて自分の家では、凄惨な事件が起こらない様にと、願いを込めながら。