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第451回、魔女狩り会見
古今東西、人間は昔から、マジョリティー(大多数)による魔女狩り、魔女狩り裁判を行って来ました。
本人に身の覚えがなくても、被害を訴える者がいれば、〇〇が悪い、そうに違いない、そう決まっていると決めつけて、罵倒を浴びせ、石を投げつけ、火あぶりにして、相手が何も言えなくなるまで攻め続けます。
そうしてまた、次の魔女が現れるのを待つのです。
正義の名の下に、自分の怒りの矛先を向けられる対象を求めて。
時代が進化をした現代でも、それは相変わらず行われ続けています。
痴漢の被害を訴える者がいれば、それが事実であろうとなかろうと、犯人にされた人は、ほぼ確実に犯人に仕立て上げられます。
他に犯人がいるのかも知れなくても、勘違いや、相手を貶める為に意図的に行った虚偽発言なのかも知れなくても、そんな事はどうでもいいのです。
人は真実を知る事よりも、自身の正義を振りかざす、悪の対象が欲しいだけなのですから。
学校でいじめが起きれば、それを阻止できなかった教師、校長が責められ、
会社でセクハラが起きれば、それを阻止できなかった社長が責められ、
自業自得、因果応報、天上天下唯我独尊。
世間がそれを悪だと決めたなら、問答無用で悪なのです。
それによって裁かれる、本物の魔女は確かにいるのでしょう。
しかし疑いだけで裁かれてきた人間も、少なからずいるのだと思います。
本物の魔女を裁く為ならば、多少の犠牲は仕方がないのでしょうか?
それは悪を滅する為に必要な、尊い人柱なのでしょうか?
そうして一通りの、魔女狩り裁判の儀式を終えると、人々は何事もなかった様に、自身の日常に戻ります。
まるでこの世から、魔女が消え去ったかの様な気になって。
この世から、悪が滅んだかの様な気になって。
自分自身が、次の魔女狩り裁判の対象になり得るかも知れない事等は、一時も思う事をなく。
※え?タイトルが魔女狩り会見になっているのは、誤字ではないのかって?
誤字ではありません。