見出し画像

第444回、アニメ「火の鳥黎明編」が描いていた事


前回、火の鳥黎明編の三話まで見て、これが西洋作品なら相手が滅びるまで戦う事になるといい、そうならない人間の行いに称賛していた自分ですが、この作品も結局、どちらかの国が滅びるまで戦い続ける事になりました。

ではこの作品もまた多くの西洋作品が描いている様な、善が悪を滅ぼす勧善懲悪的な概念で描かれた作品だったのかというと、自分はそれは違うのではないかと思っています。

「お前は何いっているの?ヒミコが愚かで悪の元凶だから滅ぼされたのだ。こういうのを、天罰、因果応報というんだ」と考える人がいるならば、自分はその人とは、全く価値観が合わないのだと思います。

物語の中ならいざ知れず、現実の人間同士の争いは、どちらが善でどちらが悪という事はありません。例えそういう要素があったとしても、人の争いは正しいから勝つ訳でも、間違えているから負ける訳でもないのです。
ただ戦力の強い方が勝ち、弱い方が負けるのです。

しかし自分達は人の争いに、善悪の概念を持ち込んで、どちらかが正しくてどちらかは間違えているのだと決めたがります。
そして正しい方が勝つべきなので、負けた方が悪なのだと考えます。

「ヒミコは最初から悪役として描かれていたし、その国が滅んだのだから、やはりヒミコが悪で間違いないだろう」と恐らく多くの人達はそう考えるのではないかと思います。

この作品に、その考えを否定出来る根拠はありません。
結局、どう受け止めるかは、見る人の心にかかっているのかも知れません。

そう思う人にとっては「結局正しい者が勝ち、悪は滅びるのだ。それが世の理であり、世界のあるべき姿なのだ」と思うのかも知れません。

しかし自分はそう考えて、人が滅びるのを正しい事なのだと、これは正義の制裁なのだと思って見られる人がいるのだとしたら、それが正しいか否かに関係なく、自分はそういう人とは、価値観が合わないのだと思います。

自分は戦争否定論者ではないので、人と人が争い合う事を否定する気持ちはありません。しかしそこには、どちらかが善でどちらかが悪等という、勧善懲悪の関係はなく、ただ人と人とが争い合う、悲しい関係があるだけなのだと思っています。

その争いに、善と悪の概念を持ち込むのは人の心であり、無神論者の自分がいうべき事ではないのかも知れませんが、もしこの世界に、人間を超越した神のような存在がいたとしても、その存在は人間達のそんな争いには、一切興味がないのではないかと思います。

何度もいいますが、自分は戦争否定論者ではありません。
自分の信念や愛する者の為に戦い、人と人が争い殺し合う事を、愚かな行為だと罵るつもりはありません。

しかし善悪の概念を持ち出して、多くの人達が死んでいくのを「それが道徳的に正しい事であり、悪の側の人間は滅びるべきなのだ」と考えられる人がいるとしたら、自分はその人とは、価値観が合わないですし、手塚治虫は、多分この作品を、そういう概念で描いている訳ではないのだと、自分自身は考えているのです。

※さるたひこは、作中最も誇り高き人物として描かれていたと思いますが、それでもさるたひこが、善な訳でも、悪な訳でもないのだと思います。

人は人間の事を、とかく善と悪のどちらかの存在に分けたがりますが、誰もが善と悪の両方の要素を持って生きているのであり、人間をそのどちらかに完全に分ける事は出来ないのです。

いいなと思ったら応援しよう!