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第469回、仮想現世


男は人生を終えると、意識が上位次元に転送されて、この世界の全ての事を思い出した。

「おかえりなさいませ、お客様。仮想現世での生活は、いかがでしたか?」


遥未来、人類は肉体という殻を捨て、意識のみの生命体として、三次元より上位次元の世界で、生活をする様になっていた。

肉体から解き放たれた人類に、死という概念はなくなり、物質世界とは切り離された世界で、意識だけが永遠に生き続けているのだ。

人類は、永遠の命を手に入れていたが、肉体を失った人類は、新たな子孫を生み出す事もなくなっていた。

上位次元の世界は、食事を必要とせず空腹に飢える事もない、楽園その物と言える場所だったが、刺激の少ない生活に満足をする事の出来ない人達は、かつての様な実体のある、下位次元での生活を望む様になっていた。

地球は遥昔に寿命を迎えて消滅をし、宇宙その物もまもなく終焉を迎えようとしていたが、人類は科学の英知を集結して、新たな宇宙の創生を試みた。

そしてその宇宙の銀河系の一つに、人類の故郷である地球を模した、生命が生活をするのに適した惑星を作り出し、そこに自分達の意識を転送する為のアバター生命体を生み出したのだ。

そして物理世界での生活を望んだ人間達が、そのアバター生命体へと意識を転送させて、そのアバターが死を迎えるまで、上位次元の記憶を封印して、
寿命の限られた実体のある体での生活を、一時の娯楽として楽しむのだ。


「あなたが仮想現世での生活を体験するのは、今回が初めての事でしたが、私達が用意したアバターの生活は、ご満足をして頂けましたでしょうか?」

上位次元の人間達は、下位次元の物理世界を「仮想現世」と呼んでいた。

「悪くはなかったけれど、アバターの頭脳スペックは、もう少し何とかならなかったものだろうか?
向こうの世界で、社会ステータスを上げるのに、結構苦労をしたのだが」

「ハイスペックなアバターは、需要が高くて、中々手に入りにくいのです。
利用料も決して安くはないですし、あなたの様な初心者は、普通のアバターで体験をして頂いて、仮想現世に慣れてから利用される方がいいのですよ」

「それに仮想現世での生活中に、得々ポイントを貯めていけば、また次回のご利用の際に、様々な特約オプションを付けられますしね」

「ああ仮想現世で、いい事をすると貯まっていくというあれか。転送前に、話を聞いていたんだが、向こうでその事を忘れてしまったんだよな」

「そういう時の為に、向こうの世界にも、説明係がいたはずなのですが‥

それで今回、あなたが望まれていた生殖行為の方は、どうだったのですか? 素敵な体験となりましたか?」

「それなんだが、一度も体験をしなかったんだ。
デジタル技術を用いた疑似体験なら何度もしたんだけれど、向こうの世界で楽しむ物が多すぎて、他の事に夢中になり過ぎてしまったんだよな」

「そうだったのですね。まあ今回お客様が体験された仮想現世は、21世紀の地球を模した物なので、そういうお客様も少なくないんですよ。
それはそれで皆、人生に満足をされて、戻って来られるようですけれどね」

「自分はまたいつか、あの仮想現世を体験しに行く事が出来るだろうか?」

「順番が回ってくれば、いずれまたそのような機会もあると思います。

ただ‥」

男は、言葉を濁らせた。

「仮想現世に住む人間達が、地球環境の維持を出来るのかが、怪しくなっているのです。
観察用のアバターが、円型ドローンに乗って、仮想現世の監視を行い続けているのですが、最近どうも、あまりいい流れになっていない様でして‥」

「ああ、あの銀色の奴か。あれ向こうでは、宇宙人だと思われているぞ」

「そろそろあの宇宙も、運営の終了どきなのかも知れません。今別の宇宙を用意している所なので、そちらの宇宙が完成次第、今の宇宙は閉鎖をしようと思っています」

「宇宙を閉鎖したら、今住んでいる仮想現世の人間達は、どうなるんだ?」

「もちろん皆、こちらの世界に戻って来て頂きます。まあアバター生命体は仮想現世に置いていく事になりますが、新たな宇宙を作る際に、アバターもまた作ればいい事ですし、何の問題もありませんよ」

男はほほ笑みながらそう言った。

「今度宇宙を創る際は、何世紀頃の地球を模倣したらいいと思いますか?
お客様方のアンケートを取っておりますので、ぜひお話をお聞かせ下さい」

それは遥未来、人類が上位次元の世界に住む様になった頃の話である。

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