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いつまでも在り続けてほしい場所
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皆さんはこの写真を見て、懐かしく感じるものがありますか?それとも、見たことのないお菓子もあるでしょうか。
これは「駄菓子」と呼ばれているものです。
駄菓子の起源は、国産の安価な黒砂糖を使用して作られた「雑菓子」。
江戸時代から、雑穀類や水飴を練った雑菓子が、子どもたちの間食に利用され、徐々に「駄菓子」として民衆に受け入れられていったそうです。
皆さんの住んでいる地域に、駄菓子屋は、ありますか?スーパーやショッピングモールの中では見かけるものの、一軒家で営んでいる昔ながらの駄菓子屋は、この数年でさらに見られなくなっていると思います。
この地域には長く愛されてきた駄菓子屋さんがあり、子どもたちはお小遣いを持ってお店にやってきます。
子どもたちから愛されるお店
駄菓子を中心に取り扱っている『野秋商店』入り口に立った瞬間、タイムスリップをしたような気分になります。
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地域の方なら、すぐに教えてもらえる場所にあります。
お店に入ると、2代目女将さんが「いらっしゃーい」とお出迎えしてくれました。奥から顔をのぞかせる初代女将さんも「よう、きたね〜」と可愛い笑顔をこちらに向けてくれます。
店内の雰囲気を見ていくと、人気の商品は一番前にあり、手に取りやすいような高さに調整されていました。店内も、1周ぐるりと回りやすくなっています。
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小さな子たちが言いやすいように動物のマークにしている
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子どもたちがその値段に合わせて選びやすくなっています
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店先にもベンチがあり、買ったものをその場で食べれるようになっています
子どもたちが買い物をする様子を見ていると、何を買うのか決めてきている子もいれば、お互いに何にするのかを相談する子もいて、楽しみ方は人それぞれ。会計が終わると、当たりの付いたお菓子はすぐに開封し、友だちと見せ合いっこしていました。
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「長い棒状のキャンディーは安くて長く食べられる」
「当たりや金券の付いたお菓子種類は大量に買うとどれかが当たる」
「マシュマロはねじってあるものが15円でお得」
当たりでもハズレでも大盛りあがり。当たった場合は、その場で引き換えてもらえます。
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子どもたちも算数ができるようになってくると、店主である女将さんと一緒に計算し、いくら使ってどのくらいお金が残るのかを考えていました。そして、いろいろと味を試したり、価格の分析をして、次の買い物に役立てていきます。駄菓子屋は子どもたちがマーケティングや暗算を身につけていける学び舎となっているようです。
地域の子どもたちが日々訪れる『野秋商店』しかし、人々の生活に密着し、定着するまでにはいろいろな苦労があったと、2代目女将さんが話をしてくれました。
お店の始まり
ーーお店を始めたきっかけを教えてください
このお店は父と母が作り上げてきたものです。きっかけは、奈良軌道(現在の日本近畿鉄道)に父が勤めおり、この地区の町営住宅に入ることができたこと。私たちが生まれ高度成長期に入ると、母も「仕事をしたい」という思いがでてきたそうです。
父は、母が子育てをしながらできることは何か?と考え、自宅でできるお店を開こうと思いついたといいます。
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内職程度から始まり、夏場は外のスペースを使って、かき氷屋さんをしていたこともがありました。母が手作りのシロップやあんこを作って提供していた事も、子どもながらに覚えています。
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住民の皆さんはとても喜んでくれたため、駄菓子から化粧品類、金物、掃除道具、文房具と、徐々に生活に必要な品が豊富になっていきました。
地域の人々が喜んでくれるならと、町の人の意見を取り入れていました。本当に苦労はしていたと、何度も聞いているのですが、その暮らしを楽しんでいたそうです。
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昭和42年から現在の土地に移り、3番目の店舗をオープンさせました。鉄骨ストレート造のお店です。この時に、タバコの販売も開始しました。
昭和58年に、店舗をリニューアルし今年で40年になります。合わせると75年近く、この町で商店をしていることになりますね。
母は90歳となり、体調を崩すことも増えてきていますが、私は母が店舗に立ってお金の計算をしたり、お客さんと関わる姿を見るのが、嬉しいです。
お店は月曜日から木曜日と土曜日に開けてますが時折、不定期になってしまうこともあります。営業時間は13時から17時30分までで子どもたちが来るのを待っています。
変化に対応しなければならない時期
ーー昔から現在に至るまでに駄菓子への変化はありましたか?
どんどんと変化しています。企業側もできるだけ味を残したいとは思っているでしょうが、ここ数カ月で、取り扱っている商品のパッケージや内容が変わってきています。
例えば例であげると『ジャンボカツ』は、前までは袋の大きさと同じくらいの中身が入っていましたが、現在は袋の大きさは変わらず、中身の大きさが3分の2以下ほどぐらいに量が減ってしまいました。原料であるイカの収穫が難しくなり、駄菓子用に小さく作るより、大人向けに多少高くても採算が合う形での提供になってきています。懐かしい味がなくなるのも悲しいものです。
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人気があった商品でも、廃版や販売中止になり、食べることがはできなくなったものは多くあります。近年の経済状況や値上がりで、駄菓子業界では、どのような内容量でやどの味を残していくのかを検討してされているみたいです。懐かしい味がなくなるのも悲しいものです。
当てものはほとんどなくなっていて、鈴やスーパーボールだけが残っています。カレー味のおせんべいが20リットルℓぐらいの袋に入ったものがあり、スコップで何杯かすくって入れたら一袋で20円でした。今は小袋で単価が高くなっています。懐かしいと思う昔の味がないと、寂しいばかりです。
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ーー問屋さんとのやり取りに変化もありそうですねや価格変化もありそうですが
父は開店始めた頃から50歳になるまで、父が鶴橋駅(現在の近鉄大阪線 鶴橋駅)へ行って仕入れをしていました。たくさんの問屋さんで賑わっていて、当時は「ここに行けば何でもそろう」と、あれもこれもと頼まれて行っていたのです。帰りは商品を背負って、両肩とにかけて、両手に持って、たくさんの商品を店に持ち帰って並べていたんですよ。
問屋とのやり取りは、コロナ渦を経て落ち着いたと思っていたのです。ガソリンの高騰化により、密にしていた問屋さんと関係が薄くなったように思います。週に一度、顔を合わせてやり取りをしてから、次の日に配達してくれるというシステムでしたが。高騰は止まらず。現在は、発注は電話での対応になり、注文後に委託された業者が届けてくれます。
子どもたちは、その日の気分によって、買い物をしています。賞味期限もあるので、バランスを取るのも難しく、間に合わない時があります。
夏場はチョコレート系、冬場はアイスやジュース系を控えて商品を入れ替えています。
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ーー価格の変化についてはいかがでしょう
店内で展開している駄菓子の値上げに歯止めがかかりません。13円の商品は、本来15円で売らないといけないのです。店内の価格は、購入してもらっても、元値は取れません。そのため13円の商品は、本来15円で売らないといけないのですが、できるだけ、子どもたちが買いやすいようにと値段を下げています。本当は、利益を取らなければならないところですが、私たちは自宅店舗で経営しているので、店舗のテナント料を含まずに販売することができるんです。
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これから値上がりは避けられない問題です。次の仕入れで15円単位のものが5円ずつ上がっていくのは覚悟しています。子どもたちがお菓子を買いに来てくれるので、常にどのぐらいの価格で販売するのか選択を続けなければならないと思っています。
ーー値上げは店舗にとっても大きな課題なのですね
そうですね。また値上げは一番の問題です。そしてこのお店は、値上げ以外にも課題を2つ抱えています。
1つ目は、跡継ぎ候補がいないことです。私の世代でどのようにすべきかを考えていますが、このお店を引き継ぎたい!という方が現れたら嬉しいのですが。
2つ目は、文房具などの在庫処分が、でき出来ずにいることです。最近のノートは可愛い表紙になっていたり、学校側でストックしたりしているので、買いにくる子はいなくなってしまいました。ちょっとしたメモにでもと思い、無料で置いてはいますが、持っていく人は少ないです。
この先の事を考えてはいるので、処分も考えていますが、もったいなく感じています。ネットで売り買いができるような時代ですが、在庫の品質を問われると、古いものがどこまで売れるのか分からないですし、私にはSNSを使った運用が難しい気がますとも思われます。
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長く続けて思うことは、地域の中でも、家庭環境がさまざま様々なのだと、見えてくるものがありますねということです。また子どもの成長に合わせて、おこづかいの金額を設定している家庭もあると思います。だからこそ単価の値段を下げて、消費税として加算し負担がないようにと思っていますし、長くこの店に来てもらえるようにと、工夫をしながら切り盛りをしています。
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ーーお店を続けていく秘訣はありますか?
お客さんの中には、おじいちゃん、おばあちゃんが子どもから子どもへ、そして孫やひ孫さんを連れて訪ねてくれます。店を営んでいるとこの地域に住んで、幼かったき姿だった子たちが成長していく姿を見れていますし、町を離れた子たちがも時間を見つけては、訪ねてきてくれることもありお客さんもいてくれています。
また、地域の子たちだけのみではなく、高校生や遠方からも訪ねてくれる人もています。近くに大学もあるので、地方から下宿している子や、海外からの留学生も来てくれ、いろんなエピソードがこのお店にはいっぱい詰まっています。
買いに来てくれる、みなさんの「顔を見るだけで嬉しい」と思える気持ちが、今日まで店を営んでいる秘訣です。私も母と一緒にできるだけ、続けていこうと思っています。
地域取材を終えて
今回は自分も小さなころから、おこずかいを握りしめては「野秋さんとこ行ってくる」と訪れた場所でもあります。
私はできるだけ、今の見る風景や後継に残したいと思うばかりです。そして、現在1円の出し方にどれだけ価値を生み出しているでしょうか。
『野秋商店』は、女将さんたちの愛がいっぱいこもった場所だからこそで、子どもたちはが安心して訪れることができているのだと思います。
物価が高いこの現代に駄菓子屋を営むのはこそ、経営面においての難しさもあります苦しいこともあるでしょう。しかし、子どもたちの活気あふれる姿を見て、私も未来の子どもたちに、学び舎を残していきたいという気持ちが生まれました。少子化という問題をどう転換し、自治体や地域での活動に取り入れながら、育ち合う環境へと進化し続けていけたらと思うばかりです。