#3 帰省と友達
GWが始まりましたね。地元に帰省されている方も多いのではないでしょうか?
私の会社は祝日は休みにはならないので、基本出社ですが、なぜか上司の気分で2日間のお休みをいただきました。地元に帰るいい機会です。
私の地元は東北地方の都会(笑)海もあり山もあり、食べ物は美味しいしとにかく住みやすいところです。自分のアイデンティティーの中に地元の息遣いが住みついていて、なんだか急に私が育ったあの景色を思い出して寂しくなったりもします。
東北、特に沿岸部が近いと、本当に忘れ難い記憶をどうしても背負って生きていかなければなりません。
東日本大震災
私は当時小学校5年生で、6年生の卒業式の練習をしていました。
4階建ての校舎鞭のようにしなって、体育館の天井は落ち、マンホールからは水が噴き出ていました。
私の家は、少し内陸にあったため津波の被害からは逃れることができました。しかし、祖母の生まれた沿岸部や、親戚のいる沿岸部は、もう。
幸い、親族全員無事で何よりだったのですが、まだ子供だった私の目にはあの光景は耐えきれないものでした。
だって、ガソリンスタンドの上に車が乗っているし、道のそばに毛布やブルーシートに包まれた人型の「何か」が横たわっているし、大勢の大人が泣いているし。
ガスが出なくて、電気もないのでお風呂に入れず寒さで震えたのも、今になってはいい経験だったと思えるようになりましたが、当時はたまったもんじゃありませんでしたよ。
22歳になってあの日から11年が経っているのに、あの時の記憶はずっと鮮明に残っているし、地元の震災特集の番組を見ると必ず泣いてしまうし、やっぱり地元を破壊されるってすごいショックだったんだなと改めて思います。
今はそんな背景を抱えた私の地元に、新幹線に乗って帰っています。
楽しいテーマパークはないけれど、すごく住みやすくて人があったかくて大好きな地元です。
お友達が駅まで迎えにきてくれるとのこと。
5人組で仲が良く、全員留学先で知り合いました。
その中の一人に、今年から中学校の先生をしている子がいます。
その子の地元は私が住むところよりももっと海沿いの地域で、あの被害をもろに受けたそうです。
「家の中が洗濯機で回されたみたいだった」
どれほど怖かっただろうと思います。
彼女は今、当時は生まれて間もなく震災を覚えていない生徒たちに、震災教育をします。伝え続けることは難しいけれど、彼女の言葉なら届くと思います。辛さなら誰にも負けないし、強さも誰にも負けないと思うから。
暗い話になってしまいましたが、私の地元が皆さんもニュースで見たことのある、サンドウィッチマンでお馴染みのあそこだということがお伝えしたかったのです。そしてGWでもお盆でも、どんな長期休暇でも構いませんから、東北地方に足を運んで、少しだけでも私たちの11年間を感じていただけたら幸いに存じます。
お休みの方も、そうでない方も、良いGWをお過ごしください。
以上!
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