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第28話 X

 リーマン予想の話のすこしあとにその日は解散となり、大翔ひろと陽菜はるなと高木は塵劫じんこう神社を後にした。
「ほんで、どやねん? ちょっとでも収穫はあったんか?」
 大翔が高木に尋ねた。
「いやぁ。もうはっきり断られてもたからなぁ。」
 高木が頭をかきながら苦笑いする。
 もともと吉栄光比売よしざかえひかるのひめの客人ではなかった高木が塵劫神社を訪れたのは、自分が部活で書く小説の取材のためだった。だが吉栄光比売にそのことを話すと、神社やその住人はモデルにするなと言われてしまったのである。
「まぁ、ファンタジーは推理小説を書く上でのスパイスみたいなモンやからな。ダメならダメで、素直にあきらめるわ。たぶん、もううへんよ。」

 大翔と陽菜の家は、どちらも神社の入り口から100メートルほどしか離れていない。そんな会話をしている間に、2人の家の近くまで来た。
「まぁ、ほなね。お疲れさん。」
「おう、お疲れ。」
「ばいば〜い。」
「あ、そうや。千坂ちよざか。明日も活動あるからな。忘れんように。」
「ちっ。忘れとらんかったか…。」
「え〜。やっぱり文芸部の活動行くん? 2人で神社行くん、けっこう楽しかったんに。」
 陽菜が残念そうに言った。

 2人で神社に行くのが楽しかった…とな?
 大翔はすこし咳払いした。
「ま、まぁ俺的にもまことに遺憾いかんではあるぞ。…おい高木、何わろてんねん?」
「いいや?」
 やはり高木この男、いい性格をしている。
 陽菜は気づくよしもないが、彼は大翔が陽菜に惚れていることを知っていた。昨日、文芸部へ大翔を勧誘している中でそれが判明し、それをネタにゆすって入部させたのである。

「まぁ、昨日も俺は神社に行けへんかったし、お前1人で行ったらええやろ。たまには俺も行けるやろし。」
「文芸部の活動は、基本毎日やで?」
「…土日しか行けんっぽいわ…。」
「千坂と一緒にいたいんやったら、陽菜粕谷さんも文芸部入ったら?」
「さり気なく勧誘すなっ。」
「ん〜。別に『一緒にいたい』っていう話でもないんやけど…。」
 違うのか。
 幼馴染の視界の外で落胆する大翔を見て、高木はニヤニヤした。

「まぁ冗談はさておき、粕谷さんもあの神社に行くのはほどほどにしたほうがええかもよ?」
 急に高木が真面目なトーンでしゃべり出す。
「なんで?」
 陽菜が首を傾げると、高木は両腕を組んだ。
「ヨシザカエさんて、ちょっと気難しそうやん。そんなひとが、なんで君らに気まぐれで●●●●●数学の指導をしてるんかなって話。」
「ああ、それは俺も気になってた。」
「え? たしか先週、ヨシザカエ様『人と話するのは久しぶり』みたいに言うたはったよ。単純に、話し相手が欲しかっただけ違うのん?」
「それなら別に、数学に話を限定する必要はないやろ。もちろん、他に話せる話題がないってだけかもしれんけど…。」
「ん〜。たぶん、そういうことやと思うけどなぁ…。」
 陽菜は高木の問題提起に、あまりピンと来ていないようである。

「これはあくまでも僕の予想やけど、ヨシザカエさんは君らにあの神社へ就職してほしいって思ってるんちゃうかな?」
「へ?!」
 2人の声がそろう。
 ここ最近、学校で進路の話はたまに出るが、まだみんな本気で考えてはいない。2人もご多分にもれず、志望校もぼんやりだ。そんな状況で、急に神社の話から“就職”などというキーワードが出て来たら面食らうのもムリはない。

「ほら、あの狛犬。彼が数学の達者ってのがどうも違和感があるんよ。ようは門番やろ? わざわざ数学を身につけさせる必要ある?」
 2人は顔を見合わせた。
 言われてみれば、不自然だ。門番には門番ならではの知識・スキルが必要なはずで、それは数学ではなかろう。まして、人語を解すとは言え、獣である。酔狂というほかない。
「彼たしか、吉栄光比売の下僕だから数学はできて当然、みたいに言うてたやん? あれたぶん、ヨシザカエさんの神社の運営方針なんとちゃうんかな。『この神社に住まうものは、すべからく数学を身につけるべし』っていう。」
 そう言えば、物言わぬケサランパサランですら数学を理解しているフシがあった。かなりの徹底ぶりである。

「だとしたら、仮にあの神社に神職の人がいたら、数学は間違いなく必修やろ。そして不思議なことに、ヨシザカエさんは元気やのに、あの神社は人がおらんくてボロボロやった。たぶん、なり手がおらへんのんとちゃうかな?」
「…まさかの予想通りか。」
 大翔は吉栄光比売と初対面したとき、『神社が荒れ放題なのは、神主が数学を嫌って逃げてしまうからでは』と冗談めかして言ったが、そのときの吉栄光比売は図星を指されたような反応だった。そして、ここに来ての高木のダメ押しである。もはやそうとしか思えない。

「ヨシザカエさんかて、境内が荒れてたら嫌やろ。神様やし暑い・寒いはないとしても、他の神様に対する世間体みたいなんもあるやろから、管理する人間には絶対いてほしいはずや。でも数学をやらせようとすると、みんなおらんなる。そこへ、若いうちから直接指導できる人材が転がり込んで来たとしたら…?」
「ええええ!? それが私ら?!」
「よし、俺はこれから文芸部の活動に打ち込むわ。よろしく!」
「どんと来い!」
 大翔と高木がガシッと握手を交わす。
「え、待って、私に押し付けんといてぇ!」

 その晩 ––– 。
 大翔は自室でベッドに横になりながら、スマホのパズルゲームをやっていた。たまたま学校の宿題がすくなく、また数学徒●●●Xからの算額の回答もまだ来ていなかったので、ひさびさのゲームである。
 にもかかわらず、あまり身が入らない。ずっと心ここに在らずといった状態である。初級ステージを数回ミスしたところで、とうとうスマホを放り出してしまった。
「あ〜もう、うぜぇわぁ。」
 彼がうざいと言ったのは、ゲームのことではない。夕方、高木が帰りぎわに言ったことである。塵劫神社への就職の話が終わり、いよいよ解散かというところで、高木は「もう1つ気になることがある」と言ったのだ。その内容は、吉栄光比売のちょっとしたたくらみなどよりもずっと、大翔の心を揺さぶった。

 そのときだった。スマホが着信を告げた。見ると、叔父のごうからのRINEメッセージである。
「もう1件、うざい話があったなぁ。」
 毒つきながらRINEを開くと、案の定、“あの件”である。

「おう。どや、調子は?
暗号は解けたか?」

「はあああ〜。」
 反吐へどを出すようなため息をつくと、彼は返事を書き始めた。フリック入力する指に、機体がきしむほどの力が入る。

「ええ、ええ 解けましたとも
おかげで知り合いにいろいろバレた」

 わずか数秒で返事が来た。

「なんや、それw
学校かどこかで解いたんかい?」

「学校や」
「クラスに暗号詳しいヤツがおって
手伝ってもらったらバレた」

 すると今度は、間髪入れずにスタンプが送られて来た。カートゥーンアニメっぽいキャラが爆笑しているヤツだ。

「それでゆすられて
入りたくもない文芸部に入るハメに
なってんぞどうしてくれんねん?」

「おお〜、ええやんけ。
オリジナルのいろは歌でも
作ってみたらどないや?
けっこういろいろ作れるらしいで。」

「適当言うなや
いろは歌は上杉暗号で
お腹いっぱいや言うねん」

 そんなことをするぐらいなら、山田とカラオケかボウリングに行く方がいくらかマシである。

「それでも、そうか解けたか。
ほな、オイラー関数やら何やら
いろいろ計算した、いうことやな。
感心感心。」

「ド重かったっちゅうねん
そんでもって
もうだいぶ忘れて来たわ」

「そら別にかまへんて。
将来暗号の設計者になるならともかく、
そうでないなら
フェルマーとかオイラーの定理利用して
暗号ができる、いうことだけ
知っといたらええ。」

 困ったことに、極めて近い将来、なんだったら明日から暗号の設計をやらなければならないのだが。しかしこれを言うと話が面倒なことになりそうなので、スルーする。

「もとは、フェルマーの小定理のありがたみが
わからんいうトコから出て来た話や。
細かいことは忘れても
定理が役に立ってるんはわかったやろ?」

「まあなぁ」

 暗号を勉強している中で、フェルマーの小定理は何度も出て来た。それだけでなく、どうやら素数判定でも大活躍らしい。おかげさまで、定理の内容はキッチリ覚えている。

$${p}$$は素数
$${a}$$は$${p}$$でわり切れない整数
$${a^{p-1}}$$を$${p}$$でわったあまりは$${1}$$

 もし仮に、「これが何の役に立つの」などと誰かに聞かれても、それを滔々とうとうと説明できる自信はない。だがどうやら暗号の設計に役に立っているらしいということだけはよくわかった。

「定理の内容覚えてるだけでも上等や。
それ活用したら、アホみたいに大きな数を
わったあまりも計算できんにゃで。」

「ああそれは別件でやったわ
$${2^{2024}\div13}$$のあまり」

「ほう!そら大したもんや。
ちょっとは数学オモロいおもたやろ?」

「んーまーちょっとだけ」

「そういうのが積み重なったら
どんどんオモロいと思えるようになる。
うまく行きゃ、小学生でも
数学に熱中しよるわ。」

 そのメッセージを見た瞬間、大翔の頭の中が真っ白になった。引き続き豪から何かメッセージが届いたが、まったく頭に入って来なかった。
 寝返りを打って、仰向けになる。
 必死に何かを考えようとするが、一向に何も思い浮かばない。完全に思考停止している。
 まるで、考えることを拒絶するような…。

 深夜 ––– 。
 静まり返った塵劫神社の境内に、足を踏み入れる。こんな夜半に人などいるはずもあるまいが、それでも念の為、野球帽を被り直す。
 すぐに参道を離れ、絵馬殿の前に立つ。手には二枚の絵馬。片方は、千坂大翔なる人物からの算額で、素因数分解の問題。無念ながら、解くのに一日以上かかってしまった。やってくれる。
 もう片方は、私が新たに作成した数学の問題である。これまでのやり取りから考えて、この千坂大翔や粕谷陽菜にはほどい問題であろう。
 二枚の算額を、眼前の●●●吊り金にかける。
 その時だった。

「おい。そこで何をしとる?」
 突然背後から野太い声で話しかけられ、息をんだ。
 明らかに中年男性の声だが、声がした高さは高々三尺程。それだけで相手が誰だか察しはつく。
「この神社の狛犬か?」
 この一言で相手がたじろいだのが気配で判った。
「お主…、一体何者なにもんや? 只者ただもんではないな?」
 狛犬が問い詰めて来る。このような形で狛犬に背後を取られては、もはや逃げる事は叶うまい。大人しくするしかないが、まだ氏素性を全て話す訳には行かない。
「この神社に御座おわす算術・算学が女神、吉栄光比売よしざかえひかるのひめ みことを敬愛している者だ。此度こたびは新たな算額を奉納しに参った。」

「実はもう1つ、気になることがあんねん。」
 帰りかけた高木が足を止め、振り返った。
「ちょっと確認したいんやけどさ。数学徒Xだっけ? その人って、いつも絵馬殿の同じところ●●●●●に算額かけてる?」
「?」
 大翔と陽菜はそれぞれ宙を見上げ、思い返した。
「…うん。たしか、同じやったと思う。」
「ああ、せやな。」
 これまで絵馬殿に向かったときは、いつも同じ場所を見ていたような気がする。
「ふむ。てことは、算額はいつも、一番下の段の吊り金に●●●●●●●●●●かけられてた、いうことやね?」

「それで納得すると思うか? それなら何で昼間に奉納しにん?」
 狛犬がうなる。
生憎あいにく、あまり好きに行動できる立場にないのでな。監視の目をくぐるには、夜間にせざるを得ぬ。」
 これを聞いて、狛犬は失笑した。
「ほぉう? 成程なるほど、監視か。保護●●の間違いとちゃうんか?」
「……。」

「絵馬はふつう、神様にメッセージを伝えるためのもんや。絵馬殿に奉納するときは、無意識のうちに高めの位置にかけようとするやろ。それでも毎回一番下の段にかけられてたんなら、数学徒Xはそれだけ背が低いことになる。たぶんやけど、身長は1メートルとすこしぐらいちゃうんかな。」

「何にせよ、比売ひめの名と権能けんのうを知っとる時点で普通の人間でない事は確かや。増して、算額の奉納などと見え透いた嘘をくなど、まともな目的ではなかろう。」
 狛犬はいよいよ、私への疑いを強めた。
 私は仕方なく、一度奉納した算額を再び手に取り、狛犬に差し出した。
「決して嘘ではない。そなたならこの内容が出鱈目でたらめでない事は解ろう。」
 ちょうどその時、月が雲間から顔を出し、辺りを照らし出した。

「おい…。それってつまり…。」
 大翔が眉をひそめる。陽菜は目を丸くして、口を手で覆った。
 高木がゆっくりとうなずく。
「たぶん数学徒Xは、せいぜい小学1年生ぐらいやと思う。」

 月明かりに照らし出された数学徒Xの身長は1メートルあまり。その顔は色白で、度の強いメガネの奥では、聡明なまなざしが狛犬をまっすぐ見すえていた。
 そして、彼が差し出した算額には、次のような問題が書かれていた。

以下の等式を証明せよ:

$$
\begin{equation*}
\begin{split}
1+\frac{1}{2^2}&+\frac{1}{3^2}+\frac{1}{4^2}+\frac{1}{5^2}+\cdots \\
&=\frac{1}{1-1/2^2}\frac{1}{1-1/3^2}\frac{1}{1-1/5^2}\cdots
\end{split}
\end{equation*}
$$

ただし、右辺の積は
すべての素数にわたるものとする。

To Be Continued to
Chapter 3…

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