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第1話 吉栄光比売

五より大なる数はすべて、ソスウ三つの和に表せる、
これは真か偽か?

「この問いに最初に答えられたものを、我が夫と致します。」
 彼女・・は高らかにそう宣言した。

 頭が真っ白になる。
 ”ソスウ”ってなんだ? 数を数で“表す”ってどういうことだ?

 浅はかだった・・・。

 数刻前まで抱いていた甘ったれた希望は、たった一つの謎かけによって打ち砕かれた・・・。


「なあ。今から大翔ひろとんち行ったらあかん?」
「ええ?? なんで?」
 下校中、幼馴染の陽菜はるなに唐突に言われ、大翔は聞き返した。
「だって、お兄ちゃんがずっと家で勉強してるから・・・。」
「ああ、そういうこと?」

 もう年の瀬である。街は冷蔵庫の中のように寒い。
 そんな時期だ、受験生はさぞかし殺気立っているだろう。
「お兄ちゃん、一浪してるしさぁ。もう、家中ピリついてるんよぉ。」
 陽菜が深々とため息をついた。
「そら、そんな空気なっとったら家おりづらいわな・・・。だが、断る。
「ええ〜?? ええやん、なんでぇ??」
「今、親戚の叔父さんが泊りに来てんねん。お前連れてったら、『彼女できたんか』てイジられるやんけ。イヤやろ、そんなん。」
「ああ〜、そやなぁ。」
 そこは否定してくれ、と言いそうになり、大翔はこらえた。
「ほな、しゃあないかなぁ。帰るかぁ・・・。」
「いやいや。家帰るの遅うできたらええんやろ? どっかでヒマつぶそうや。」
「いやや、寒いやん。」
「なんかあったかいモンでも飲みゃええやん。ちょっと行ったトコに自販機あったやろ。」
「あかん、無理・・・。今月、おこづかいヤバいねん。」
「ええよ。俺がおごったるて。」 

 2人は、ある大きな都市の片隅で生まれ育った。住所こそ大都市だが、2人の家は都心部から離れた山の、ふもとからもう少し登ったところにある。
 2人は自転車を押して家を通り過ぎ、さらに奥へと進んだ。大翔の言う自販機は、家からさらに100メートルほど奥の、道のどん詰まりにあった。
「ほい。」
「ありがとお。」
 暖かいミルクティーを大翔から受け取ると、陽菜はあどけない笑顔を見せた。自分もホットコーヒーを買うと、大翔はおもむろにあたりを見渡した。
「さて。どこで時間つぶす?」
「もう、ここでええんちゃう? 行き止まりやし、車も通らへんやろ。」
「まあ、それでもええかな・・・。お?」
 大翔はふと、自販機の近くにあるしげみに目を止めた。幅が乗用車1台の長さほどあるしげみの真ん中に、よく見ると少し隙間が空いている。ぎりぎり人が通れそうな隙間だ。
「こんなところに通り道なんかあったか?」
「さあ・・・。昔からしげみはあったけど・・・。」
 隙間をのぞいてみると、土がむき出しになった上り坂が続いている。
「前から思っとったけど、ここなんなんや? 誰かの家、いう感じでもないし・・・。」
 そう言いながら、大翔はしげみを適当にかき分けた。するとしげみの端の方に、コケだらけの見慣れない石柱が立っていることに気がついた。
 石柱には、あちこちが欠けていて輪郭が崩れているものの、文字が刻まれているのが見てとれる。
「・・・“劫”・・・神社・・・? え、ここ神社?」
「ふうん? “劫”って何て読むん?」
「いや、知らん。てか、神社の名前が漢字一文字? 珍しいな。」
「・・・あ、柱の上の方が折れてる。たぶん、ほんまはもっと長い名前なんよ。」
「ああ、そういうことか。どうりでしげみに隠れてもうとるわけや。ちゅうか、神社ていうわりに鳥居もあらへんやん。そら気づかんて。」
「でもこの道、結構ふみ固められてるで。ときどき誰か来てるんちゃうの?」
「お詣りするぐらいなら、ちょっとぐらい掃除したらええのにな。」
 独り言のように言いながら、大翔はおもむろに隙間の道に入った。
「ちょっ、ここ入るん?!」
「ええやん。ちょっとのぞくだけ。」
「やめよう? 怖いやんっ。」
 時刻は16時過ぎ。辺りは少しずつ暗くなってきている。
「大丈夫やって。それに、ずっとここにおっても間が持てへんやろ?」
 それだけ言うと、大翔は鼻歌を歌いながらしげみに入り込んでしまった。陽菜は口をすぼめ、ためらいがちに後に続いた。

 坂を登り切ると、体育館よりひとまわり狭いぐらいの広さの境内に出た。そこそこ広いおかげで空もちゃんと見えており、そこまで暗くはない。
 だが境内の設備はひどい荒れようだった。
 参道は石畳が砂をかぶっていて土同然、手水舎ちょうずやには水が張っていない上にひしゃくもない。普通なら巫女が座っているはずの窓口から社務所の中をうかがうと、部屋の真ん中に机やら椅子やらが乱雑に積み上げられたまま、ほこりをかぶっていた。拝殿も、しっくいの壁は黒く変色し、正面の障子は破れ放題、屋根の檜皮葺ひわだぶきはほとんどはげ落ちてしまっていた。
「なんちゅうか・・・。ザ・廃墟やな。」
「ほんまに・・・。あれ、でも・・・。」
 境内を見渡した陽菜が、絵馬殿に向かっててくてくと走り出した。
「見て。少ないけど、新しい絵馬がかかってる。やっぱり少しは人がお詣りしてるんよ。」
「ほーう、物好きなやつがおるもんやなぁ。・・・おん?」
 よく見ると、かかっている絵馬のほとんどに木目調のシールが貼られていて、その上に「個人情報の保護のため、祈願主がシールを貼っています」などと書かれている。
「はー!! 『個人情報保護』って、絵馬でもそんなことすんのか!」
 大翔は感心して言った。だが、陽菜は小首を傾げた。
「ふうん? こんなことしてもうたら、神様に願い事が届かへんのんちゃうの?」
「別にそこは気にせんでええやろ。どうせ神様なんかおらへんのやし・・・。」
「おるし、ちゃんと読めるえ。」
 突然後ろから女性の声がして、2人は驚いて振り返り、声の主の姿を見てさらに驚いた。
 その人は女性としては比較的長身で、陽菜よりも10cm以上高い。それどころか、大翔と比べてもやや高いぐらいである。また顔立ちは凛とした美形で、卵型の骨格に切れ長の目つき、その上にはキリッとまっすぐな眉毛が走る。
 だが2人が驚いたのは、そのいでたちだった。
 白い小袖に緋袴ひばかまと、一見すると巫女のようである。だが、その長い黒髪は頭頂で蝶結びのように結われており、結びのたれが胸の辺りまで伸びている。首から胸元にかけては、明るい緑色の勾玉を何百個も連ねた首飾りで覆われており、勾玉1つひとつに何やら文字が彫られている。さらによく見ると、緋袴の腰の部分に上からさらに太い帯を巻いている。向かって右側の腰にはフクロウの顔を模した小ぶりな木製の盾のようなものを身につけ、左には孔雀の尾を複数束ねたもので太ももの外側を覆っている。そして何より、組んだ腕の脇から三角形の模様が描かれた細い布が伸びており、彼女の背後に輪を作ってたなびいていた。

「どちら様・・・ですか?」
 大翔がつまり気味に聞いた。すると、その女性が露骨に呆れた顔をした。
「はあ? さっきの返事で、だいたい分からへんか?」
「・・・。『さっきの返事』って、『おるし、ちゃんと読める』ってやつです?」
「他に何か言うたか、わらわは?」
「『わらわ』?!」
 2人はそろって素っ頓狂な声を上げた。女性は、今度は面倒くさそうな顔をした。
「ああ。そう言えば、巷のどもは『わらわ』とは言わへんのか・・・。」
 独り言のように言いながら、頭をポリポリとかく。
 2人はしばらく絶句していたが、大翔が唐突にポンと手を叩いた。
「ひょっとして、オリジナルデザインですか?」
「は?」
「もうすぐイベントですもんね? こんなところで練習してはるんですか?」
「なんの話をしてんねん?」
「え、コスプレちゃうんですか??」
「なんやねん、その“こすぷれ”って・・・。」
「コスプレ知らんの?!」
 即興で漫才を繰り広げる2人をよそに、陽菜は目の前の女性の姿を観察していた。そして、足元に目をやって息を呑んだ。
「大翔! 見て、見て! この人、宙に浮いてる!!」
 大翔のコートの袖を引っ張り、女性の足元を指差した。
「・・・は? ・・・へえ?!」
 大翔は地面に這いつくばった。
「うわ、マジか!? ほんまに浮いとるやん!」
 白い足袋に草履を履いたその足は、確かに地面に接触しておらず、5 ~ 6cm浮いていた。
「ちょっと! 失礼やろ?!」
 陽菜にたしなめられ、おずおずと起き上がった大翔はポリポリと頭をかいた。
「え・・・と・・・。手品もやりはるんです?」
「まだボケるか!」
「いやいや、それ以外ないでしょ?!」
 女性はため息をつくと、大翔に向かって手をかざした。
「“無量転送”・・・。」
 女性がつぶやくと、一瞬間をおいて、突然大翔が卒倒した。陽菜は驚き、彼の肩を揺さぶった。
「大翔?! 大翔?!」
 よく聞くと、大翔が何かをボソボソとつぶやいている。陽菜は彼の口元に耳を近づけた。
「・・・$${41592653589793238462643383279502884197169399}$$・・・」
「は? 何言うてんの??」
「騒ぐな、小娘。死にゃあせん。ちょっと目ぇ回してるだけや。少ししたら元に戻る。」
「・・・。いったい、何をしたんですか?」
「“無量転送”。相手の脳内に、好きな数字を叩き込む技や。こやつの頭には、円周率 $${10}$$ 万桁をじ込んでやった。」
「え、円周率??」
「ネイピア数も行けるえ?」
「ネイピア数? あ、いや、そうやなくて! お姉さん、いったい何者なんですか・・・?」
 女性は挑発的な笑みを浮かべ、2人を見下ろした。
「我が名は“よしざかえ”・・・。八百万の神が一柱、吉栄光比売よしざかえひかるのひめである。司るは算学。塵劫じんこう神社へようこそ。」

 10分ほどして、大翔の意識が戻った。
「ん・・・。お、俺はいったい・・・?」
 寝ぼけたまま地面に仰向けになっている彼を、陽菜が覗き込む。
「よかったぁ。大翔、女神さんを怒らせて術かけられててん。もう許してくれはって、術も解けとるけど。」
「術ぅ?」
 吉栄光比売はすぐに元に戻ると言ったが、「円周率10万桁を全て詠唱するには、どれだけ急いでも3時間ほどかかる」とも言われ、陽菜が懇願して術を解いてもらったのである。
「ああ、まだクラクラする。・・・てかここ、めっちゃ暖かくない? コートいらんくらいやねんけど。」
 立ち上がって体についた土を払いながら、大翔が尋ねた。
「そやねん! 女神さんが、私らが風邪引くかもしれへんて、超能力?で暖房効かせてくれたはるねん!」
「超能力やなくて、神通力な。」
 吉栄光比売が苦笑いしながら言った。
「マジでか・・・? ほんまに神様なん?」
 大翔が唖然とする。
「やっと納得しよったか。」
「あの。失礼ですけれども、お名前をうかがってもよろしいでしょうか?」
 吉栄光比売は答えずに、陽菜にアゴで促した。陽菜はうなずくと、
「ここにおわしますは、八百万の神が一柱、数学の神、よしだかおるひめ様です!」
「誰や。」
「よしださ○りひめ様?」
「それは霊長類最強の女や。“よしざかえひかるのひめ”。もういっぺん円周率詠唱しとうなかったら、二度と間違えんようにしなはれ。」
 2人は慌てて、名前を繰り返し口にして覚えようとした。
「ほんで? 次はおぬしらや。名はなんと言う?」
「千坂大翔です。」
「粕谷陽菜です。」
「“ちよざかひろと”に“かすやはるな”やな。よう来た、この塵劫神社へ。」
 吉栄光比売が歓迎の意を示し、その眉間から険しさがようやく消えた。
「それで? おぬしらそもそも、なんでここへ来た? わらわが言うのもなんやが、こんな寂れたところに用事もないやろうに。」
「実は、かくかくしかじかで・・・。」
「ほう。出来るだけ外におりたいんか? ほな、ここにおったらええ。あったこうしたる。正直、語る相手もおらんなって久しい。」
 吉栄光比売の優しい言葉に、2人はホッとした。
 会って早々に円周率で攻撃してくるあたり、ずいぶん個性的な荒ぶる神だと思っていたが、意外と話せばわかるタイプなのかもしれない。
「けど、よしざかえ・・・ひかるのひめ様。少ないですけど、絵馬もかかってますよ? たまに誰か来てはるんと違うんですか?」
 陽菜が絵馬殿に目をやりながら言った。
「まあ、来るには来るけどな。たいがいの輩は、縁結びだの無病息災だのをねごうて行きよる。わらわは数学の神やから、そんなこと願われてもなんもできゃせんし、面倒やから話しかけへんのや。」
「いや俺ら、願いごとすらないですよ? なんで話しかけてくれたんです?」
「たまたまや。絵馬殿に用事があって来てみたらおぬしらがいたから、話しかけたまで。」
「用事?」
 陽菜が聞くと、吉栄光比売は答えずに絵馬殿に歩み寄り、柔らかく笑った。2人が後ろからのぞき込むと、彼女は1つの絵馬を見つめていた。
 その絵馬は、一番下の段の真ん中の吊り金具にかけられている。吉栄光比売はそれを取り外すと、「見てみ」と言って、2人に差し出した。他の絵馬と違い、その絵馬はシールが貼られておらず、内容がむき出しになっている。
 その絵馬にはこんなことが書かれていた。

次の数字を $${11}$$ でわったあまりを求めよ:

To Be Continued…


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