第12話 数学が嫌いになった理由
大翔は自室の机に向かい、腕組みをして考え込んでいた。
机の奥の方には、お菓子棚からとってきたジャガコリと、大きめのコップになみなみとついだほうじ茶。
長考にそなえた兵糧に囲われるようにして、彼の目の前には真新しい絵馬が2枚と、数時間前に彼がほぼ独力で解答した数学徒X からの宿題がならんでいた。
大翔と陽菜が2、3日悩んでいたその宿題は、吉栄光比売にきっかけをあたえられるやいなや、あまりにもあっさりと解けてしまった。時間にすれば、30分かそこら。
だがその直後、彼はその宿題に勝るとも劣らない、難しい問題を突きつけられた。
数学徒Xへの謎かけ返し。江戸時代の風習にならった、算額の応酬の次の一手。
これまでは、何かしら大きな数字を別の数字でわったときのあまりを求める問題ばかりだった。だが今回の、$${2^{2024}}$$を$${13}$$でわる問題で、その種の問題はやり尽くした感がある。もちろん、大翔が知らないだけで他にも似たような問題はあるのかもしれないが、知らない問題は出題できない。
こうなると、何かしらのあまりを求める問題からはいったん離れた方がいいのだろうが、もともと数学が苦手な彼には、数学徒Xを満足させられそうな問題など思いつきようもなかった。
「数学が苦手・・・なぁ・・・。」
彼はおもむろに、カバンからさきほど解答時に書いた数式のメモを取り出した。陽菜に説明するために、かなり簡単で数学らしからぬ形に書かざるをえなかったが、そのとき彼の頭の中にあった数式はもっと数学然としたものだった。
筆箱からシャーペンを取り出し、メモ書きの中の1本の数式を四角でかこって目立たせる。
$${2^{12}=13n+1}$$
この数式自体は、フェルマーの小定理から得られたもので、$${2^{12}}$$を$${13}$$でわったあまりが$${1}$$だということを表している。$${n}$$は$${2^{12}}$$を$${13}$$でわった答えである。
では、$${\left(2^{12}\right)^2}$$を$${13}$$でわったあまりはいくらになるか? すでに答えがわかっている問題を、彼はあらためて自分に問うてみた。
$$
\begin{equation*}
\begin{split}
\left(2^{12}\right)^2&=\left(13n+1\right)^2 \\
&=\left(13n\right)^2+2\cdot13n\cdot1+1\ \ \ \left(\left(a+b\right)^2=a^2+2ab+b^2\text{の公式より。}\right) \\
&=13^2n^2+2\cdot13n+1 \\
&=13\cdot\left(13n^2+2n\right)+1
\end{split}
\end{equation*}
$$
「やっぱりな。」
第$${1}$$項は$${13}$$の倍数になっていて、第$${2}$$項が$${1}$$。
数式に書いてみれば、たった4行である。陽菜に説明したときは、“$${\left(13n+1\right)}$$の、$${\left(13n+1\right)}$$コのたし算”に書き直したが、授業でならった公式を使うだけで話が劇的に簡単になった。
大翔はシャーペンを机に置き、ふたたび腕組みをした。
自分はこれまで、数学が苦手、それどころか嫌いだったはずだ。だが、$${2^{12}=13n+1}$$の式を思いつくやいなや、そこからはほぼ数秒で、暗算でこの展開が見えていた気がする。しかもネットの情報はもちろん、教科書すら見ずに、である。
数日前、叔父の豪に「何か1つでも(陽菜より)大翔の方が得意やて言えるもんが出てこりゃ、おあいこにはなるやろ」と言われた。今回、計らずしてそういうものが出てきた。
数字を数式で表現することと、式変形してその数字の性質を看破すること。
要するに、中学以降、数学の授業でさんざんやっていることだが、自分が実はそれが得意というのがにわかには信じられないことだった。実際、2次方程式の解の公式はいまだにまったく覚えられない。
だが、今しがたノートで数行の計算をやっていたときはかなりうきうきしていた。そして、この感覚は決して初めてのものではない。
はて、いったいどこで味わった感覚だったか。
そのときだった。
机の片隅からゴソゴソという音が聞こえてきた。
「!?」
すわゴキブリかと身構えると、ゴキブリなどよりはるかに大きいケサランパサランが1匹、大翔の兵糧であるジャガコリのフタを必死に開けようとしていた。
あっけにとられている大翔と目が合い、彼(?)は硬直した。「あっ」とでも言ったのだろうか、一瞬の間をおいて、彼は一目散に逃げ出した。だが、今回ばかりは大翔の方が一枚上手だった。下敷きで行く手を阻み、すばやく後頭部(?)の毛をつまんで目の前にぶら下げた。
「お前、どこから出て来よってん?」
ジト目でケサランパサランをにらみつけながら言ったが、これは言わば社交辞令のようなものだ。この“ボール”が言葉で説明してくれるとは思っていないし、説明などなくてもだいたい察しはつく。おおかた、大翔のコートにしがみついて来たか、さもなくばカバンにしのび込んできたのだろう。
彼は大きくため息をつくと、制服のハンガーからズボンをはずし、代わりにそのクリップでケサランパサランの後頭部の毛を挟んだ。ケサランパサランははげしく暴れたが、傾いたハンガーはそれでも落ちなさそうだった。
「これでよし、と・・・。」
手についた砂をはらうように、両の手をパンパンとはたき合わせる。
こいつは数日前、大翔が陽菜にやろうとしたスイーツ大福を横取りした前科がある。まあ、ひょっとしたら別のヤツかもしれないが、この際どちらでもいい。現に、こいつはさっき大翔のジャガコリを盗み食いしようとしていた。拘束しておくに越したことはない。このまま放っておいてもいいが、実は大翔の母親は動物アレルギーであった。ケサランパサランがアレルギーを引き起こすモノを持っているかどうかは定かでないが、ことと次第によっては厄介なことになる。夕方になる前に、塵劫神社に放り出してきた方がいいかもしれない。
席に戻ると、大翔はケサランパサランを見上げながらジャガコリのフタを開けた。さっきまでなにか考えごとをしていたような気もするが、一度お菓子のパッケージを見ると食欲が勝ってしまうのが人情というモノである。ジャガコリを欲しがっているのか、ケサランパサランがまた暴れ出したが、無視する。
「まったく・・・。こいつには手ェ焼かされるわ。」
さっきは神社に立ち入るなり、ネズミ算式に増加した連中の波にさらわれてそこそこの大怪我をした。また、数日前に神社で問題に取り組んでいたときには、生意気にも彼に問題を解くヒントを出してきた。これはどちらかと言うと助けてもらったわけで、恨み言を言うことではないのだが、それで大翔の胃が多少のダメージを受けたことはたしかである。
そもそも連中は、陽菜が数学の問題を解くときに題材としてなんども利用していたので、彼の中ではもはや数学と不可分の存在になっていた。一度それに対抗するように、彼の好きな落ちゲーのブロックのイメージを使って問題を解こうとしたものの、すぐに限界になり、けっきょくヤツらのイメージに引き戻されてしまった。
「・・・あ。」
そこまで考えて彼は、自分が数式をいじっているときの高揚感が、落ちゲーをやっているときのものと同じであることに気がついた。
ゲームによって細かいルールは異なるが、多くの落ちゲーは、画面上方から落ちてくるブロックやキャラクターに何らかの操作を加え、“床”に落としていく。そして、特定の条件が成り立てば一部のブロックやキャラクターが消えて、画面がキレイになる。上手にやれば、画面をすっからかんにすることだってできる。
数式の場合、画面の上から数学記号が落ちてくるわけではないが、さまざまな文字に操作を加えて変形して、うまく行けばキレイに消えてくれるという意味では、ある種のパズルと言えなくもない。
中学で最初に数学を習ったときは、それまでの算数とはまったく勝手がちがう式操作にとまどった。だが、同類項をまとめたり約分したりといった操作を習うと、次第にそれで式を整理していくことが楽しく思えるようになったのである。
実は、彼は中学の最初の頃、数学が好きだったのだ。
ところがほどなくして、彼の“数学好き”期は終わりを迎えた。いつも通り、嬉々として数式をいじくり回していると、担当教師に突っ込まれたのである。
「こら! 不用意に両辺を未知数でわるな。ゼロかもしれへんやろ。」
「???」
教師の言っていることが、彼にはまったく理解できなかった。
この時点ですでに、彼にとっては数式はパズルのブロックであり、それ以上でも以下でもなかった。文字1つひとつが、本来は数字に対応していることを完全に忘れていたのである。
聞けば、両辺を未知数でわるときは、ゼロの場合とそうでない場合を場合分けしなければならないと言う。たし算・ひき算・かけ算なら何も考えずに計算できるのに、わり算だけ特別なことを考えなければならないのだ。彼の知る限り、落ちゲーやその他のパズルゲームで、そんな細かい例外がルールに含まれているものはない。
また、数式を整理してキレイに消せれば気分がいいが、実際のところ、それほどキレイにはならないこともすくなからずある。もちろん、パズルゲームでも画面がキレイにならないことはよくあるが、それはレベルが上がった場合の話である。
面倒な例外ルールがある上、習っていくらもしないうちに、上級ステージをやっているのと同じ気分を味わされたのではたまらない。彼の常識では、それをムリゲーと呼ぶ。
かくして、彼は数学が嫌いになった。おそらく、中学に入ってから1ヶ月もたっていなかっただろう。明智光秀もかくやというほどの三日天下である。
だが、今回具体的な数字を扱う計算で数式を使ったとき、彼の中で何かがパチリとハマった感覚があった。長い間行方が分からなくなっていたジグソーパズルのピースがようやく見つかり、欠落部分にハマったかのような。
もちろん、パズル全体が完成したわけではない。そこら中、まだまだ穴だらけである。それでもそのピースがハマったことで、“絵”の全体の様子が朧げながら見えたような気がする。
「調子付いてきたところで、あらためて考えてみるか」
2、3本消費したところでジャガコリを机に戻し、ふたたび絵馬に向かう。数学徒Xへの挑戦状。さて、どうしたものか。ただ、漠然と「数学の問題を出そう」では、とっかかりがなさすぎる。
実は彼にはこれ以外にも、学校外から出された宿題があった。今朝、豪から出された暗号解読の宿題。
公開鍵:$${N=2077, e=283}$$
暗号文:$${1189, 465, 1500, 190, 907}$$
ネットで大活躍しているRSA暗号の簡易版なのだそうだ。解いたところで褒美が出るわけではないが、期限もない。放置して忘れてしまってもまったく問題ないのだが、未消化の問題がぶら下がったままなのも気持ちが悪い。
それに、まったく手がかりがないわけでもない。さっき神社に行ったときに、吉栄光比売が暗号の解き方について、ざっくりと解説してくれていたのだ。いわく、「暗号文を何乗かして$${N=2077}$$でわったあまりが元の文章」なのだそうだ。肝心の“何乗か”の部分は教えてもらえなかったが、そこのあたりはネット検索でどうにかなるだろう。なにもとっかかりがないよりは、はるかにマシである。
スマホで“RSA暗号 解き方”で検索すると、いろいろとサイトがヒットした。だが、いくつか試しに開いたサイトにはどれにも共通して、彼がまったく見たことがない数学記号が使われていた。
なんだろう、"$${\equiv}$$"とか"$${\text{mod}}$$"って?
数式はともかくとして、それよりも別の事項が彼の目を引いた。今朝、豪がRINEで言ってきた通り、いずれのサイトにも$${N}$$や$${e}$$といった文字が使われている。彼の言う通り、お決まりの文字のようだ。そのうちの$${N}$$について、次のような説明を見かけたのである。
$${N}$$は、ある巨大な素数$${p,q}$$を用いて$${N=pq}$$と書かれる。
かけ算によって$${N}$$を求めるのは簡単だが、
$${N}$$を素因数分解して$${p,q}$$を求めることは、一般に困難である。
このことがRSA暗号の安全性を担保している。
$${N}$$を求めるのは簡単、だがそれを逆算するのは難しい・・・。これは使えるのではなかろうか?
大翔はいったんサイトを閉じ、今度は“素数”と打って検索をかけた。いくつかサイトを当たり、見つけた数字を$${2}$$つコピーした。そしてそれをスマホの電卓でかけ算し、その結果だけ新しい絵馬に書き込んだ。最後に絵馬の上部に、「次の数を素因数分解せよ」とだけ書いておく。
数学徒Xへの問題はこれでいいだろう。なにせ、大翔は最初から答えがわかっているのである。先日、勢いで答えも分からずに適当に出題したときとはわけがちがう。それでいて、ネットによると、とても難しいタイプの問題なのだ。スマホで計算できるぐらいの大きさなので、ひょっとしたらそれほど難しい問題ではないのかもしれないが、ある程度は手を焼いてくれるのではないのだろうか? すくなくとも、神社の境内の砂だけでは計算できないと信じたい。
「返事ができたから、あとは・・・。」
彼はもう1枚、新しい絵馬をとりだし、数学徒Xからの問題の解答を書き込み、サインした。
To Be Continued…