第10話 情報を活かせるかどうかは工夫次第?
叔父の豪との電話を終えた後、大翔は筆記用具をカバンに入れ、塵劫神社へ向かった。
家から神社の入り口までは100メートルほどしかないが、大翔は周囲を警戒しながらそこを歩いた。数日前に来たときは夕暮れ時で人目もなかったが、今は土曜の真っ昼間である。下手をすると、神社に入るところを誰かに見られるかもしれない。
「ちょっと、千坂さん? おたくの坊ちゃん、誰の家かもわからない茂みに勝手に入って行きましてよ?」
などとタレ込まれてはコトだ。
数日前とは打って変わって、境内の中は明るい。おかげで、境内の入り口からでも全体を見わたせた。拝殿には、見知った先客がいた。
「陽菜ももう来とったか・・・。・・・ん?」
よく聞くと、その陽菜が何か叫んでいる。
「大翔ぉ! 逃げてー!!」
「は? 何を言うて・・・、おお?!」
彼が言い終わるよりも早く、拝殿のすぐ前あたりからすさまじい勢いで白い雪の波のようなものが押し寄せてきた。あわてて引き返そうとしたが間に合わず、足元をすくわれた。
「うおおおおおお!?」
彼を乗せた白い波は、たった今登ってきた20メートルほどの坂道を2秒もかからずに下り降りた。
「あっはっはっはっは!」
「笑い事ちゃいますよ! こちとら死ぬかと思たんすよ?!」
「すまん、すまん。」
吉栄光比売が、大笑いしながら大翔の傷を神通力で直す。
境内をうめつくしていた白い波は、すでに消え失せていた。代わりにいつも通り、ケサランパサランたちがそこかしこでたわむれている。
「まさかとは思いますけど、さっきの波みたいなん、ケサランパサランとちゃいますよね?」
「そのまさかや。こいつらにはすこし、“ネズミ”を演じてもろうた。」
「は? ネズミ?」
「ごめん、私がな・・・。」
だまって聞いていた陽菜が、遠慮がちに口を開いた。
「$${2}$$ のナントカ乗を実際に見てみとうて・・・。」
数日前から2人が取り組んでいる、絵馬に書かれていた問題。
次の数を $${13}$$ でわったあまりを求めよ:
$${2^{2024}}$$
陽菜はどうやら、$${2^{2024}}$$ を絵に表すことから始めようとしたらしい。
「そしたらヨシザカエ様が『見せたる』言わはってん。そしたら、この子ぉらがどんどん増え始めて・・・。」
「増える?」
「最初1匹やったんが2匹になって、それがさらに今度は4匹になって・・・。」
彼女は引きつった笑顔を見せた。吉栄光比売が説明を引き取る。
「いわゆる“ネズミ算式”言うヤツやな。もっとも、本物のネズミの増え方とはだいぶちゃうけど。さっきは、1秒に1回の割合で倍々にしてやった。」
彼女の言い方からすると、どうやら神通力かなにかで増やしたようだ。よかった。これが連中のデフォルトだったら、あらゆる意味で身の毛がよだつ。
「ネズミやのうて、単細胞生物とかの増え方なんすよ、それ。」
「ちなみに、お主が連中にさらわれた時点で18回目の倍加が始まってたわ。数で言えば、20万匹にさしかかるぐらいやな。」
たしかその時点で、境内は真っ白になっていた。あれでまだ $${2^{18}}$$ か。
「仮にあのまま $${2^{2024}}$$ 匹まで行ったら、どうなっとったんです?」
「単純に計算すると、全宇宙をケサランパサランでうめ尽くしても、$${500}$$ ケタ以上たらんな。」
「まさにケタ違いっすね・・・。」
1匹はたかだか野球ボール程度の大きさしかないくせに、宇宙を超えるか。おそるべし、ネズミ。
「ほんで、どやねん? $${2}$$ のナントカ乗を目で見た感想は?」
大翔に話をふられると、陽菜は目を泳がせた。
「・・・・・・。すごかった・・・。」
「うん。$${617}$$ ケタって聞いたときの感想と大差ないな。」
「う・・・。」
「$${617}$$ ケタ?」
吉栄光比売が片眉を上げた。
「ん? 先生、この前言うてたやないですか。『$${2^{2024}}$$ は $${617}$$ ケタや』て。」
「いいや? $${2^{2024}}$$ は $${\textbf{610}}$$ ケタやぞ。」
「え、あれ? そうでしたっけ??」
「$${2^{2048}}$$ ならわかる。それならたしかに $${617}$$ ケタや。」
「ん!? $${2048}$$・・・。」
どこかで聞いた覚えのある数字である。それも、ついさっき。
「あ、そうや! RSA暗号や!」
さきほど、豪に電話で聞かされた話である。RSA暗号に使われるバカでかい数字があって、それがたしか $${2048}$$ ビット、$${10}$$ 進数で $${617}$$ ケタだと言っていたのだ。もっとも、“ビット”とやらがどういう単位か、その時点ではわからなかったのだが。
「なに? あーる・えす・えー暗号って?」
陽菜が首を傾げる。大翔は上杉暗号と、豪が即興で作った“リフルシャッフル暗号”について、かいつまんで説明した。
「ふうん? それがRSA暗号なん?」
「いや、違うはずや。えっとこれはたしか・・・。」
「公開鍵暗号の説明やな。」
大翔の説明が詰まったところで、吉栄光比売が助け舟を出す。
「公開鍵暗号は、暗号化の鍵と情報復元の鍵が違うのがミソなんやが、それが初学者にはわかりにくいことが多い。りふるしゃっふる暗号とやらは、それを簡単に説明するためのもんやろ。」
「へぇー。」
陽菜が感心したような声を出す。あまりピンとは来ていないようである。
「先生、暗号もいけるんすか?」
いかに数学の守護神とは言え、“暗号”というキーワードと目の前の女神とはなかなかイメージが結びつかない。
「一応、基本的な理論だけはな。お主らが使うてるいんたーねっととやらが、具体的にどういう仕組みで動いてるかまでは知らへんよ。」
「ああ、やっぱりっすか。」
「わらわはむしろ、お主が暗号について知ってることの方が意外やぞ。誰かに聞いたんかえ?」
「はい。叔父さんがその手の話に詳しくて、さっき電話で。で、RSA暗号解読の宿題まで出されました。」
「え? 宿題増えたん? どうするんよ、絵馬の問題もまだ解けてへんのに・・・。」
「俺に言うなや。俺かて別に『宿題くれ』とは言うてへんわ。」
「ちなみに、どんな問題や?」
大翔はRINEアプリを開き、スマホを吉栄光比売にわたした。彼女が、さきほど豪が送ってきた宿題を確認する。巫女装束に羽衣をまとった女神がスマホを操作する姿は、なかなかにシュールである。
「これは、叔父殿がお主にあてた文章っちゅうことでええんか?」
スマホを見たまま吉栄光比売が言った。
「へ? まあ、たぶん・・・。」
吉栄光比売はゆっくり顔を上げてこちらを見ると、「フフッ」とイタズラっぽく笑った。
「え、なんすか?!」
「いいや。ただ、これは意地でも大翔が解読せなあかんやろなぁ。」
「え、どういうこと?! てか、今、一瞬で解いたんすか?!」
「解いたよ。わらわを誰や、思てる?」
「まあ、そりゃあ、数学の女神様ですけど・・・。」
そこで、陽菜が会話にわりこんできた。
「そもそもの話、なんで叔父さんと暗号の話なんかしたん? どういうなりゆきでそんなコムツカシイ話になるのん?」
「ん? そういや、なんでやったかな・・・? ああたしか、『フェルマーの小定理って何?』って聞いたからその話になったん違たかな?」
「何それ? ていうか、そもそもなんでそんなキーワードが出てくるんよ。」
「えーと。あ、この前ここから叔父さんに電話してたやん。そのときに例の計算のヒントでその名前だけ聞いてんけど、細かくは説明されへんかったから聞いてん。」
「え・・・。それ、カンニングちゃうん?」
「へ・・・?」
「だって、こないだの電話で貰たヒントなら、あまりの計算に関係があるんやろ、それ? ほな、今回の絵馬の問題にも使えるかもしれへんやん。」
一瞬、幼馴染の言っている意味がわからなかったが、次第に理解が追いついてきた。そして、ずっとネットでの検索が禁止されていたことを思い出し、大翔は寒気を感じた。
吉栄光比売が冷たく笑った。
「ネイピア数10万ケタを詠唱するんと、もういっぺん白い波に押し流されるのと、どっちにするか選ばせたげるわ。」
「いやいや、どっちも勘弁してください! そこまで頭回ってませんでしたって!」
「・・・ふうん。で、フェルマーの小定理を知って、宿題は解けたんかえ?」
「・・・や、ぜんぜん・・・。」
「ふん。ほな、まあええわ。」
「ふううううー。」
すんでのところで“天罰”を回避し、大翔は安堵のため息をついた。
「せやけどお主、フェルマーの小定理を知ってても例の宿題が解けんとあっては、RSA暗号なんぞ絶対に解けへんえ?」
吉栄光比売が大翔のスマホを指さして言った。
「へ? なんか関係あるんですか、それとこれと?」
「直接は関係ないが、暗号を解く中で似たような計算が出てくるんや。似たような、それでいて、例の宿題よりだいぶメンドくさい計算がな。」
「・・・たとえばどんな?」
吉栄光比売が2人に豪からの宿題を見せた。
公開鍵:$${N=2077, e=283}$$
暗号文:$${1189, 465, 1500, 190, 907}$$
「たとえばこの $${1189}$$ をもとの文章に戻したかったら、$${1189}$$ を何回かかけ算して $${N}$$ でわったあまりを求める。」
「$${N}$$ て・・・。ひょっとしてこの、$${2077}$$ いうヤツですか?」
「そうや。」
「マジか・・・。$${13}$$ でわるどころの騒ぎちゃうぞ・・・?」
「せやし言うたやろ? 『似てるようでもっとメンドくさい問題を解かなあかん』て。」
なるほど、問題の形はほぼ同じだが、登場する数字がいずれも大きく、それでいて実にキリの悪い数字である。
「ほなやっぱり、まずは絵馬の宿題を解かなあかんね。」
「んー。まぁそうなるか・・・。」
大翔としては、できれば絵馬の宿題も暗号の宿題も避けたいと言うのが本音だった。なにせ、ここ数日宿題に追われて、オンラインゲームもロクにやっていなかった。このままでは、そのうち友人たちに忘れられるかもしれない。
だが彼のそんな気持ちは、幼馴染の次の一言で吹き飛んだ。
「なあ。さっき言うてたナントカの定理ってどんなん? 私にも教えてぇな。」
やばい。
例の定理は、三角関数の定理や微積分に比べれば、ずっとシンプルな内容だ。陽菜は数字や数式がかなり苦手ではあるが、あの定理ならさすがに内容を理解できるだろう。
下手をすると、聞いた瞬間に絵馬の宿題を解いてしまうかもしれない。
「いやいや。それはカンニングとちゃうんかい?」
「なんでぇな。もう大翔は知ってるんやろ? 私だけ知らへんの、不公平やん。」
「・・・・・・。」
「何が不満でしぶってんのか知らんけど、わらわが教えたってかまへんにゃで、別に?」
吉栄光比売があきれたように言った。
そうだった。ここには生ける数学がいるのだった。隠し立てしても意味はない。
大翔はしかたなく、豪と電話したときにメモしたルーズリーフを取り出し、陽菜に見せた。
$${p}$$ は素数
$${a}$$ は $${p}$$ でわり切れない整数
このとき、$${a}$$ の $${(p-1)}$$ 乗を $${p}$$ でわったあまりは $${1}$$
陽菜はメモを手に取り、ポソポソと読み上げた後、おもむろに首を傾げた。
「ふうん? そうなん? なんか、あんまりピンと来いひんけど・・・。」
「まあ、それだけ見ててもなぁ。」
大翔はさらに、別のメモ書きを取り出した。数日前、この神社で“$${100}$$ ケタの数わる $${7}$$”の計算をしたときのメモ書きである。
「6行目見てみぃ。"$${1000000\div7=142857\ \cdots\ 1}$$" やろ? ためしにその定理に、$${a=10}$$ と $${p=7}$$ 代入してみろや。」
ついさきほど、豪に言われたのとほぼ同じセリフを幼馴染に話す。それを聞いて、陽菜の目線が定理の文章の上を行き来する。
「ああ、ホンマや! たしかに成り立ってる!」
陽菜は驚きの声をあげた・・・が、すぐにまた首を傾げてしまった。
「ん? じゃあ、$${2}$$ と $${13}$$ でも同じことしたらええのん? そやけど、問題文とぜんぜん違う式にならへん?」
$${2^{13-1}=2^{12}}$$ を $${13}$$ でわったあまりは $${1}$$
「え、合うてるよね? だって $${13}$$ って素数やし、$${2}$$ は $${13}$$ でわり切れへんやろ?」
陽菜が、定理の前半の文章を指でなぞりながら言う。
それを聞いて、大翔は内心舌打ちした。
自分と同じミスは犯さなかったか。やはりこの少女、あなどれない。
「えええ・・・。じゃあ、やっぱり使えへんのかなぁ・・・。」
「まぁ、この問題にその定理が使えるって保証は別になかったしな。情報はあくまで情報や、答えとは限らん。情報は精査せなな。」
大翔がここぞとばかりに見得を切った。後半はすこし早口になっていた。
すると、後ろから手刀で頭をこづかれた。
「こらこら。それはどうせ、どこぞの誰ぞの受け売りやろ。」
「は?! なんでわかるんすか?!」
「わからいでか。セリフがまったく板についてへん。バレバレや。」
大翔は苦虫をかみつぶしたような顔をした。とりあえず、となりの幼馴染がジト目でこちらをにらんでいることには気づかないふりをする。
「ええか。たしかにその定理を使うても、問題文と同じモンは出て来やへん。それでも大きな手がかりになることは間違いない。よーお、考えてみなはれ。」
そう言われて、2人はそれぞれに思案を始めた。陽菜は、$${2^{2024}}$$ と $${2^{12}}$$ を書きならべ、腕組みをして考え込んでいる。
大翔も空中をながめて考えるが、虚空に答えが浮かび上がるはずもなかった。しかたなく、数日前の自分のメモを、何とはなしにながめた。すると、数日前の記憶が唐突によみがえって来た。
「そうや、思い出した!」
To Be Continued...
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