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おばあちゃんのこと

お坊さんに「他の人にどうか伝えていってください。」と言われたものの、いやどうやって?、と疑問に思った私。noteを利用して文に残せば良いのではと閃いたものの、思ったより仕様が複雑で頭こんがらがってます。記事書くのに辿り着くまでがめっちゃ長いな...。引用?リンク?知らない子ですね。とりあえず私は文が書きたいので文字ばっかです。よろしくお願いします。

でもその前に。これは私の祖母が亡くなったことについてのお話です。とにかく永遠に「死」とか「火葬」とかの話をします。暗いと思うので、嫌だなと思ったらいつでも読むのを止めてくださいね。自衛大事。とはいえ読んでくださると私は喜びます。


いや、1ヶ月経ったのにいざ状況を思い出して書こうとするともう泣きそうだな。

では始めます。


報せ

大好きなおばあちゃんが亡くなりました。あまりにも突然に。

報せを聞いたのは早朝。電話を取った父が母に教えに来た物音で目が覚めました。二人でリビングに移動する音が聞こえます。その時のやり取りも聞こえていたので、状況から母方の祖母のことだなとぼんやり思いました。


まず浮かんだ心情は、「やらかした。」でした。母は祖母の病院に付き添ったり薬のスケジュール (朝は何番を何錠飲む、みたいな) を管理していたりしていたので、最近は週2くらいのペースで電話をかけていました。
一方、私は多忙を極めていて、毎日同じような単調な日々の繰り返し。最初は電話を替わって寒いねーなどと話をしていましたが、だんだんと話すような新しい話題もこれといって無くなっていき、「今回は替わるのなしで」ということが増えていきました。

祖母が亡くなった夜、その日の夕方も母と電話をしていたんです。そして2回連続で替わるのをブッチしていたにもかかわらず、ちょっと迷った挙句私は母からの「替わる?」ジェスチャーにその日もNOを示してしまいました。本当に今更ですが、次くらいには話そうと思っていました。「このことを後に一生後悔する事になる」というベタ展開になってしまいました。本当にやってしまったな。

あとは、今あまり話せていない分、忙しい状態が過ぎて春になったら会いに行こうと思っていました。コロナがもう少しして落ち着いたら遊びに行くからね、とよく伝えていたものの、電車で行こうと思えば行ける距離なので、正直これはもうコロナを盾にしていたようなものだと思います。「今は我慢させちゃってるけど、あとちょっとしたら...」と本気で思っていました。その「あとちょっと」が永遠になる可能性なんて微塵も考えていませんでした。我ながら激甘思考です。


その次の感情は、「正直何をどうすれば良いか全く分からない」でした。幸運なことに、この歳になるまで一度も親戚を亡くした経験がなかった私。同級生は数名亡くなってしまっていますが、実際にご遺体に対面するというのは、小学生の頃習っていたバレエ教室の理事長先生の時以来全くありません。バレエ団がやっているバレエ教室に通っていたので、その団の理事長先生。もちろん会ったこともない上〜のお立場の人。バレエ団の練習場所でもあるバレエ教室の本校にみんなで行き、そこで眠っている理事長先生に生徒全員一本ずつお花を手向けました。本当に全然知らない人でしたが、それでも当時のシンとした厳かな空気感や理事長先生の眠る様子などは今でも思い出せます。

でも今回はあの時と違う。ただの参列者ではなく当事者です。でも今日は祖母の家に家族全員で行くのかな、くらいしか思いつきません。行ったところで何ができるのか...。


私も起きた方が良いのか、でも横になってるだけでも良いから休んでろと言われそうだ...と悶々と考え、ちょっと泣いていたらいつの間にか気絶してました。なんてこった。


準備

夜中電話に出なかった母は叔母にめっちゃ怒られたそうです。死因は入浴中の心停止。それだけ告げて両親は飛んで行きました。結局私だけお留守番 (やっぱり行っても役に立たないので) 。多忙なのは本当なのでやるべきことを一人でやっていましたが、これがまぁ手に付かない。なんだか変に意識が覚醒していて、あれもこれもとタスクを思い出しては5分ごとにやっぱりこっちを先に...とやることを変えていました。集中なんてまるでできていない。

夜になって両親が帰ってきました。どうやら翌日も行くらしい。母がその時の祖母の様子を教えてくれました。

「おばあちゃんね、眠っているみたいだったよ。」 ・・・。
「全然苦しそうな顔してなかった。だから安心してね。」 やめて。
「明日また行って、おばあちゃんにお団子作ってくるから。一緒に棺に入れて、おばあちゃんに持って行ってもらうんだよ。」

決壊。昼は祖母のことを考えまくっても出てこなかった涙が、お団子の話で限界を迎えました。急にあり得んくらい泣いた (なおこれを書いている今も泣いている) 。

そんな私に母は泣き腫らした目で、それでもとびっきり優しく「どうしたの?急に寂しくなっちゃったのかな?」と背中を撫でてくれました。今客観視すると親として最適解の声の掛け方だったと思います。自分が一番辛いのに。一方私は何も答えられませんでした。なぜ自分が号泣しているのか全然分からなかったからです。寂しいって感じじゃないし、悲しいもなんか違うような。うーん、今もよく分からないんですが、やっぱり「自責の念」だったのかなーって思います。


翌日。再び一人になった私は、棺に入れるお手紙を書くことにしました。高校の部活引退の時に使ったかわいい便箋が余っててほんと良かったです。危うくシナモエンジェルスになるところでした。↓ 祖母は気にしないでくれるとは思うけど、なんか、うん。

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結果べしょべしょになりながら2時間かかりました。多忙とはいえ、この2時間は仕方ないですよね。ここケチったらちょっと駄目かなって思います。あんな出力MAXレベルで長時間泣いたことはなかったな...。祖母がいなくなった悲しみもあれど、とにかく自己嫌悪がすごくて。初めて外にこの気持ちを出して、文字に起こして懺悔をしたためました。おばあちゃん、唯一の孫がこんなのでごめんね、本当に情けなくて申し訳ないです。

ちなみにこの頃、母が「面白いこと言ってくれないと涙が出てきちゃうよ...」とか言ってくるので、母の前では道化を演じることになってました。そりゃあ娘と孫じゃショックの大きさは違うって分かりますけど、辛かったですね。仕方ないので毎晩一人になった時だけ隠れてサイレントで泣いていました。そしてやっぱり日中の作業は全くと言って良いほど進まなかった。やれやれ。


お別れの日

そしてさらに翌日、いよいよお別れの日。家族全員で向かいます。
ちなみに家族葬だったので、この日の主な登場人物は、祖父、母、叔母 (母の妹) 、叔母の夫、父、私です。

着いたらすぐに祖母に会いに行きました。例のお団子もちゃんとありました。母と二人にしてもらって、お顔を見て...。前に母が言っていた通り、本当に眠っているように安らかだったので、結構安心したのを覚えています。壊れたらと怖くて軽くしか触れなかったけれどほっぺもおでこもプニプニ、手も多分感触は普通だった。でも、ドライアイスのせいでひんやりと冷たい。生気がない。変に現代人だからか、最近の「人間に限りなく寄せたロボット」とか「人工皮膚」ってのはこういう感じなのかなーとか考えていて、意外と冷静になれていました。ただ、しばらくあの感触のものは触れないかな...何と言われると例えが出ませんが。魚とか?

で、祖母と私がお話するということだったんですけど、隣の母がめっちゃ泣きながらずっと祖母に喋りかけてるんですよ。意外と冷静だったって言いましたが、自分以外の人が自分以上に緊張していて、逆に緊張しなかった、みたいなのあると思うんですけど、そんな感じでここでの号泣は回避することができたんだと思います。一昨日も昨日も会ったんじゃ...と思わずよぎりましたが、まあそうなるよなぁ。母も自分で言っていたけど「あと数時間で本当にお別れ」だもんなぁ。特に母は長女だし、遠くに住んでいる叔母よりここ数年祖母に会う頻度は高かったわけで、「気づいてあげられなかった、守れなかった」という思いが強かった。この「気づいて」云々については、「投薬チェックしてたんだから違うんじゃない?」と思われる方もいらっしゃるかもですが、ちょっと色々あってですね...。詳しくは言えませんが、もっと私自身も何か祖母にしてあげられたのではないかと反省するところです。

ということで、実際私は遅くなってしまってごめんということと、お手紙書いたから後で渡すね、読んでねということだけお話しました。心の中で会話したから他は良いのだ...! (手紙にほとんど書いたとも言う)

祖父は居間でずっと下を向いて黙っていて、声をかけてみたものの、口を開いたと思ったら祖母を発見した時の状況をそれはもう事細かに教えてくれました。結果、双方ダメージを負うことに。会話がひと段落して少し静かになっただけで祖父はまた口をへの字に曲げて下を向き、電源がOFFになって自分の世界に帰ってしまう感じでした。ただ、119番にかけるべきところを焦って110番し、そのまま喋っているとオペレーター (?) が内容から判断して119番に繋ぎ直してくれるらしい、というライフハックを得ました。まじ?


火葬場にて

時間になると葬儀屋(?)のおじさんたちが家に来て、祖母をくるんで運び出します。火葬場に向かうための車に乗せるのですが、ここも結構辛かったです。家族で一人だけついて行って、車に寝かされたまま入る祖母を見て家の入口でべそべそやっていました。

その後別の車で一緒に火葬場に行きました。前室 (霊安室?) で祖母を棺に入れて、事前に用意した品々を全員で入れていきます。元から入れることになっている杖、草履、扇、お札、お金、お団子などなどはきちんと意味があって興味深かったです。他にはよく着ていた洋服、祖母が好きだったたくさんの種類のお花や果物、そして最後に私のお手紙を入れました。もう顔はべしょべしょです。マスクが煩わしいったらない。

ちなみに、数日前に母から「棺に一緒に入れておばあちゃんに持っていってもらいたいものはある?」と訊かれた私はいちごをリクエストしていました。祖母の好きなものを入れたい、さてなんだろう、となった時に、私は何度目かの絶望を味わうこととなりました。
祖母は私の好きな食べ物、キャラクター、服をかなり把握していて、大きくなった私にもずっといろいろプレゼントしてくれました。が、その反対は?私は祖母の好きなものを何か知っている?知らなかった。一つも。これは燃えないから今回はダメだね〜とかふるいにかける以前の問題。一つも自信を持って候補を挙げらなかった。そこで何とか捻り出したのがいちご。作ってもらった私の好きなごはんをたくさん食べた後にいちごが出てきたけれど、満腹だなーと思っていた時、祖母も一緒に食べたいちご。結局私の好物ということになるけれど、食べてたなという理由。本当に良くないなぁ...と自己嫌悪しつつ母に言っておいたら、買っておいてくれたので入れてあげることができました。それを見た祖父、いちごは祖母が好きだった果物だ、と号泣。なんと祖母の口元の両脇に置いてあげていました。胸を張ってセレクトできたわけじゃないけれど、間違ってはいなかったようでとても安心しました。

そして、とうとう出棺。少し前に火葬場でのバイト事情を偶然ネットで目にしていたため、ここからちょくちょく謎の「あぁ、これが...。」が始まることとなったり。
木製の棺に入って蓋をされた祖母は、火葬されるオーブンの中に入っていきました。「それでは、お別れです。」と言われ鉄 (?) 製の重そうなシャッターが閉まっていき、2,3人のスタッフさんがシャッターに向かって深々とお辞儀をした時、本当にもう会えないんだと実感が湧いて感情がクライマックスに。冗談抜きで人生で一番泣いたのでは?6人中一番泣いていたのは確実に母ですが、次は私だった自信がある。人目とか気にしてられなかったので顔面シワシワだったと思います。イメージこんな感じ。↓

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その後お焼香をして (ルール全然わかりませんでした。見よう見まねでやりましたが、塩2つまみレベルは少量だったっぽい。家族葬だからやらないと油断してました、調べておけ自分〜) 、お坊さんの話を聞いてから待機部屋へ。ここで冒頭でも書いた「お孫さん (バレとる) は亡くなった方のことをどうか周りに伝えてあげてください。」と言われ、とにかく頷いたものの、いやどうやって?と思ったり。雑談 (話題は激重) して30分待ったら火葬が終わったとアナウンスをもらったのでさっきの大部屋に戻りました。

さっきの重々しい扉が開いて、祖母が運ばれてきたんですが...。叔母は息を呑んでいましたが、自分は意外と冷静でした。というのも、見送った姿とは大きく変わってしまっていたから。鉄扉が閉まったら、実は向こうで丸ごとすり替えられていて、ジャーン、みたいな感じなのでは?と思ってしまったくらい。棺も木製だから、金属のストレッチャーの上には本当に骨しか残っていません。本当それだけ。しかもちょっと。あんなに棺いっぱいにしたのに、全部燃えてしまいました。服も、花も、果物も。というか、基礎的というか根本的な話なんですけど、骨が思っていた感じじゃなかった。てっきり骨格標本みたいにはっきりしっかり燃え残ると思っていたのですが。拳サイズも珍しいくらい、結構砕けて小さくなってしまっていました。細い、薄いというのはまぁ年齢かなと思いますが、人間の骨とは意外と高温に弱いんですか?

恒例らしい「これが喉仏の骨で、仏像みたい」トークを聞き (ここ「あぁ、これが...。」ポイント) 軽く各部位の説明を聞いた後、お箸で骨壷に収めていきます。大きめのを選んだのですが、かなり軽くてカサカサでした。最後の方はもはや粉状の骨を、スタッフのお兄ちゃんが残さず丁寧に入れてくれました。ちなみに、この間にも次の方のための準備が始まっていて、途中からは会場の5つのオーブンがフル稼働という感じでした。想像以上に忙しいんだな...としみじみ。

骨壷を位牌や写真とまとめて置き、みんなでお祈りをして、その後持って帰りました。火葬場を出ると、この時期にしては太陽が暖かくて、とっても澄んだ、雲ひとつない青空でした。この時私たちの話題は、顎の骨のことで持ちきりに。骨の説明の時、割としっかり残った状態の下顎の骨を見せてもらった我々。この下顎の骨だけ、ピンク色だったんですよ。送り出す時に、祖母の口元には何があったか覚えている方はいらっしゃるでしょうか?そう、いちごです。私が棺に入れてとお願いして、祖父が泣きながら口元に2つ置いてあげたいちご。なんだか祖母が最後に食べてくれたような気になりませんか?焼き加減で骨が色づくことがあるらしいってことは頭のどこかできちんとわかっています。だけど。どうしても、いちごで骨が赤くなったんだって思いたくなってしまいます。きっと食べてくれたんだねーと盛り上がりました。


家に戻ってからは祖父が「もう、終わったのか。終わったんだなぁ...。」と呆然としていました。それからみんなでお寿司を食べました。いつも祖母が座って、食べる私を見てくれていた席には母が座っている...という違和感・切なさがありました。これは余談ですが、人生で初めて食べたあら汁がめっちゃ美味しかったです。


それから

報せを受けてからの怒涛の数日の話はもう大体書いたので、あとは小ネタをちょっと書いておしまいです。文章書く時間&メンタルがある時にちまちま書いていたら、もうとっくに四十九日も終わってるのですが。なんなら3ヶ月経ってる。嘘だと言ってくれ。

祖母が生きている時は、祖母が何か注意しても「いいんだ」ばっかりで頑固だった祖父ですが、すごーーーく落ち込んでいる今見ると、なんか...思っていたよりも祖母を愛していたんだなぁ、と外野ながら思ったり。あとは父の潤んだ目を見るの、もしかして私初めてでは?と思ったりした出来事でした。
祖父は祖母よりも歳上なので、「俺の方が先に死ぬんだ」も口癖だったんですよ...。まさか先に逝かれちゃうなんて考えてなかったぶんショックが大きいのかな。あとは普通に、結婚して60年は経ってると思うんですよね。それだけ長年連れ添っていた人が突然隣からいなくなっちゃった悲しさは流石に想像を絶する。私もこんな感じで一生を添い遂げられるような人に巡り合えたら素敵だなぁ。ハハ。

これは怒られるかもですが、実は祖母がコロナで亡くならなくてよかったと思っている私がいます。今回のケースでもだいぶ私は耐えられないのに、もしもコロナだったら?私はおろか母親さえ祖母に対面できないまま火葬場に運ばれて、祖母かどうかももう判別できない骨の状態にならないと会えない。そう考えるともう怖すぎです。初めての身内の死、それも4人の祖父母の中でダントツ一番私を可愛がってくれた祖母の死。最後に会えないというのは厳しすぎます。コロナで亡くなった方の遺族はこれ以上苦しむんだろうな...と衝撃でした。

あと一瞬ですが人付き合い怖くなりましたね。祖父母3人と両親2人、その他年上の親戚は全員私が生きているうちほぼ確実に同じことが起きるんだと思うと目の前が真っ暗になりました。私昔から考え始めると一気に極論まで突っ走る傾向にあるので、年上と仲良くなるの怖いな、とまで思考が突き進んじゃいました。でも少し経って、同い年だろうが年下だろうが私の方が先にいなくなるとは限らないということにも気づいて、じゃあ人間全員と仲良くできないじゃん!それは無理!となって諦めましたw


今も続く私個人の変化としては3つ。

1つ目。お葬式のCMに敏感になりました。こんなにテレビで家族葬のCMやってました!?初めて意識するようになったからでしょうか、知らないお葬式のCMが何種類もある。あとは開店祝いみたいな花輪をお葬式の時に玄関前に飾ることがあると聞いて、何それ?と興味本位で一回Yahoo!で検索してしまったがために、しばらくマイPCのあちこちに斎場の広告がチラつくことになって大変でした。メンタルが。興味もないけど前に広告で出てきたものとかあえて検索して上書きしようとしたんですが全敗。驚きのしぶとさ。最近やっと落ち着いてきていて、cookieとの戦いに勝利しつつあります。

2つ目。人が一人亡くなるとめちゃくちゃ周りの人が泣いて悲しんで傷つくということを今回目の当たりにしました。自分が消えても世界は何も変わらず周り続けるとよく言うし、そらそうだと思っていますが、「いつも通りの世界に見えるけど、祖母はいないんだぜ...」みたいな感傷に実際めちゃくちゃ浸りました。人間は脆い。なので、自分で人生を終わりにすることはやめた方がいいんだなと今のところ思います。

最後は、今まで話し言葉でポロッと使っていた、比喩としての「死ぬ」という言葉を折角なので使わないように決めたこと。「死ぬほど〇〇」って結構使っていたので、もっと上品に生きていこうかなって。もうこの活動(?)は実生活に取り入れていて、この前の卒業研究発表会でガチガチに緊張していた時、「緊張する〜〜〜死んじゃう〜〜〜」と友達に言いたかったところを「緊張するヤバいヤバい本当どうしよう緊張ヤバい」に替えることができています。うん、全然上品じゃないな?語彙力を増やさない限り、エレガントへの道はまだまだです。頑張ります。


...ついでにこれはオマケですが、喪主が私の番になったらどうするんだろう、と漠然と不安になっています。今回、母には叔母がいたため、準備とか方々への連絡とか契約とかを祖父に代わって二人でやることができていました。でも、私は一人っ子です。全部私一人でやるんでしょうか。やるんだろうなぁ...。精神保つかな。こんなことはさすがに親に話せないので、一人で最近モヤモヤしております。心配。



春です。今年の冬は例年より寒くて、祖母には寒すぎて、あっという間に祖母を遠くへ連れて行ってしまいました。そんな冬はやっと過ぎ去り、私は新生活がスタート。どこかで祖母が見てくれているという気持ちで背筋を伸ばし、祖母が誇れる孫であれるように頑張らねばなと思います。


最後まで長々と読んでくださってありがとうございました。私なりに推敲しましたが、文章書くの恐ろしく下手なので読みにくかったらごめんなさい。

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