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粒≪りゅう≫  第十八話[全二十話]

第十八話

 

 その後、粒は、気持ちが落ち着くと、今度は星加の手に、星加の年の数だけ豆を数えていった。星加の豆の数は、28粒だった。


 
 星加は、幼い頃によく、母方の祖父母の所に遊びに行っていた。祖父母のことが大好きで、特に祖父と連れ立って、公園などに出掛けていた。
 
とある日、その日も星加は、祖父が漕ぐ自転車の荷台にまたがり、ふたりで公園を目指していた。星加の祖父は、物凄くパワフルな人で、自転車の速度も、めちゃめちゃ速かった。
幼い星加は、それが楽しくてたまらず、祖父にしがみつきながら、ビュンビュン飛んでいく周りの景色や、全身に体当たりしてくる風を楽しんでいた。
 そして、あまりに楽しくて興奮し過ぎた星加は、祖父に、重々注意をされていたにもかかわらず、足をバタバタと動かしてしまった。次の瞬間、ばたばたと動かした足が、その星加の、まだ細くてか弱い足が、容赦なく回り続ける車輪に巻き込まれてしまった。
 星加の足を巻き込んだ自転車はひっくり返り、祖父が慌てて星加に目をやると、星加の足が大変な事になっていた・・・。


「僕が、祖父との約束を守らなかったために起きた事故なのに、祖父はひどく悲しみ、自分を責め続けたのです。」
「その事故で、僕は右足を痛めてしまいました。幸い手術は成功して、歩くことは出来るようになったのですが、走ることが出来なくて・・・。」
「祖父は、光翼はもう走ることが出来なくなってしまった。友達と、鬼ごっこや、野球やサッカーや、いろんなことをして遊びたかっただろうに。じいちゃんのせいで、ごめんな、と、何度も何度も僕に謝るのです。何度も何度も。」

「僕は、祖父に本当に申し訳ないことをしたと、ずっと思っていました。自分の不注意で、自分を傷つけてしまい、そして、祖父を傷つけた。祖父は、僕が大きくなって走る姿を、野球やサッカーや、いろんなスポーツに夢中になっている姿を、見たかったに違いない。楽しみにしていたに違いないのに。」

「僕が、足の自由がきかなくなってから、祖父はよく本を読んでくれるようになりました。それまでは、祖父が本を読んでいる姿は、あまり見かけたことがなかったのですが。きっと、あれやこれやと図書館や書店で、僕の喜びそうなものを、見つけてきてくれていたのだと思います。」

「今の僕があるのは、祖父のお陰なんです。」
「僕が、本を大好きになったのは、祖父が沢山の本を読んで聞かせてくれて、本の素晴らしさを教えてくれたから。僕が、作家になったのも、編集者になったのも、祖父の影響なのです。そして、日和さんとこうしてお話できるのも・・・祖父のお陰なのです。」

「僕のペンネーム。あの名前は、祖父の名前なのです。残念ながら、祖父に、その名前の入った本は、見せることが出来なかった。早くに亡くなってしまったので。」


 星加にも、積み重ねてきた様々なものがあって、今、ここにこうして存在しているのだ。
そう思うと、粒は、この世界、宇宙にまで意識が飛んで、全てのものを、とても尊く感じた。


 以前、粒は、星加と病院で偶然出会ったことがあった。きっとあの時、星加は、足の事で病院に来ていたのだなと、粒は思った。そうだったのか・・・。
 
 粒はあの時、病院の庭園で、パート先で転んで検査に来たのだと星加に伝えたら、「大丈夫ですか」と心配され、そして、少し笑われた。
 粒は思った。

“へんてこりんな考えなのかもしれないけれど。私が走り回る理由は、星加さんの分も走るためなのだ。きっと。だって、私はいつもふたり分走っているもの。これからも走り続けると思う、ふたり分。ただし、こけないように注意して”

と。


 

 あの日、二人で豆を食べた日、粒は、星加との別れ際

「星加さん、私、個人情報に変更があります。」
「私、苗字が【日和】から、【如月】に変わりました。」

と伝えた。
すると、星加は、切れ長の目をまるくして

「え、日和さん、ご結婚されたのですか?」
「え?あれ、ご結婚されていたのですよね。確かお子さんもいらっしゃって。あれ、え?」

“星加さんは、名前が変わったと聞いても、『離婚して、旧姓に戻った』という事を、すぐに連想しないのね。え?ひょっとして、私が離婚して、再婚した、と、そう思ったの?そうなの?”

「星加さんは?星加さんは、ご結婚はされていないのですか?」

粒は、星加を、こんなに長い時間拘束しておいて、星加に、こんなにいろいろ告白しておいて、そして、星加を、こんなに凄く愛おしく思っておいて、自分は、今更そんなことを聞いてどうするのかと思った。
それに、星加は粒に「一目惚れをした」とか、「会うたびに、どんどん好きになってしまって」とか言ってくれたではないか。

でも、粒はそう尋ねた。

“そういえば、一人暮らしだと言っておられたな。けれど、単身赴任中かもしれないし・・・星加さんが既婚者だったとして、私に対する想いは、一時の気の迷いだという事もあるし・・・やっぱり、こんな素敵な人が、私にそんな気持ちを抱くなんて夢みたいなはなしだし・・・” 

粒は、頭の中で、もの凄いスピードで考えつつ、星加の答えを待った。

「僕は独身です。」

星加の答えを聞いた粒の中に

”そうだったんだ”

と、納得する思いと、ほっと安心する気持ちが同時に湧いた。
 
 思えば粒は、星加が結婚しているのかどうかという事を、これまで意識していなかったように思う。何となく、勘で感じとっていたのか、どう見ても星加が、結婚しているようには見えなかったのか。
だから、星加に対して、初めは緊張したりもしたけれど、遠慮のない、厚かましい態度をとってしまっていたのかもしれなかった。
粒は思う、

“私は、星加さんの前で、割と、ありのままの自分をさらけ出していたような気がする。星加さんだから、そうできたのだとも、思う。結婚されていると知っていたら、感じとっていたら、いくら私でも、もう少し控えめに接していただろう・・・”

と。そして、更に思う。

“それにしても・・・どうして、こんなに身も心も美しい人が、よくどなたかの配偶者にならずに、今日まで過ごしてこられたものだなぁ”

と、感慨深く粒は、星加の顔をまじまじと見た。

“でも、まだ若いし、これからと言えばこれからだけどね”

粒にとって、星加の口から発せられた、粒に対する想いは、もう”死んでもいい”と思うくらい、それはそれは嬉しいものだった。
粒には、星加の存在が、自分にとって、なくてはならない存在になっている。出来る事ならずっと一緒にいたいと心から願う日々を、粒は送っているのだ。
でも・・・いくら変わり者の自分でも、今は勢いに流されてはいけないような気がした。冷静にならなければ、と自分に言う。
大切な存在であるからこそ、星加にも、幸せでいて欲しいと、強く願うから。

”星加さんは素敵な人だ。星加さんにお似合いの人がどこかにいるはずだ・・・”

そして、粒は

「星加さんは、これまで、好きになられて結婚を考えられた方は、いらっしゃらないのですか?」

と、お節介な質問を、投げかけてしまった。
訊ねたと同時に、やめておけばよかったと、ちょっと思った。

“いなかったから、結婚していないのだ。そして、いなかったから、私は心おきなく、星加さんに接することが出来ていたのに・・・。星加さんの存在を感じて、心を満たしていたのに・・・。それに、結婚が全てじゃないしさ。結婚していないからといって、恋愛をしてないというわけでもないものね”

と、思いながら粒は、星加の返事を待つ・・・

粒からの質問の後、星加はじっと粒の目を見た。
そして、

「僕は、日和さんのような方と、時を重ねていきたいです。」
「日和さんと、共に歩んで行きたい。ずっと一緒に。」

「と、思っても叶いませんけれど。」

と、星加は、うなだれて、渋く苦笑いした。

”・・・・・”

言葉を返せない、粒。

そして、面と向かって告白した気まずさと、気恥ずかしさと、失望のようなごちゃ混ぜの感情で、どうしていいのかわからずにいる星加を見て、粒は、もうたまらなくなって、心に、無理やりとどめておいた『冷静』という二文字が、吹っ飛んでしまった。

粒の口が、勢いよく開く。

「ふたりで時を、重ねていきましょう!」

「ふたりで共に歩んでいきましょう!ずっと一緒に。」

「叶います!ふたり分の願いが。」

変化していく星加の表情もお構いなしに、粒は続ける。


「私、【如月 粒】現在独身です。」

迷いの全くない、輝く瞳で、粒は星加に告げた。




第十九話につづく


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