粒≪りゅう≫ 第十七話[全二十話]
第十七話
じっと見ていると、視線を送っている相手が、視線を感じてこっちを見て、目が合うという話はよく聞く。
でも、どんなに思っても、思ったからと言って、その想い人にピピピと電気のように、思いが伝わるかどうかは分からない。
思いを寄せている相手に引き合わされる可能性も、少ないだろう。熱烈なファンだからといって、思いが引き寄せて、意中の俳優とバッタリ!なんて、そんな事がそうそう起こるなんて・・・そんなんだったら、その俳優は、身体がどんだけあっても足りないものなぁ~。それに、そうか!相思相愛じゃないとね!そうだよね~
“ああ自分は本当に、こんないい歳をして、こんな楽しい事に思考を巡らせる事が出来て、幸せだな”
と粒は思う。と、幸せを感じた次の瞬間に、ハッと閃いた。
“ああ、そうだった。私は、粒≪つぶ≫だった。”
そうだ、幼いころから、嘘の付けないズルの出来ない、どんくさい粒≪つぶ≫だった。それはそれで、恵まれた境遇であったのだろうけれど、窮屈だった。
“私は粒≪つぶ≫だよ、つぶつぶになって、それこそ星加さんの所に伝えに行ってよ!大好き!って伝えに行ってよ!”
そんな事を考えながら歩いていた仕事の帰り道、気が付いたら、粒は、星加の記事を見つけた植木のところまで来ていた。
ここから家までの所要時間は、約10分。うん、あと少しで我が家。うん!?
「星加さん?!」
「え、星加さん!」
「うわーほんとうに、星加さん!」
粒は、信じられなかった。でも、今、粒の目の前に存在しているのは、間違いなく星加だった。
「星加さん!」
粒は、
“私は、何回星加さんの名前を呼べば気がすむのだろうか。相手の反応をものともせず、一方的に自分の感情をぶつけるなんて、立派なおばちゃんに成長したものだ。でも、いいのだ、おばちゃん丸出しでも何でも。おばちゃんだからこそ、強引にならないと、だって残りの人生がどんどん減っていくのだから・・・”
と、人目も気にせず、星加の名前を呼び続けた。
星加は、バス停のベンチに座っていた。
粒に、何度も名前を連呼された星加は、少し照れくさそうに(いや、迷惑そうに・・・かもしれないが・・・)ベンチから立ち上がり、粒の前に歩み寄った。粒は咄嗟に、
“ああ、星加さん、折角一番にバスに乗れるところだったのに・・・戻るように言うべきでは・・・。私に声を掛けられて「げっ」とか思っていたらどうしよう・・・”
と、弱気になったけれど、いやいや、これはきっとつぶつぶ達の仕業で、こんなに思い続けている自分のために、星加に引き合わせてくれたのかもしれない、という思いが沸き上がり、気を盛り返した。
そして、もう星加にどう思われようが、今日が星加に会えた最後の日になったとしても、思い残すことのないようにしよう。と心に決めた。
「日和さん!お元気で、良かった。」
“そうだね。星加さん。これだけ張りのある声で、こんだけ勢い良く名前を連呼出来るんだから、私が元気なのは、一目瞭然ですね!”
「はい!お陰様で。」
と、粒は返したが、星加の声を聞いた途端、粒は『素』になってしまったようで、
「星加さん、今お忙しいですか?」
と、今バスに乗ろうとしていたことを知っているにもかかわらず、久しぶりに会った大好きな人物に、おかしな問を投げかけた。
「えっと。これから帰宅するところです。」
「お仕事は終わられたのですか?」
「これから、お家に直行ですか?」
「はい、そうです。」
“星加さんは、内心はどうであれ、兎に角、私の知っているままの様子で、丁寧に答えて下さる”
粒は、もう止められない勢いで
「あの、ひょっとして、お家でどなたか、星加さんの帰りを待ってらっしゃるとか・・・?」
「いえ、僕は一人暮らしですので・・・。」
流石の星加も、矢継ぎ早にこうどんどん問いただされてイライラして来たか、と、表情を観察しても、特に変化はなく、粒はホッとして、
「では、本当に、本当に、厚かましくご迷惑なことですが、少し私にお時間をいただけませんか?」
と、星加にとどめを刺した。星加は、じっと粒の顔を見て
「僕は大丈夫ですが、日和さん、お忙しいのではないですか?」
と、粒の方の心配をしてくる。粒は主婦で、いろいろとしなければならない事があるのではないか・・・家で待たせている、家族がいるのではないか・・・と気を配っているようだ。
「私は、大丈夫です。心配して下さって、ありがとうございます。それで、本当によろしいのですか?お時間をいただいても。」
「はい」
と、星加は、今度はにっこりと、笑って答えた。
粒は、「やったー!」と、思いっきり飛び上がりたかったが、両手をギュッと握って
「うわぁ!嬉しい!」
と、星加に頭を下げた。
粒は、あんに、急用が入ったから、少し遅くなるということを、メールで伝えた。
『了解!』と、返事が来た。
粒は、折角星加にもらった時間を、少しも無駄にしてはいけないと思い、さっさと星加を誘導した。バス停の近くにある、公園のベンチへと。
何処か食事にでも、とか、喫茶店にでも、と誘うべきかとも思った。でも、時間が勿体ない。少しでも多く、星加と話がしたかった。
それに、星加のことだから、本当は何か予定があったのかもしれないし、とも思った。
「寒いのに、本当にすみません。」
粒は自販機で、星加に何がいいかと尋ねることもせず、ホットコーヒーを二本買うと、
「これを飲んで、温まって下さい。」
と、手渡した。
粒自身は、星加と会えたことで、一緒にいることで、体温がいつもよりだいぶ高くなっていたから、そう寒さは身に堪えなかったけれども、星加に風邪をひかせてはならないと思い、直ぐにペットボトルのキャップを開けて、こくんと飲んだ。
「あったまる~。星加さんも、飲んで、温まってください。」
星加は、粒に促されて、コーヒーを飲んで
「ほんと、温まりますね。」
と、優しい笑顔で言った。
“全く。私に強引に誘われて、強引にこんな寒々しい公園に連れて来られて、強引に、勝手にセレクトされた飲み物を飲まされて、どうしてこの人は、こんなに穏やかにしていられるのだろうか・・・”
粒は、心身がほんわかと解きほぐされていくのを感じた。
ベンチに隣り合って座っていると、星加と初めて出逢った時の事を思い出す。
“ああ、今もちっとも変わらない。やっぱり、星加さんだ。星加さんの匂いは、私をほころばせる。私を、幸せにしてくれる。今日星加さんに会えて、本当によかった”
粒は、心の底から思った。
「星加さん。星加さんは作家さんだったのですね?私、数年前、星加さんの本に出合って、とても救われたんです。もう、身も心もボロボロになっていて、死んじゃいたいくらいだった・・・そんな時、偶然、星加さんの本に出合って・・・お陰で、元気になることが出来たんです。」
「本当に、ありがとうございました。」
星加は、黙って、粒の顔をじいっと見てきた。
「その本の作者名が、星加さんと全く違う名前だったから、その本を書かれたのが星加さんだったなんて、思いもしなかったです。知った時は本当にびっくりして、鳥肌が立ちましたよ。」
「最近知ったんです。偶然に。それで、どうしても、星加さんにお礼が言いたかったのです。」
「それに、私の手!ほら、打ち合わせの時に、白くなってしまったことが、ありましたよね。星加さんが温めて下さって、甦った私の指。もう、全然白くならなくなりました。あの時、私の体の中で、きっと何かが変わった気がします。何だかとても温かかったんです。指も、心の中も、ホッカホカで。」
「本当に、今日、星加さんに会えて、よかった~。もう、私のつぶつぶに、感謝です。きっと、星加さんに伝えてくれたのだと思うんです。私、星加さんのことが、大好きだから。」
粒は、ぺらぺらと、次から次へと打ち明けた。もう今後、星加に会うことはないかもしれないのだから、思っていることは、全部伝えなければ・・・と思いながら。
「私、星加さんに会えて、本当に良かった!お陰様で、私、今、とっても幸せなんです。」
休むことなくしゃべりまくる粒の話を、星加は、真面目な顔で聞いている。粒は、自分が星加に伝えなければいけない事を、頭でクルクルと考える・・・
「日和さん。僕も、です。・・・僕も幸せです。」
「僕も、日和さんと一緒にいると、凄く幸せなのです。」
星加は、真面目な顔のまま粒に告げた。
粒は、今、自分の耳から聞こえてきた言葉が、本当に星加の口から出たものなのかどうか、本当に星加がそう言ったのか、と疑った。
「実は僕、日和さんと、出版社でお会いする前から、日和さんの存在を知っていました。日和さんは、ご存知ないと思うのですが、僕、日和さんと一度、電車の中でお会いしているんです。」
粒の全身に、ざわざわっと鳥肌が立った。
「そう、僕が電車内で、初めて日和さんとお会いした時、日和さんは髪が長くて、結んでおられました。」
確かにそうだった。その後粒は、自費出版を決意して、景気づけに、髪をバッサリ切ったのだった。
粒は、じっと、星加の顔を見つめるしかなかった。
“私は知っていたよ、星加さんがあの時隣に座っていた人だったって・・・。私、体中で感じたんだよ。”
「あの時、たまたま座った、日和さんの隣で、僕は何だかとても心地よくて。それまで、誰かの傍で、そんな気持ちになったことのなかった僕は、ずっとこのままこの人の隣にいたいと思ってしまった。初めて出逢って、というか一方的に、なのですが、離れたくないな・・・と、思ってしまって・・・。」
「僕、その時、読書をしようと、本を手にしていたのですが、何とも言えない心地よさに包まれていた僕は、全身の機能が全て休んでしまっているかのような不思議な状態で、本の文字が全然入ってこなくて、ずっと同じページを開いたままだったんですよ。」
“ああ、そうだったね。星加さんは、本を手にしていた・・・。読書している姿が、様になっていたなぁ・・・。でも、本、読んでいなかったのか・・・というか、読めていなかったのか・・・私の影響?そんなふうには、全然見えなかった。ウソみたいな話だ”
粒は、その時の情景を思い浮かべ、身体がぼおっと熱くなった。
「変に思われないように、出来るだけ、頑張ってはいたのですが。」
ははははは・・・星加さんは、頭に手をやって、笑った。
「それから、日和さんの事が忘れられなくて、また、何処かでバッタリお会いできないかと、いつも、心で思っていました。」
「そして、偶然、僕が担当することになった人が日和さんだと知って。驚くのと同時に、とても嬉しかった。身体が震えました。」
「僕は、日和さんに一目惚れしたのです。」
「そして、会うたびに、更に、どんどん好きになってしまって。」
“夢を見ているようだ。信じられない”
あまりに突然な、あまりに驚きの連続で、粒の全身は湧き上がっていた。
「嬉しいです。星加さん。ありがとう。」
「私、凄く嬉しいです。私にとって星加さんは、もう、私の一部だったんです。ずっと前から。ごめんなさい、勝手に私の一部にしちゃって・・・。」
「すごい、もう、残りの一生分のプレゼントを、もらってしまったような気持ちです、私。すごく、嬉しいです。こんな、夢みたいなこと・・・。明日、私の誕生日なんですよ。一日早い誕生日プレゼントをもらった!嬉しい!!」
と、粒が満面の笑みで星加に言うと、星加は、ハッとした顔をして、ベンチに立てかけてあった鞄に手を突っ込んで、何やら探し始めた。
そして、その探し物が見つかると、
「では、これで、お祝いしましょう!」
と言って、粒に見せたのは、【福豆】と大きくプリントされた袋に入った、大豆だった。
・・・今日は節分だった。
「今日、取材先でいただいたのです。日和さんの、これからの無病息災と、ご活躍を祈願して、この豆でお祝いしましょう!」
粒は、楽しすぎて、嬉しすぎて、たまらなく幸せだった。星加に言われるままに、両手で器を形作ると、星加は
「1・2・3・4・5・・・・・・・・・・」
と数えながら、粒の手に、豆を載せていく、粒が魅せられた、あの力強く美しい手で。星加が守ってくれた、粒の両手の中に。
“根気がいるだろうに…”
粒は、自分の手の器の中に、どんどん山積みになっていく豆を見つめ、しみじみ思った。
“私は、こうしていろんなものを積み上げてきたのだなぁ。沢山のいろんなもので、私は出来ているんだなぁ”
と。
「・・・・・48」
星加は、そんな粒のこれまでを、共に愛おしんでくれているかのように、ひと粒ひと粒、豆を数えた。丁寧に、明日、2月4日に迎える、粒の年の数まで・・・
と、粒が不思議に思いたずねる
「どうして、知っているんですか?」
“私、自分で言ってないよね?”
「だって、僕、日和さんの担当でしたから。日和さんの個人情報を目にしていますから。勿論、秘密厳守で。」
“覚えていたの?すごいな。ん?覚えていてくれたの?嬉しいな。そうか、あれからもう2年たったのか・・・絵本を出版してから・・・”
粒は、折角年の数まで豆を積み上げてもらったのに、両手が塞がっていて食べることが出来ないので、一旦、豆を、星加に預けた。星加に豆を渡す時、まるで、自分の人生を星加に預けるような、おかしな感覚に陥って、変だった。
「おめでとうございます。」
と、星加に言われて、また、おかしな気持ちになった。そして、
“なんで、ここでこうして星加さんに誕生祝いをしてもらっているんだろうか。何がどうなって、どうなったら、こうなったんだ?へんてこりんだ。この世界は、本当に、へんてこりんだ”
粒は、ありがたく、豆を食べた。ポリポリ、ポリポリと、音を立てて食べているうちに、泣けてきた。何だか、いろんなものが一気にこみ上げてきて、涙がポロポロ落ちてきた。口ではポリポリ、目からはポロポロ・・・。
どうして人って、食べている時に、無性に泣けてきたりするのだろう・・・と、粒は思った。今まであった様々なこと。粒の、ドロドロだった心の中。小さかった頃の子供達・・・。
“あかん、もう、止まらなくなってしまった・・・”
豆を食べながら、ひっくひっくと泣いている粒を見ていた星加は、危険を感じて、粒に飲み物を差し出し、食べることをやめるようにと制してきた。
第十八話につづく
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