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粒≪りゅう≫  第二話[全二十話]

第二話

 そうだ、中学一年生で左手を腫らしてから、そのあたりから粒は少しずつ本来の自分を見出していたらしい。とはいうものの、自爆を繰り返しながらも長い間、本来自分はどうあるべきなのかを考えずに、いや“自分で考える”という意識を持たずに、居心地が悪いと感じつつも不明な自分でいた。
 
 粒の中で何かが弾け、自分の生き方のようなものを思い改めたのは、30代半ばだった。

”遅い?・・・いや遅くない!”粒は心の中で言った。
“頼ってはいけない”・・・そうなのだった。いつだってきっと自分は、周りにいる人々に頼って、ずる賢く生きていたのだ。

 一見、良い人間の素振りをして、さも、周りの人々に尽くしているかのように装っていたが、それは本当のところ、自分をよく見せて、自分が安全な状況にあるがための手段だった。

 そうしておかしな無理をして、自分で自分を追い詰めていた。知らず知らずのうちに、相手に見返りを求めていたのだ。知らず知らずのうちに、自分を守るどころか、自虐していた。
 粒は長いこと気付かなかったのだ。自分は保身の術でしていたことが、全く逆に、自分で自分を傷つけることにつながっていたということに。

 いつも・・・いつも・・・粒は苦しかった。
生きていることが、窮屈で仕方がなかった。

「粒さんは、いつも穏やかで、そばにいるとなんだかほっとするわ~。子供さんを叱ったりすることなんて、ないのでしょうね。」
「それに、旦那様も優しそうで。粒さん、大事にされているのでしょう?きっと、あなたのことが可愛くて仕方ないのでしょうね~。いいわね~ほんと、羨ましいわ。」


“いやいや、そんなわけないよ。だってあの人、いつも私のことを構うどころか自分の体調不良をバンバン訴えてくるよ。それに私がラクしようものなら、必ず自分の苦労を押し付けてくるし、私が嬉しそうにしていると、「それに比べて僕なんかっ・・・」って言うし・・・
あはははは・・・笑えてきちゃうわ”

 本当の事は何にも知らないと思われる、知り合いたちの何の罪も、そして何の根拠もない言葉に、粒の心の中に積もった汚泥は量を増し、臭くて汚くて重いどぶ水がだぷんだぷんと反応した。

 
 子供たちは可愛い。可愛くてかわいくて、本当に愛おしい。が、そんな子供たちとの優しい時間も、配偶者は台無しにする。

 この人、心が子供のままだ。しかも、素直で純粋な子供ではない。愛に飢え、変に歪んだ、非常にプライドの高い、タチの悪い子供だ。
 そして、子供たちもそういったことを察知して、配偶者には冷たい態度をとっている。
ああもう!疲れる。粒の胸の奥が、ザワザワと騒ぎ出す。

「お父さん、こっちに来ないで!!」
配偶者の爆弾に点火する子供たち。そして予想通り“ドカーン”と大爆発。
「誰に向かって言ってるんだ!」
ドッカーン!!大爆発。
「お父さんキライ」
凄まじい爆発音が響きわたる。

“ああ、心臓が不健康な動きをしているのがわかる。
目に見えない私の望んでないものが、どんどん身体の中を埋め尽くしていく。私はこんな思いをするためにこれまで生きてきたのではない。
こんな、耳を塞ぎたくなるような冷たい言葉を聞くために、子供たちと人生を共にしているのではない“

 粒は、配偶者に向けて浴びせたい言葉が喉から吹き出しそうになりながらも、必死で耐えた。
耐えきれずに吹き出そうものならば、話し合いになるどころか、修羅場になってしまうだろう。
 これまで、なにか問題が生じた際に、穏便に問題解決に至ったことなどない。今以上に配偶者の怒りが爆発して、今以上に子供たちの心に傷が増える。

 粒は、心の中で知らず知らずのうちにつぶやいていた。
“こんなことはいつまでも続かない。いつか終わりが来る。私の心が自由になれる時がきっとくる。子供とともに、穏やかな気持ちで暮らせる日がきっとくる。いつか、きっと・・・”

「お父さんのことがキライなら、もう飯、食うんじゃない!」
配偶者が止めを刺してくる。
“えー!えええー!嫌われるようなことをしている方が悪いのじゃあないのか?権力を振りかざしている。問題をすり替えている。何故、子供にそんなことを言われてしまうのか、何故子供の口からそんな言葉を吐かせてしまうのか、考えようともしないのか。考えてみてよ!”
と、粒は心の中で叫ぶ。決して届かない心の叫びだ。
 
 こんな事の繰り返しだ。心がささくれる。この有様は、親子の在り方ではない。子供同士の喧嘩だ。
 
 この男は、自分を何だと思っているのだろう。目の前に存在しているこの子たちをこの世に招いておきながら、この子たちに、生まれてきてくれたことの喜びも感じていないのだろうか。愛おしい気持ちもわいてこないのだろうか。
 子供に対して、自分の手を煩わせ、時間を奪い、お金を消耗する、厄介なものとしか思わないのか。
 自分にだって、幼少期というものがあったのに、子供の気持ちをほんのわずかでもくみ取ろうとしないのは、何故なんだ!!
 

 配偶者が一日中家にいる休日などは、配偶者と子供の衝突を避けるため、そして、自身の精神を守るために、粒は、二人の子供を連れ戸外に逃れた。
 
 平日も公園で過ごすことが多いのだが、休日は何となく公園全体の雰囲気が違う。公園に訪れている人の層が、いつもとは違うのだ。

 平日には見かけない家族連れや、父親と連れ立った子供の姿が多いように感じる。楽しそうにキャッチボールや、サッカーをしている。
微笑ましいなぁと思う。
 そうして父子が遊んでいる間に、普段、家事育児でてんてこ舞いのママは、ほっと一息、お茶の時間でも楽しんでいるのだろうか・・・。
 それとも、今のうちに!と張り切って、掃除や調理に専念しているのか・・・。
 
 粒はといえば、ひとり、サッカーボールを蹴ってはキャッチして、蹴ってはキャッチする、を繰り返している息子の姿を見守りつつ、抱っこ紐で固定している娘をあやしている・・・。  
 なんだかとっても、さもしい気持ちでいっぱいになる。男性を頼るとか、守ってほしいとか、もっとラクしたいとか、そういう気持ちは毛頭ない。
粒は元々そういうタイプではないし、なんというか・・・あたたかくないな、と思うのだ。心が。
 ただひたすら、さもしいのだった。子供が元気でいてくれて、少しでもたくさん笑っていてくれて、自分が子供たちに出来るだけたくさんの愛をそそいでいけたらいい。

 粒はそう願いながら、黙々と一日一日を送った。



第三話につづく


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