さいかい 2章
長かった雨があがり,温かな風が吹いています.風は周りの木々を揺らし,クチナシの甘い香りを運んで,夏の近づきを教えてくれるんです.
毎年,梅雨が開けて夏が来たことを感じるためにこれを繰り返します.これが私の代わり映えしない巫女としての日々,色のない世界です.それでも村の人が幸せなら私は満足なのです.
今年は少し暑くなりそうだと考えていると,後ろからズズッと,少し引きずるような足音が聞こえてきました.
きっと使いの経でしょう.彼が歩くと,一定の間隔で,少し地面に突っかかるような音がなります.仕事中だとこれと一緒に持ち物の鈴の音が混ざり合って,少し重い風鈴のような音を奏でてくれるんです.この音が彼が私に朝食を運び,お堂につれてってくれると教えてくれます.
朝食を取ると,村の平穏,安寧の願いを込めて社奥のお堂でお祈りを捧げます.このお堂ははるか昔,2人の狐神様たちが暮らしていたそうです.今ではほとんど私が生活する場所になっています.
私はお堂の中央に行き,足を組み,両の手を握り,狐神様を想像します.これを夕方まで繰り返し,村を守ることが私の役目です.
いつの間にか朝は流れ,外では川が石を削り取りながら流れていく音が聞こえてきます.
あぁ,きっときれいな川なんでしょう.み空色で,カワセミは歌い,鮎たちは楽しそうに踊っていると想像するたびに,それを見たいと思ってしまいます.それでも私の役目は村を守ることです.思い描いたものを見ることはできませんが,声として私に響いてくれるから十分だと思います.
夕方になるとカラスの鳴き声とともに,重い風鈴の音が聞こえてきます.今日の祈りが終わったことを告げる合図です.
今日はどんな景色を見てきたのか彼に訪ねます.いつもは生えていたきれいなお花を触らせてくれたりするんです.今日もきれいなお花を積んできれくれたのかなと思っていると,彼は私の前に何か生き物を突き出し言いました.
「今日は近くにウサギがいましたよ.きっとあなたのことも好きになってくれます」
私は恐る恐る手を伸ばすと,繊細で柔らかな肌触りがして,一定のリズムで鼓動が聞こえます.
仁に持っていてあげてくださいと言われ,私はうさぎを抱きかかえながら自分の部屋にもどります.きれいな白色だと仁が言っていたのでこの子をと真白と呼んで大切にすることにしました.
その次の日から私は真白の鳴き声で朝目覚めるようになりました.この子の鳴き声,足音すべてが愛おしく感じ,今までよりも毎日の生活に色が見え始めました.これが幸せなのでしょうか.時の流れが今までよりも早く感じます.
そんな気持ちでいるといつもよりも急ぎ足な彼の足音が聞こえます.
「突然申し訳ありません.今日は村の人にあっていただけませんか」
普通ではありません.私の役目のほとんどはお堂でお祈りをし続けるものです.誰かに会うことはまずありません.不思議に思いながら,彼に手を引かれ,お堂へ向かいます.
お堂につくと息を荒げている二人の男の人が待っていました.お二人が早口に話します.
「最近雨が全くふらなくなっちまった.作物が育たなくなっちまう」
「巫女様,なんとか,雨を降らしてくれるよう狐神様にお願いしてくれよ」
村が危ないということはすぐに理解できました.二人には必ず狐神様が助けてくれるとなんとかなだめ,お堂のいつもの場所でお祈りを捧げます.
村を救うために私はしばらく,お堂の中で生活し,ご飯のとき以外でお祈りをし続けないといけなくなりました.
カラスの鳴き声が聞こえます.いつの間にか夕方になってしまったのでしょう.今日は彼の足跡が聞こえてきません.私達の生活はこんなに違っているのに,周りの鳥たちには何の影響もないのかと少しだけ心配になります.
いつもなら,彼が来てそのまま部屋に戻りますが,今日からはその時間もなくなってしまいました.少しでも願いが届いてほしいので,私は真白を抱きかかえ,もう一度お祈りに戻ります.
すると,扉の奥から記憶にはない,力強く,軽やかで,少し怖そうな感じの足音が聞こえてきました.かなり力強いのできっと男の人です.今まで,懐に抱えていた真白が突然,鳴き声を上げ手から離れてしまいました.
扉の前まで来るとその人は私に優しげな声で話しかけ,声が頭の中にまで響き渡ります.
ーやぁ,君がここの巫女だね.
私があなたは誰?,と尋ねると彼は答えました.
ーろくな名前もない,ただの旅人だよ.好きなように呼んでくれ.それよりも,何やら村が騒がしいけど何かあったのかい?
旅人さんは村のことが知りたかったようです.なので,私は旅人さんにこの村での出来事を教えました.すると,彼は私に言ったのです
ーそれは,大変だね.もし,私がこの村を救う方法を知っていると言ったら君は信じるかい?
私は迷いました.だって旅人さんは明らかにおかしかったんです.まず,歩く音が力強さの割に軽すぎます.それに呼吸の声が聞こえません.まるでそこにはいないかのように.
怖かったです.
それでも私はこの村の巫女です.私が何かすることで村を救うことができるなら救いたいと思ってしまいます.どうしよう,と私が悩んでいると旅人さんが言いました.
ーもし救いたいという気持ちがあるなら,野狐火山に来るといい.まだしばらくはそこの山頂にいるだろうから.
旅人さんが言い終わると今までどこに隠れていたのか真白が私の膝元まで戻ってきてくれました.きっとびっくりしてしまっただけで,危険な人ではなかったのでしょう.
そうしている内に,いつもの風鈴の音が聞こえてきました.
彼が来てくれた!,と私の心が高揚しました.きっと気を張って疲れていたのでしょう.
ーご飯を持ってきました.
そう言って彼は扉を開け,入ってくるとあたりにお魚を焼いた香ばしい香りが漂ってきます.きっとあの川はまだ無事なのでしょう.
せっかくなので一緒に夕食を食べたいと思い,彼を誘うと,僕は大丈夫です,と断られてしまいました.少し,残念でしたが彼の言葉に従います.
私は旅人さんのことが気になり,思い切ってどんな人だったか彼に聞いてみました.すると彼は扉の前には誰もいなかった,と言うんです.でもそんなはずありません.
だってあの後,帰っていくような足音はしませんでした.
不思議に思っていると,彼に疲れているのだろうと心配されてしまいました.
それから私はあの違和感を抱え,2週間ほどお堂にてお祈りを続けました.そうしているうちにだんだん,料理の数は減っていき,真白に上げるご飯が来なくなり,私が食べているものをあげるようになりました.そして,さらに3日立つと社を管理している長に真白用のご飯があるから預かると言われました.私は真白と離れたくありませんでしたが,これ以上飢えさせたくないので長老の話に従います.
翌日,私はいつもよりも遅く目覚めました.真白がいなかったからでしょう.また私の生活は色のない世界に戻って行くのを実感します.
ご飯を持ってきました,と声が聞こえ少し驚きました.
どうやら,かなり意識を離していたのか,彼が来たことに気づかなかったようです.
彼にありがとうといい,ご飯に手をつけようとすると大丈夫ですか?,と彼はとても悲しそうな声で言いました.大切な人を心配させてしまうなんて巫女として失格ですね.
大丈夫,と言いごまかそうとしましたが上手くごまかせた自信がありません.彼はまだ何か言いたそうにしていましたが,私のことを察してくれたのか何も言わず部屋から去ってくれました.その足音はいつもよりは軽かったように思います.
本当に私の世話係にはもったいない方です.
「あいつも馬鹿だな」
「あんな役立たずに自分の分の飯まで与えて.どうせ雨なんか降らせれるはずがないんだから」
「まぁ,あいつも足手まといだから仲間意識でもあるんだろ」
壁越しに男の人達の声が聞こえてきました.
私の祈りが足りないのでしょうか.だからみんなは私に優しくしてくれる彼の悪口を言うのでしょうか.どうすれば良いのか私にはわかりません.
ー野狐火へこい.
旅人さんの声が頭に響いてきます.あの山は危険だと昔から言われています.それでも,行けば村の人達を助けることはできるのでしょうか.そう思うといても立ってもいられません.
彼に野狐火山へ行ってもいいか聞くと,だめです.危険です,とはっきりと断られてしまいました.彼の動きからはいつも以上にドタバタとした音が聞こえ,そうとう怒っているのが伝わってきます.
それでも,村の人は私のことをここまで育ててくれました.だからこそ,せめて恩返ししたいです.私は彼には黙って一人で行くことを決心しました.
夜中になると,警備の人はいなくなります.息遣いの音,地面を踏み込む音,すべて逃さないように耳を立てます.壁に手をつけながら歩くと,ひんやりとした感触と自分の小さな足音だけを感じて,自分は今,一人だと思います.
村の人もご飯をあまり食べれておらず疲れて眠っているのでしょう.少し時間はかかりましたがなんとか扉までたどり着きました.扉を開けるとギギィと音がなりながら開きました.少しびっくりしましたが,私は初めて,外への一歩を踏み出します.
森の中は静まり返っていますが川のせせらぎが聞こえます.きっと彼が話してくれた川なんだ,そう思うと嬉しいと同時に見えないことが少しだけ残念です.彼の言葉を頼りに道を進みますが,見えないこともあり,正しい道を勧めている自身がありません.ただたどり着きたいと願うばかりです.
歩いているうちに木々がたくさん生え始め足場が悪くなってきました.少し慎重になって歩きますが,木の幹につまずいて体が一瞬ふわりとした感覚がしました.
私は体をぶつけることを覚悟しましたが,待っていたのはいつもの安心する手の心地でした.彼が助けてくれたんです.
やっと見つけました!早く戻りましょう,と息を切らしながら私に言います.彼のことを考えると戻るべきですが,そうするわけにはいきません.
今まで迷惑をかけてきた分,せめて村のみんなに返したい,というと彼はより憤り,問いました.
ー目が見えないだけであなたを役立たずな巫女だと切り捨てるような奴らをなぜ⁉
私の瞳は何も映しません.それでも村の人は私を役立たずと思いながらもここまで育ててくれました.それに彼もいます.少しでも助けれるなら構いません.私の意志が硬いことを彼に言うと彼にならばついていくと返されてしまいました.
本当はこんな危険なことに巻き込みたくはありませんでしたが,彼の意志も硬いみたいです.仕方がないので彼に助けてもらうことにします.
歩けば歩くほど砂利や木の幹が私たちの足をさらおうとします.それでも,彼は私の手を引いて大丈夫かと何度も聞きながら野狐火山へ連れてくれます.彼自身も足が上手く動かないから辛いに決まってるのに.
なんとか彼の負担にならないように気をつけながら歩いていると,少しずつ彼の声と握っている手の感覚が遠ざかっていくような感じがしました.気づいたときには彼は消えてちがう一つの気配だけが近くにありました.
ーやはり君はここに来たか
少し,話し方や雰囲気が違いましたが,あのときの旅人さんだとそして,この旅人さんは話しにもあった野狐火山に住んでいるひとならざるものだと直感で理解します.彼をどこへ連れて行ったのか聞くと,旅人さんは私をここへ連れてきただけだと答えました.ひとまず,彼は大丈夫そうなので少しだけ安心します.
冷たい風が吹き,木々が少しざわめきだしました.やっぱり人とは思えない感覚に少し,びくびくしていると旅人さんはふっと少し笑いました.やはり,君のような人にはわかるか.大丈夫だ.君をどうこうするつもりもできもしない.俺は選択肢を与えるだけだ.
彼の声から感情は読み取れません.彼に選択肢について尋ねると彼は波打つこと無い水面のような平坦な声で言いました.
ー危険でも村を救える可能性がある道,それかこのまま村に戻って滅びる道,どちらを選んでも言い.ただ言えるのは村を救える可能性があるのは君だけだろう.
怖かったです.でもそれよりも,彼には幸せにいてほしい気持ちがはるかに上回っていました.私は旅人さんの話しを聞くことにします.旅人さんが言うには,もう少し奥に社があり,そこのほうがお堂よりも願いが叶いやすいそうです.きっと社まで行く道が険しく,危険なのでしょう.ただ,旅人さんがついてきてくれるようなので少しだけ安心します.
社までの道は思ったよりも近く,安全でした.きっと旅人さんは私の目が見えないことを心配してくれたのでしょう.
ーお前はなぜそこまでする?
旅人さんに尋ねられました.大切な人がいるから,と応えると旅人さんはやはり変わらないか,と独り言をこぼしました.だれか,私と同じような境遇の人がいるのでしょうか?
ーこの鳥居を越えたときにお前の願いは届くだろう.あとはお前の運命に任せる
はじめて,その声は悲しそうだと感じました.
手探りで鳥居を探し,触れるとかなりチクチクします.きっとずいぶん長い間,そのまま放置されていたのでしょう.もう一度,仁に会うため,彼に今度こそ告げるため,私は決心を固めます.
鳥居へ足を踏み入れたとき,足元が少しポカポカしました.私の恐怖心とは裏腹にそこは私を受け入れるようにいてくれます.思い切ってもう片方の足を踏み入れると,足元には草がたくさん生えているのを感じました.
きっとこの場所は私が教えてもらってきたどこよりもきれいなんでしょう.そんなことを考えていると,まぶたに昼間の熱を感じました.今はまだ夜中なので普通はありえません.
思わずまぶたを開いてしまいました.
いつもはただ明るいのか,暗いのかそれしかわかりません.一色です.でも今はもっとたくさん.同じ色はひとつもありません.初めての経験に少しだけ放心状態になっていました.下に咲いている草を一つ摘み取り,触ってみます.
葉は3つ又に分かれていて,少ししっとりしていました.感覚から今まで彼が私に持ってきてくれた白詰草だと理解します.
これが緑色なんだ.
そんな考えで頭がいっぱいです.
それからたくさんの草花を触って,たんぽぽから黄色,桜から桃色,紫陽花から紫,紅葉から赤を知りました.少し夢中になっていましたが,このことを彼に告げたいと思いました.これで彼と同じ景色を共に見ることができるのです.
もと来た鳥居へ戻ろうと,後ろを見るとただ草花が広がっているだけでした.不思議に感じて,先程のことを思い出します.触った花はたんぽぽや紫陽花,同じ時を生きることは決してできない花たちです.
この事実に私は一つの考えが頭を駆けめぐります.
「ここは神様が住む場所なのかしら」
ここから出ることも,進むこともできず,立ちすくんでしまいます.
ーついにきてしまった.
後ろから悲しそうな女の人の声がしました.
振り返ってみると鮮やかな着物を着た儚げな女の人が佇んでいます.私よりも巫女という言葉が似合いそうです.きっとこの場所の主なのでしょう.
ここに入り込んでしまったことを誤り,ここから出る方法を聞くと巫女さんはより,悲しそうな声で言いました.
ーあなたがここに来たのは願いがかなってしまったから,ごめんなさい.
とても信じられませんでした.入ってしまい怒られるのなら理解できますが,謝られるとは思ってもみなかったからです.
ただ,謝られてしまったことで,私はもう戻ることはできないということは察っしてしまいました.
もう彼と語ることも,触ることも,声を聞くこともできないのです.そんなことを考えていると,少し冷たい雨が降ってきました.ぼぉとしながら雨にうたれます.雨は透き通っていて光を放ちながら後ろの草花を写します.いままで見た中で一番きれいです.
すこしだけ視界が歪みはじめました.雨が強くなってきたみたいです.雨粒は頬を伝います.
.その雨は少しだけしょっぱかったです.
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