察してちゃんについて思う事

婚活の沼に入ってしまう第一歩として、察してほしいという考え方がある気がする。
何かと言うと「私のために〇〇をしてほしい。」「喜ばせて欲しい。」とか、「俺が楽できるように〇〇してほしい。」とかそういった考えである。そういった希望的考えを持つこと自体は仕方ないことだと思うけれども、それが叶わなかったときに相手のせいにする。「私のことわかってない!」、「俺のことを思考を行動できない奴だ!」という思考になる人が一定数いる。私はその考え方がすごく怖いと思っている。
そもそも赤の他人が自分のために何かをしてくれる・希望を叶えてくれると言う考え方が傲慢であり、すでに、生涯を共にする平等なパートナーを相手にしている考え方ではないと考えるからである。
こうして欲しいと思っていても、相手が行動しなかった場合、「それもそうだよな。」「私も口にしなかったのか良くなかったなぁ。」って考えるのが普通の考え方だと私は思うのである
例えば、仕事の場において、上司がこの商談をうまくまとめといてほしいと部下につたえる。それ以外の指示を全くしない。その場合、部下は商談をまとめられない可能性がある。でも、上司は後から考えて商談をまとめるコツであったり、資料作成であったり、そもそもスケジュールや計画に関しての共有や指導をしていなかったら、うまくいかなくても仕方ないというふうに考えられる。恋愛や人間関係においてもそういうことである。
自分はこういう人間なのでこうしてもらえると助かります。こうしてもらえるとうれしいです。ただ単純にそれを言えばいいのに、突然お客様になったかのように「察してくださいね!」「わかってくれますよね。」「行動してくれますよね。」と心の中で相手に呼びかける。そしてその心の声が聞こえない相手は何も行動に移すことができない。
その現象に対して、相手を責めて失望し、自分がどうすればよかったかの改善を全くしない。人間は、言葉を使ってコミュニケーションをとることができる生き物であるにもかかわらず、全くそれを行わず、行動に移してしまう。傲慢以外の何物でもない考え方で、どうして相手が自分を選んでくれるのであろうと思うのだろうか。
婚活をしていて、【この人とはもう、うまくいかないかもしれないと思う】と言う、1つの要因としては不安にさせられると言うことがある。自分は普通にしているつもりなのに、急に相手が不機嫌になる。怒り始める。…された側からすると、とんでもなく不安に感じる瞬間である。そしてさっしてちゃんの相手をしている人は、まさにそういった気持ちになるんだろう、婚活がうまくいかない人は、今一度、自分の考えや行動を改めて振り返るべきだ。
自分の意見を伝えると言うことに意識することが大事だと…また、その行動してくれた相手に対して必ずリアクションを取ること、大げさに感謝を伝えること。そうするだけで相手はこの人はこういう思考なんだ。こういう行動をとることによって喜ぶなと言うふうに勉強することができる。その積み重ねが夫婦間で起きる相手を察して行動することができる関係につながるかと私は思う。
まだまだ結婚前の婚活時期に関しては、察してほしいではなくて、対話をするコミニケーションを取ると言うことに意識を働かせて行動することで、きっと成果が実に結と思われる。

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