アイドル50年史③1975、1976年
「ロマンスと貴乃花初優勝とグリーンベースボールと」
横綱にはなれなかった、、
先代の貴乃花のことなんですが、この年の春場所に初優勝、そして秋場所も優勝したのですが、いわゆる「綱取り場所」は上手く行かず、おそらくこの年がピークだったのでしょうか。しかしながら、私が大相撲を見るようになったのは、この人のお蔭で、力士としては100キロを少し超えたくらいの身体で、大きな力士と正面からぶつかり、驚異の粘り腰とスタミナで競り勝つ真摯な姿は、後にも先にも相撲を見て「感動した!」となったのは息子の方ではなく父親の方で、そこが元総理とは異なります。
あと、引退して川上哲治の後を受けて、ジャイアンツの監督に就任した長嶋茂雄は「クリーンベースボール」を掲げ、メジャーリーグから大物プレイヤーの鳴り物でデーブ・ジョンソンを獲得し、自身の引退したサードのポジションは南海ホークスから富田勝を獲得し、さあ、監督就任年を優勝で飾れる準備も整い、いざ公式戦のフタを開けたら、
読売巨人軍史上初の最下位
後にも先にもジャイアンツが最下位となったのは、この年だけでした。
王貞治が怪我して一ヶ月以上欠場したことと、獲得した選手が活躍できなかったことで、とにかく「点が取れない」というのと、投手陣が世代交代の時期と重なりさらに堀内恒夫、高橋一三の左右のエースが不調に終わったということも重なってしまいました。
広島カープが球団創設25周年で初優勝した年でもありました。初の日本一は4年後にお預けですが「赤ヘル旋風」という言葉が流行りました。
アイドル界はというと、人気の頂点は山口百恵と桜田淳子が二分していた状態が続いてました。森昌子はアイドルというか既に実力派演歌歌手の下地が出来てきておりました。
この年、印象的なのは岩崎宏美のデビューでしょうか。なんというかその、浅田美代子の真逆なんです。「歌唱力」をこれでもかと際立たせて、それでもアイドルでいられるんです。
デビュー曲は「二重唱(デュエット)」そして2曲目の「ロマンス」で、岩崎宏美は全国区になったと思います。この曲が甲子園の入場行進曲にでもなるのかなと思いきや、その次の「センチメンタル」が翌年春のセンバツの入場行進曲となりました。
レコ大の最優秀新人賞は、惜しくも細川たかしの「心のこり」に敗れてしまいましたが、この年デビューのアイドルの代表格だったかと。
ただ、個人的にはこの年デビューしたアイドルで、私はこの人を「アイドルオブザアイドル」と呼んでおります。
「最高のアイドルと木綿のハンカチーフとたい焼きくんと記憶にごさいませんと」
今の時代なら、1976年のレコ大は「北の宿から」ではなくて「およげ!たい焼きくん」になってるはずです。
2019年に「パプリカ」が受賞している実績からそのように考察してます。
「記憶にごさいません」は、当時小学校6年生だった私のクラスでも流行りました。そういえば当時の担任の先生が、「ニュースに出てきている人は皆、嘘をついている」と言っておりました。確かこの人はアンチジャイアンツだったりしていたので、権力というものに対する反骨精神があったかも知れません。
そのジャイアンツは、前年の最下位から一気にリーグ優勝し雪辱を果たしました。右左のエースが堀内恒夫と高橋一三から、小林繁と新浦壽夫に交代し機能していました。あと、「喝」の張本勲を、高橋一三と富田勝を放出してまで獲得した甲斐もありました。
オリンピックは、モントリオール大会で日本女子バレーボールが東京大会以来の金メダルを獲得しました。個人的に「歴代最高セッター」と思っている松田紀子の司令のもと、白井貴子、前田悦智子、横山樹里らがコートで大暴れし、危なげなく他国を圧倒し、「めっちゃ強い」と鳥肌が立ちました。あとは、体操男子団体かなぁ。こちらも塚原光男の新月面は安心して見ていられ、ミュンヘンに続き貫禄の金メダルを獲得しました。
で、この年のアイドル界は山口百恵が頂点に立った年と言っていいでしょう。本業の歌手に加えて、映画やドラマでも片っ端から大当たりしました。三浦友和との噂が出てきたのもこの頃でした。「これっきり、これっきり」にはならず、後に伝説のアイドルとなるのでした。
私のこの年の代表曲は、「たい焼き」ではなく、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」ですね。今でもカラオケでよく歌います。小学生ながら、この曲の意味は理解でき、切なさと優しさが胸にしみました。随分気持ちの悪い小学生だったということは自認しております。
で、私がこれ以上に喜ばしかったのは、ドラマ「俺たちの旅」に登場した岡田奈々でした。もちろん、好みというのがあります。ていうか、好みしかないとも思ってますが、レコードやブロマイドの売り上げとか、紅白とかレコ大とかベストテンの出演実績とか、そんなものは一切度外視して、私が50年以上見続けたアイドルで、最も可愛いと思うのは、10代のアイドルではこの岡田奈々だと思ってます。ちなみに20代アイドルは南野陽子ですがw
もし、生まれ変わったら、岡田奈々と高校で放送委員会か、文化祭の実行委員会を一緒にやりたいです。たぶん、告白出来ないんだろうなぁ。出来れば、卒業前に転校してほしいかな。そして、私に連絡先を教えてほしい。で、私はそこに電話もしないし手紙も書かないでしょう。
妄想が膨らみ過ぎました。
個人的には青春時代なんてものはなく、中学生の頃はイジメに遭い、高校生の頃は弓道部で悔しい思いばかりしておりました。実は。
岡田奈々ってもう63歳なのかあ。そりゃあ自分も58歳になるわな。
GOOD LUCK 陽はまた昇る
くずぼしいってつ