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大人になると、「わからない」ことが減っていく

先日、部落問題に関わる歴史資料の展示イベントがあった。せっかくなので、先輩先生方の後ろについて見に行った。

想像以上の人がいて、こんなに学びたい人がいるんだと衝撃を受けた。
私も周りの人に倣って、展示されている文章を一生懸命読んでみた。

…!!
びっくりするくらい内容が入ってこない。
音だけ聞いたことのあるような言葉を反芻しながら読み進めるけれど、
超がつくほど歴史に苦手意識がある私は
どうしても理解が追いつかない。

なんにも理解できない自分が悔しくてどうしようもなくて、わからない自分がいやで。
なぜか泣きそうになった。
でも絶対泣くところじゃないし心配をかけるのもいやで、展示に集中するのをやめてみた。
集中している人を、観察することにしてみた。

一緒に行った先生方は、そんな私の気持ちを瞬時に汲んでくださるようなおふたり。
私の態度を深く追求せずにいてくださったことが、その時はありがたかった。

なんだか、わかりたくてもわかれない、子どもの気持ちがわかった気がした。

それがわかっただけで
行ってよかったな、と思うことにする。

わかれないとき一番悔しいのは自分で、どうしようもできないこともわかってて。
でもそれを否定せず、新たな知識を教えようともせず、
「学ぼう」としている姿勢
を認めてくれるって、こんなにありがたいことなんだなと思った。



それと同時に
「わからない」って泣きそうになるくらい戸惑うことって、大人になるにつれて
どんどん減っていくのかもな、と思った。

買い物する時のお金の出し方
日常の中で使う簡単な計算
目的地への行き方
電車の乗り方…。

大人になるまでにできるようになったこと、たくさんある。
もちろん、「できるようになったこと」の基準は人によってばらばらだとは思うけれど
自分の「できない」に対する解決策の数は、少なくとも私は、大人になるにつれて増えていっている。

だからこそ、

海外旅行に行ってみたり、
全く新しいことを勉強してみたり、
苦手な分野に足を踏み入れてみたり。

そんなことをする中で、「わからない」の感覚を味わい直すことって、案外大事なことかもしれないなと思った。

そんな経験を繰り返す中で、
子どもたちが数えきれないほど出会う「わからない」を大きな心で受け止めて共感して

それでもその場にいてくれること 
わかろうとしていること

を価値づけするような言葉がけができる大人でありたいな、と思った。

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