コンプライアンスとポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)とタレント&作家の命
こんにちは、さまりーぬです。
今回は中立のガワを脱いで、正直な気持ちを少しだけ話させてください。
これは、私がプロの表現者としての本音。
コンプライアンスとポリティカル・コレクトネス
テレビ業界でも散々叫ばれた「コンプライアンス」「ポリコレ」。
ドッキリバラエティー番組で病気やケガをするタレントがいるにも関わらず企画続行をしたり、大物芸人のバラエティー番組でセクハラ的な絡み方をしていることなどに対して糾弾された時期がありました。
その時ぐらいからですかね…。
「不快だからそういうのは見せないで」とコンプライアンスやポリコレをごちゃ混ぜにした声が大きくなり始めたのは。
コンプライアンス違反
簡単なところから言うと、過労状態のADに対してパワー・ハラスメントをするのはコンプライアンス違反です。
だからADって辞める人がとても多く、エコーチェンバーが煮詰まりやすい業界でもあります。
これは一例ですが、タレントのご飯を買ってくるのはマネージャーのお仕事のはずなのに、大きな事務所相手になると媚び売りの為にプロデューサーやディレクター、カメラマン(チーフなど)が下のスタッフに怒鳴り散らしながら高いお弁当を買わせに走らせることもあるんですよね。
(パワハラ以外の何だってんだ、あれは!)
アイドル事務所の恋愛・結婚・不倫・浮気などに対して、例え好感度商売であってもスタッフが禁止するのは「プライバシーの侵害」に当たるのでコンプライアンス違反です。
(契約書類に恋愛禁止条項が書いてあれば違反にはならないが…日本国憲法第13条に保障されている「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」に反します。ファンの場合は主観的な感情であり適用するのは難しいところがありますが、企業・組織がそれを行ったら法律違反になりますね。)
だから、某有名プロデューサーは「恋愛をするのは勝手にしていいし、(ファンが言うような)禁止なんてルールはない。ただ好感度商売で人気を得ようとしたらそれなりの覚悟は必要になるよ?」(要約)という言葉を残している。
某プロデューサーの系譜にいる女性アイドルで恋愛・結婚宣言をした方がいるのだけど、凄く勇気のあるアイドルだなと感動したものです。
他にも先日話題にのぼった子持ちアイドルさんに対しても「アイドルの癖に子供いる状態で…」などの非難の声があがっていましたが事務所がむしろそれを売りにしています。
そしてコンプライアンスを守っているホワイト事務所であるという事実。
ちなみに、学校の校則にある「髪色やアクセサリーなどの禁止」も、実はコンプライアンス違反。
これもまた「幸福追求権の侵害」ですからね。
なので、合理性のないルールを「ルールを守る練習台」として使わないで頂きたいものです。
これもまた先日、某事務所が下請法違反で公正取引委員会から勧告を受けていましたが、これもコンプライアンス違反。
タレントにコンプライアンス講習会を設ける前に、任天堂に許可を取らずに配信許可を出すような社員がいる時点で…まずは社員にコンプライアンスを徹底して欲しいものですね。
ところが、勘違いされているものもあるんですよね。
ここ最近話題になった原作「推しの子」の最終回の作風が倫理観がなかった為に炎上しました。
これは、コンプライアンス違反ではないですし、作者には「日本国憲法第21条第1項:表現の自由」があります。
倫理観のない登場人物を作らせないのは「基本的人権である精神的な自由権」を奪うものです。
(これはドラマなどにも言えますが、表現の一種として倫理観を理解した上で演出しているものでさえ「不快だから」だけで糾弾するのはいかがなものかと思いますね。)
そして、誹謗中傷。
批判と誹謗中傷を混同する人が昨今、よく見られますが…。
批判というものは「発言や行動に対する根拠をもった反論」であり、誹謗中傷は「バカ、クズ、〇ねよ、無能、ハゲ、デブといった人格否定」です。
侮辱罪、名誉棄損罪に当たりますね。
SNSでのなりすましも名誉棄損罪に当たりますし、いじめは暴行罪、傷害罪に当たります。
ただ、表現の自由が同時にあるので、警察は簡単に動けないのがネック。
(これ本当にどうにかしてくれないかなと思う人生でございます^^)
…皆、少しずつ法律無視しているのに許されているだけ。
立場の差がある場合は訴えられても何もおかしくないのを許されているだけ。
なのに、他人の法律無視には正義感をもって侮辱罪・名誉棄損罪に当たる発言をしてくるのは何故でしょうか…?
正義とは、警察と裁判官が「感情ではなく公正に判断した結果」でしかなく一般人が感情だけで動くのは私刑という法律(正義)と真逆の行為です。
個人的には、罪なき動物をノリで〇すような人間を死刑にしてほしいものですが、加害者にも人権があるのでね…^^
ポリティカル・コレクトネス
「差別的表現ではなくあくまでも中立的表現にしましょう」という、まあ…道徳的なものですね。
例えば、日本の場合ですと「看護婦」ではなく「看護師」。
婦にしてしまうと、男性への職業差別に当たるので師で表現するようになりました。男性看護婦って確かに日本語としても矛盾してはいるので、呼びやすくはなったのかなとは思いますが…。
肌の色はゲームのように変えられるものではない容姿。
なので黒人さんに対して「ブラック」ではなく「アフリカ系アメリカ人」と表現するのが望ましいとされています。
ただ、「過剰な配慮を求める声」のせいで作品や表現の自由を守れなくなっていることも。
私は職業が作家です。
趣味での作家活動ではなく、職業での作家というお仕事です。
だから…責任がとても重いです。
それ故に大批判をするしかなかった、恐ろしい「過剰な配慮」を求められる動きが海外で起きました。
それは、「お客様の不快感情を募らせない為に作品を作る際には白人・黒人・黄色人種などの肌の色から、LGBTQsなどの様々な人間を登場させなければならない」といったもの。
「倫理観を著しく損なうキャラクターが登場する場合、それを戒めるキャラクターがいなくてはならない」には、「お客様の中には発達段階にある子供の為に偏見なき道徳心を植え付けなければならない」という一理ある主張だったので、受け入れられたのですが…。
日本の漫画作品やアニメ作品には、すぐに取り入れられた作品がありますね。
ただ、この後で非常にショックな出来事が。
私が好きなコンテンツである作品のシリーズ最新作「ポケットモンスター スカーレット・ヴァイオレット」では、性別の選択が消えて性自認を確認させない配慮がなされました。
前作とは違い、性差による衣装選択もかなり中立になりました。
(逆だと思うんですけどね…。男女問わずどんな服装を選べる自由なら筋が通っているのですが。)
女性キャラを選んでもスカートやワンピースといった「女性らしさ」すらもNGとばかりに選択の自由がありませんでした。
モブには多様性を意識したキャラクターが多く、メインキャラクターだけは可愛い女性の存在があり人気を博しています。
内容も素晴らしく、これまでの毒を含んだような物語作りは健在だったのですが…。
ディズニーによる実写版の理念は理解出来るんですが、元ある作品をホワイトウォッシュするのもブラックウォッシュするのも私は反対します。
例えばアフリカ系アメリカ人がコスプレした場合、そのことに対して偏見による差別をする人間を批判すべきであり、作品側は堂々としていてほしいものです。
恋愛でも、「慈悲的差別」「慈善的性差別」という言葉がありレディーファーストのような行動、男性が女性を守りたいが為に負担を伴わせないなどとった表現も女性差別の一種だと叫ばれており、恋愛成分の強い少女漫画に対する訴えもあります。
私はそういう…男性に守られることにときめきを覚えるし、甘え・甘えられる関係性が大好きで読んでいたのに…悲しいです。
自立型の恋愛を選択出来る世の中になればいいけれど、私はそういう差別をむしろ好む女性なので権利を奪わないでほしいものです。
不快感情との付き合い方
今はSNS情報社会であり、それこそ多様性を認めなければ窮屈な時代になってきました。
なのに、逆行しているように見えます。
不快になったら何をしてもいい、何を言ってもいいと道徳心のカケラもない人間たちが増えました。
まずは自分の心に向き合って欲しいものです。
あるようでないような表現の自由。
自由には責任がつきものといいます、だから批判する時は自身もまた批判されることを覚悟しなければなりません。
ただ過剰に配慮させる・するというのは「不快感情の押し付け合い」でしかありません。
「見ない」を選択する自由もあるはずです。
ただ、確かに人間の感情というものは複雑です。
「この人が好きだから見てるのに、好きな人がそういうことするのは嫌だ」というのはわがままではありますが、それを伝えることを縛る権利は誰にもありません。
そういう言葉を聞いてどうするかは外野ではなく相手が判断すること。
その相手の判断を見聞きして、それでもダメな時は距離を置くこと。
関係性によっては、相談をして擦り合わせていくこと。
察して貰おうとするのは、やはりコミュニケーション・エラーが発生しかねませんし難しいものですよ。
まとめ
と、まあまあ勢いとノリで書いてみました。
ただ、表現者の端くれとしては看過出来ない事案を目撃してしまって黙っていられなかったのです。
ハッピーエンドや完璧なエンド、自分の思う終わり方と違うからといって誹謗中傷をするのはやめてほしいものです。
それに倫理観なき表現があったとしても、それをどう思うかが大事であり作者を完膚なきまでに叩くというのはあまりにも稚拙ではないでしょうか。
今一度、自分の表現も見直してみませんか?