言葉の価値観と相性
こんにちは、さまりーぬです。
社会人になってから口癖のように言っているのが「出会いは運と相性とタイミング」っていう言葉。
人であろうと作品であろうと雑貨だろうと、そう思っているんです。
でも、最近自信喪失してしまうことが連続で起きてて悲しくなることも。
私が障害持ちだから「きっと間違えてるのは私なんだな」って思うようになって自責が止まらないんです。
なんでそんなことが起きたのかを少しお話しますね。
言葉の価値観
人は皆、生まれ育った環境も地域も違うし付き合う人間も違うし、それに伴って性格も変化していったと思うんです。
嬉しい出来事も悲しい出来事もあって、その人自身を作るといいますか。
価値観っていうと死生観とか恋愛観、仕事に対する価値観とかってイメージがあると思うのですが言葉の価値観もあるなと最近強く思っていて。
私自身は、本の虫。
静かで真顔であることが多いので感情はあまり出さない方と思われがちなのですが、信頼した相手の前でだけは無邪気で天真爛漫で感情を素直に出す方なんです。
喜怒哀楽、どれも全部出してしまうので「なんだコイツ」って思われることもあるかもしれないけれど、それは親しみを持って接しているからなんですよね。
でも、人には人の距離感があって私の距離感や人間関係の付き合い方もあるので基本は出さないんです。
SNSでは50%を目安にして感情を出しつつ、誰に対しても特別感を出さないようにしてたり。
何故かって、過去に「私もさまりーぬちゃんと話したいのに…」ですとか、嫉妬から「さまりーぬちゃんを取らないで!」って女性同士が大喧嘩になったこともあったんです。
それは時に、男性相手でもありました。
私も人間なので「この人との話が凄く楽しい!」と思って接することもあるんですが、それが原因でサークルクラッシャー的なことをしてしまったような罪悪感。
だからもう最初から全員同じ距離感で接しようと心に決めたのです。
それでも、仲良くなる人はいて時には喧嘩することも。
例えば比喩表現。
「クマみたいで可愛いね!」とAさんに言ったとして、Aさんは素直に「ありがとう!」って返してくれたんです。
同じ言葉を使ってBさんに言ったら「どういう意味?獰猛ってこと?」って怒られてしまったんです。
「私はクマを可愛いと思ったことないし、傷ついた。もういいよ。」と言われるような結果になることが多々あるんです。
その人にとっての嫌があるとなると、先に地雷を覚えておこうと観察するようになりましたね。
でも何も言わずに観察すれば「失礼!」と言われかねないので「半年ほど時間をかけて色々と教えてください」と私から聞くんです。
勿論、人によっては嫌がる人もいるのでそのままフェードアウトすることも。
傷ついたり傷つけたりする経験が多すぎて、怖いんですよね。
地雷を知らない関係性は。
人間関係で傷つくことなんて必ずあるし、そこで話し合って擦り合わせられる人だったらいいのだけれど…。
最悪、すぐに関係性にひびが入ることも。
だから基本、大切に大切に関係性の構築をしたいんですよね。
ところが、SNSになると「そういうの重たい。面倒くさい。」「もっと気軽に絡んで!」っていう「別れたらその時でしょう?」という価値観の人間に遭遇することが多く、四苦八苦した時期も。
柔軟に立ち回れたらそれが理想なのだけど、障害持ち故に反射神経1つで話す相手は決めておきたいんですよ。
敬語もなく肩の力を抜いて自然体で話せる相手ってそうそういなくて。
(リアルな友人ですら気遣うことの方が多いんですよね、女性相手は特に)
それは1:1でないと出来ないんですよね。
集団はその場にいる全員人間への配慮だったり思いやりだったりが大事になるし、喧嘩や言い合いがあると「どうしよう、どうしよう」って仲裁に入ったり何も出来ずに泣いてしまったり。
だから、私は「流石は発達障害者、冗談が通じない」ってよく言われてしまうんですよね。
真に受けることの方が多く、冗談だと頭では分かっていても体が素直に反応してしまいます。
だから「ヤマアラシのジレンマ」が起きそうな相手は基本避けてるんです。
なんでもかんでも傷つく訳じゃないのですが…。
相性の問題
結局、こういうのって価値観の相違なだけだったりするんですよね。
その価値観の相違があればあるほど「相性が悪い」ってことなのかなって今更ではありますが、気付きました。
趣味の相性が良くても、言葉の相性が違い過ぎると理想まではいかなくても安定した関係性は築けない。
お互いに冷静に話し合える関係性や関係値なら修復出来ることもあるのだけど。
価値観も趣味も相性が良いけれど、喧嘩した時に立場の差があって話し合える距離にいないと悲しいかな辛いことが起きる時もありますしね。
上司と部下ですとか、先輩・後輩ですとか。
そのまま、退職したり卒業したり引っ越したり…。
縁があればまた関係は戻っていくのかもしれないけれど、そんなのは稀。
だから、失った後で後悔して泣くことになって…。
それで私も成長してきたのだけど、人との縁ってお互いが頑張ることも大事だけど時間が解決してくれる相性っていうのもあって。
社会的立場を変えたらどうにでもなる関係だってありますしね。
水に流してわだかまりを解消するのも相性だったりするのかなあと思うんですよね。
私はどちらかというとどうしても許せないものは許せないし頑固になってしまうこともあるし、…子供っぽいところがあるんですよ、お恥ずかしながら。
それでも、これはもう水に流そうって決めたことは引きずらないでいようってしないと辛くなってしまうものもあるので、相性とは別に努力していこうと思うことの方が多いんです。
これ以上「好き」を失いたくないから。
折角出会えた縁の深い相手なら、特に。
あとがき
自信喪失したのは、ここ数年。10年以内のこと。
元々の仕事が「言葉のプロ」なのでプライドを持っていたのですが、段々自分の未熟さが浮き彫りになってきていて…。
だから、出来る限り正しい日本語でお伝えすることに夢中になって、思いやりを忘れてしまうことも。
心に余裕がない時は、つい「正論パンチ」をしてしまうんですよ。
誹謗中傷はある程度仲良しさんであれば「うるせぇ、カバ!」とか言えるんですが、その時の自分と相手の立場を考えて発信した結果、友人曰く「逆に静かな圧を感じるからコエーのよwww」と言われてしまって、激凹み。
それがSNSで友人同士でも外野の目があるので、いつもの会話は怖いなと思っているんです。
だからリア友がいたアカウントも今は削除していますし、ある程度クローズなLINEだったら肩の力を抜いて話せますし、そっちで話す方がやはり好きですね。