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これからも生きていく

今回はコンセプト改と決意表明。

コンセプト改は
「陸を横目に海にてたゆたう、たおやかなるセイレーン」。

実を言うと、5月末時点でこのコンセプトに決まっていた。
だけどもセイレーンという概念が自分の中で、どうも腑に落ちてくれなくてノートが全然書けなかった。
ようやくセイレーンについて言語化できそうになったのでこれを書いている。

今回はいつも以上に自分語り多めでお届け。
 *希死念慮とかについて書いた箇所があるので、苦手な人は見ないことをおすすめします。

*****

セイレーンの概念が自分に降って湧いたのは、5月の終わり。
脈絡もなく自分の中でふと生まれたその概念に私は動揺した。
だって、セイレーンって。
歌で人を惑わして食べてしまう怪物である。
前のコンセプトは魔女だったのにーーこれも微妙に人外感あるけどもーー人外、その上怪物って!
真っ先に思ったのは「私もしかして人間やめたい?」だった。

答えは是。
やめられるものなら今すぐやめたい。

私は地球消滅願望や希死念慮が昔からひどく、早く死ねるものなら死にたくてたまらなかった。当然自殺を考えたことも一度や二度ではない。
なんでこんなに死にたくてたまらなかいかというと、生きるのを苦行だと思っているから。逆に死は救いだと思っていて、我ながらヤベーヤツな自覚はある。
初めてのお葬式時点で既に似たようなことを思っていたのでこの考えは筋金入りなのだと思う。

そもそも何がそんなに苦行かって、学校ではいじめられるし、家だと家族と微妙に相性悪いしで毎日がしんどくてたまらなかった。その上、無駄に感受性が強い方なので生きづらいったらありゃしないし。
人間を二十数年やってたら嫌でも気付く。

なんか私生きるの向いてないな??

とはいえ、昨年休職できたことでだいぶ希死念慮は薄まった。
それでもミスをしたり、嫌なことやしんどいことがあるとすぐ「死にたい」と思ってしまう。
でも、これって現実逃避だ。
私は真剣に生きることを放棄している。
そんな風に認識できていても希死念慮はやまないままだった。

7月下旬のある日、TwitterのJJG界隈でホロスコープが話題になっていた。
その流れで「ライジングスター」というのを知る。

ライジングスター…あるいは上昇星ともいうらしく、アセンダントの±5度以内に星があると、ライジングスターと呼べるようだ。ある人とない人がいるらしい。
興味を持った人はぜひ↓

面白そうだなと思って自分の出生図を見てみる。と、私にもあった。
私のライジングスターは、太陽だった。

赤く囲んだのが太陽。

しかしながら、これってなんか意味あるのかな?
そう思った私はネットで調べまくった。
一番わかりやすかったのは、ヒーラーのyujiさんのこの説明。

その星を背負って生まれてくる。

〜〜〜を背負って生まれてきた人。

https://ameblo.jp/uenopasiri/entry-12382711867.html

つまり、私だったら太陽を背負って生まれてきた人、ということ?
 わかったような、わからないような??
さらに調べてみる。

太陽:
みんなのエネルギー太陽。10天体中の王様。
教室のアイドル、マドンナのような明るい魅力を持つが、その”光”故にどうしても多くの人(ひきつけなくてもいい人まで)を引き寄せる暗示を持つ。
ゆえに”みんなの〇〇”となりがちで、一人の人とだけ親密な関係になることを自他共に認めづらかったり、仮になったとしてもその人のことを”太陽の熱”で近づけば近づくほどに焼け焦がしてしまう苦悩。

https://ameblo.jp/uenopasiri/entry-12531377613.html

いや、誰だよ。
何も知らない無邪気な子供の時ならいざ知らず、明るいとか元気とかもう二十年以上言われてないぞ。もちろん、教室のアイドルとかマドンナになったことなんて一度もない。なんなら教室の嫌われ者やってたし。
本当に私にあるのか??と疑いつつ、他の人のライジングスターの解釈や同じライジングスター持ちの人のノートを読んでみる。

そこで気になったのが、ちかPさんのこのノート。

…なぜにガチャピン???

その答えは、マトメガミさんのこのノートにあった。

有料記事なのであまり詳しくは言えないのだけど、ライジングスターがあるとないとでは、人間とガチャピンくらいの差があるらしい。
ちなみにガチャピンは恐竜の子ども、ムックは雪男の子供らしい(二十数年目にして初めて知った!)。
つまり、人間だけど、星的には人間とは違う生き物ということ?

あ、もしかして私が生きづらかったのって、ガチャピンが人間として生きようとしてたからか…!?

そこでようやく、そういうことかと思い至った。
突如降って湧いたセイレーンは、ここでいうところのガチャピンと同じなのだろう。
体が人間だからって必ずしも心まで人間として生きる必要はない。
人間として周りに馴染もうと精一杯頑張ってきたけど、多分私は馴染もうとするよりも自分を出した方が自分らしくいられるのだと思う。
きっとそれを助けてくれるのがセイレーンというコンセプトなのだ。

だけども、怪物がやっぱり引っかかる…。
そういえば心に怪物がいる女の子の少女マンガを昔読んだような…?
久しぶりに電子書籍で読んでみた。

今の私にグサグサ刺さりまくる…!!

読んでいて、きっと人間ってみんな怪物を心に飼ってるんだろうなと思った。
それを表に出すか出さないかの違いが、良い悪いたらしめてるのだろうとも。
人や物に対して悪い感情を持つことは、ずっとよくないことだと思っていた。そのせいで自分は人として最低な人間だと自信が持てないでいた。

でも、私はセイレーンだ。怪物なのである。

怪物なのだから、口や態度にこそ出しはしないが人や物を悪く思う時があってもおかしくない。
そう開き直ったらちょっと生きるのが楽になった気がする。

そのおかげだろうか。
初めて自分の人生にちゃんと向き合いたいと思った。
今までの私は落ち込むことやしんどいことがあったら、すぐに死にたいと現実逃避をしていた。
死にたいと思うことは、なんだかんだやめられないかもしれない。
でも、今の私は自分の人生をちゃんと生き切りたいと思っている。
だから、私はこれからも生きていく。

というわけで、改めて。

「陸を横目に海にてたゆたう、たおやかなるセイレーン」

のんびりマイペースに、柔らかで自分という芯を持つ、凛と前を向く怪物として、これからは生きていくよ。