【小説】吸血鬼の夜曲

昔の人曰はく、明けない夜はないとのことだが、明けない日が来るだなんてきっと誰も思わなかっただろうな。

お昼ごはんを食べた私はソファで本を読んでいた。…読んでいたのだが、先ほど読んだ一文が引っかかって次に進めないでいた。
私が難しい顔をしているのを気配で察したのか、隣で刺繍をしていた同居人のユカさんが顔をあげる。

「はーちゃん、どうかした?」

ユカさんは刺繍を施していたハンカチを目の前のテーブルに、針を針山に戻すと私に顔を向ける。
LED電球の光を浴びた由香さんの横顔は、きれいで青白い。触れたらひんやりしていそうだと思った。
私はテーブルに置いていた栞を読んでいたページに挟んで、「この本」とユカさんに差し出した。
受け取ったユカさんは表紙のタイトルを読み取ると懐かしそうに目を細める。どうやら知っている本らしい。

「読んだことあるんだ?」
「出版された当初にね」
「おもしろかった?」
「おもしろかったよ。でも、こんな昔の本どこで見つけたの?」

これ百年近く前に出版された本じゃない? とユカさんは本の奥付を確認し始める。

「あ、再出版されてるんだね。ってことは普通に本屋さんで見つけたの?」
「うん。名作のリバイバル発行をしてるんだって」
「へー!」
「今度一緒に本屋行こう。おすすめの本あったら教えて」
「それ、いいね。行こ、行こ!」

キャッキャッと隣ではしゃぐこの女性が自分よりも年上だというのをうっかり忘れそうになる。
…この感じだと私が引かかっていたことを忘れていそうだな。まあ、ものすごく気になっているという訳でもないからいいんだけど。

「で、何を難しそうな顔をしていたの?」

…忘れていなかった。この人といるとある意味気が抜けない。
ユカさんから本を返してもらって、先ほど栞を挟んだページを開いた。人差し指でとある一文を指差すと、「どれどれ」とユカさんが覗き込んでくる。

「ここなんだけど、お日様の匂いって書かれてて、どんな匂いなのかなって思って…」
「ああ…そっか、そうだよね、はーちゃんは知らない年代だもんね」

うっかり忘れそうになるね、とユカさんは苦笑する。
窓の外を見やれば真っ暗な闇が広がっている。お昼を過ぎたばかりだというのにだ。

今から百年近く前。
日本は夜に支配されることになる。
太陽は姿を現さなくなり、朝も昼も来ない地となった。
そのせいで私は太陽もお日様の匂いなるものも知らない。

「ユカさんは嗅いだことあるの?」
「本気で言ってる?」
「もしかしたら知ってたりするのかなと思って」
「いくら私が夜が明けていた頃から生きているとはいえ吸血鬼だよ? お日様が大敵な、あの!」

そう、彼女はホラ吹きでもウソつきでもない。本物の吸血鬼だ。
その証拠に人間の私とは違い、端正な顔の横には尖った耳が付いており、口元からは鋭い牙がちらちら見え隠れしている。
外見は私より少々年上の二十代後半だが、実際はゆうに百は超えている。いわゆる不老長寿というヤツである。

「じゃ、知らないか」
「ところがどっこい! 知ってるんだな~」

ふふんとユカさんが自慢げに腰に手を当てる。
その様子はとてもじゃないが年上には見えない。同時に、なんだ今の茶番はとなった。
…この人こういところある。
私はふかーいため息を一つ吐いた。

「え、なにその深いため息」

心底分からないという顔でこちらを見られたが無視である。
そこで、はたと気付いた。
この人吸血鬼なのにどうして知ってるのだろうか、と。
恐る恐るなぜ知っているのか訊くと、私の心配をよそにユカさんはケロッとした顔で答えた。

「え、ああ。まだお日様が出ていた頃、昼に来ていたお手伝いさんが気を利かせて日干ししてくれてたんだよ。だから知ってるの」
「ちなみに吸血鬼的にはお日様の匂いは大丈夫なの?」
「匂いは大丈夫。光だけダメなんだよね」

のほほんとした顔で教えてくれるユカさんの様子に私は心の中で脱力した。
…今更ながら聞いちゃいけない話題かと焦った…。でも、これで安心して聞ける!

「で、どんな匂いだった?」
「うーん…言葉にするの難しいなぁ…」
「一説によるとダニが死んだ匂いって言うよね?」
「あれ、ウソらしいよ」
「え、そうなんだ…」

2XXX年。
今から百年近く前、夜は永遠に明けないものとなった。
それを機に人間は隠れて生きていたモンスター達と共生することになる。
 
そんな世界で生きている吸血鬼と人間のお話。