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夢みたいな

幼き私はふと気付いてしまった。
絶対的に正しいことが、この世には存在しないことに。
だってこの世の法律やルールは所詮人間が作ったものに過ぎないのだから。

…にもかかわらず、正しいことにこだわり続けてきてしまった我が半生。

だっていじめてきたヤツと同じになりたくなかった。だって悪いヤツになりたくなかった。だってこれ以上いじめられたくなかった。だって何も言われたくなかった。だって嫌われたくなかった。だって自信がほしかった。だって大事にしてほしかった。

正しいことさえしてたら大丈夫。少なくとも嫌われることは無いはずだと思っていた。
ところがどっこい。世界ってそんな単純じゃなかった。(当たり前。)

正しいことよりもノリや協調性の方が優先されることのまあ多いこと、多いこと。
なんで平気でそんな酷いことできるの?なんで言い返さないの??なんで倫理観よりもノリや協調性が優先されるの!??
そう思った私は自身の経験や正義感もあってそういう現場を目にすると度々口を出してしまっていた。(完全に余計なお世話どころか迷惑。)
しかしながら正しいことって結構うざがられるものらしく、酷いことをしていた方は当然ながらも、されていた方もうざったそうな顔をする。
別に感謝されたくて、したわけじゃないけど悲しかった。
こんなことが甘んじて許される世の中と、それを疑問を抱かず受け入れている人々が、たまらなく腹立たしくて悲しかった。


ちょっと話は変わるが、私は昔からいやにからかわれることが多い。
私の受け答えがずれているのか、ド真面目が過ぎるのか、その両方か、はたまたそれ以外か。

理由がどれにしろ、からかわれるのめちゃくちゃ嫌すぎるのだが!!?

なんというか、対等な人間としてみてないよね??
下に見てるまでは言い過ぎかもだけど、少なくともからかってもいい人間だと思ってるから、からかってくるんだろうな、と。
勿論からかうという行為が時と場合によって救いとなることも理解はしているし、気心が知れた人がしてくるなら話は別。
ただ、おまえにからわかれる覚えはないのだが!!?という人間からのからかいがあまりにも多いこと!!

昔からこんな感じなので、親や学校の先生にも相談したことがある。
返ってくる答えは大体同じ。
「あなたが好きでちょっかいかけたいのよ」
「あなたより子供なんだよ。許してあげて」(注;言ってきたのは同い年。)

そーじゃねーだろ!!!!!!!

仮に大人たちが言う通りそうだとしよう。
私の事が好きだから、彼らが私より精神年齢が低いからだとしても、それを私が許さなきゃいけない流れにするのはどう考えても違うでしょ。
最低でも「あなたは悪くないよ」くらい言ってみろや!!!
なんなら、からかいという名の傷つける言葉や行動を平気でしてくる人間たちを諫めるのが大人のすべきことじゃないの??
それを私に許容させることで、ハイ解決!とするのはどうしたっておかしい。
酷いことしてきた側をなんで私が許さなきゃいけないの??
けど言えなかった。なにせ当時の私は大人の言う事は全部正しいと勘違いしていたので。

何が正しくて、何が正しくないことなのかどんどん分からなくなっていった。
状況次第でころころ変わる上に倫理感すらも危うい、こんな世をあと何十年も生きなくてはいけない。
生きるのって本当苦行だな。

またまた話は変わるが『ぶつかりおじさん』をご存知だろうか。
その名の通り、ぶつかってくるおじさんである。それもわざと。主にか弱い女性や子供を標的にする悪質かつ卑怯極まりないおじさんだ。
知った当時、軽く絶望したのを覚えている。
今ある悪意や悲しみだけで既にいっぱいいっぱいなのに、これ以外あるいはこれ以上の悪意や悲しみがこの世には存在しているという。
なんというか、既に深い底にいると思っていたら、さらなる深淵に足を引っ張られた感じである。

こういう出来事を見たり聞いたりする度に思うことがある。
世界中の人々が今よりちょっとだけ優しくなったら今より優しい世界になるのではないか、と。
今よりちょっとだけ人の事を思い、今よりちょっとだけ想像力を働かせ、今よりちょっとだけ誰かのために行動する。
その「ちょっとだけ」がたくさん集まれば、きっと今よりも優しい世界になるんじゃないかと思う。

自分でも夢みてぇーなこと思ってるな~という自覚はある。
そして、これが利己心から来ていることも。これが偽善だということも。

私は可能な限り、心静かに穏やかに平和に日々を過ごしたい。
だから、私の日々と心を脅かす悪意というものがこの世に存在している事が心底怖くてたまらない。
今誰かにぶつけられている悪意が、巡り巡っていつか自分へぶつけられる日が来るかもしれないのだ。この世から悪意が無くならない限り、その恐怖から逃れる事は出来ない。この世に生きとし生けるもの全てみんな。

ゆえに私はこの世から早く離脱したくてたまらなかった。有体に言えばさっさと死にたかった。
そうすれば悪意をはじめ、辛いことやこの世の柵なんかからも解放されて万々歳じゃないかと本気で今でも思っている。
しかしながら、どうやら私は死ぬのが怖いらしい。更にどうやら、できればもう少し生きたいらしい。
ぶっちゃけ今死ぬのはちょっと嫌というか、癪だな?? と思っている自分に気付いた。
だって、これまでわりと辛いこと、悲しいこと、嫌な事がたっくさんあった。ありすぎるほどあった。その度に死にたい、逃げたいと思いながらも、何とか踏ん張ってここまで生きてきたのである。
それをよくわからん八つ当たりをしてくる他人からの悪意を受けたくないから死にたい??

冗談じゃねぇぞ!!!
なんで私が絶望しなきゃなんないんだ!!
てめぇのイライラくらい、てめぇ一人で処理してみろや!他人にぶつけてんじゃねぇ!!

はぁはぁ…。(息切れ)
荒ぶってしまった…。
だけど、ようやくわかったぞ…!

自分が悪意に負けたくないと思っていることに。

しかし、それで私が強くみえるように装うのもなんか癪というか、違うんだよなぁ〜。(強く見えるように装う方たちを否定する気持ちはありません。)
だって人としてクソみたいなことする人間の為にこっちが変わる必要なくない?? どう考えたってあっちが悪いでしょ
可能ならやり返したいけど、物理的に捕まる。(平和的なやり返し方法は考え中。)


ここまでぐだぐだ書いてきてしまったが、要は人間お互いにリスペクトもとうぜ!って話である。
別にめちゃくちゃ尊敬しろ、壊れ物のように大切に扱えとか決して言いたい訳ではなく、私たちは良くも悪くもとかく自分のことばかり考えやすい。
それはもう自己を持つ人間としては仕方がない。
でも、だからといって、他人を蔑ろにしたり、傷つけていいはずの人間などこの世にはいない。
お互いがお互いに"同じ人間"ということを忘れないことが大切なのではないだろうか。

…これもきっと夢みたいなことなんだろう。