金も地位も名誉も本能的に求めてしまうもので、真実の幸福にはならない。
本「その悩み哲学者がすでに答えを出しています」より
ソクラテス-
大切なことは、ただ生きることではなく、よく生きることである。
「ただ生きる」とは、生存本能のおもむくまま、肉欲をみたすための金銭欲、名誉や地位への出世欲、自己顕示欲をむやみに求める生きかたのこと。うまい立ち回りばかり考え、ひたすら保身を望む、この世の生にしがみつく生き方。そこには決定的にかけているものがある。
「よく生きる」とは死を終わりとする肉体的な生の長さにこだわらない生きかた、何が何でも生き延びようとする本能に逆らう生き方のこと。
欲望や快楽のおもむくままにならず、この世の「本当のこと」を求める知的な欲求によって、与えられた人生の質をできるだけ高めようとする「知を愛し求めるもの」としての生き方。この生きかたは「魂がすぐれてあること」とも表現される。
「いつ死んでもいい」と思える「贅沢三昧」も「酒池肉林」も、しょせんは「ただ生きる」こと=物質的な幸福。いくらみたしてもきりのない「にせの快楽」にすぎない。「魂が健康」とはいえない。
一方、「魂の配慮」をし、「本当に大事なこと」を愛し求めることが「よく生きる」こと=真実の幸福。こちらの生きかたは「魂の健康」を与えてくれる。
金も地位も名誉も、抜け目のない世渡りも、肉欲を満たして得られる快楽も、どこまで熟達させ、洗練させたところで、肝心の「魂」がすぐれていないかぎり、真実の幸福には着地しない。「魂」が劣悪なままでは、いつまでたってもみたされないのだ。
「死ぬのが怖い」とすれば、その生が「ただ生きる」という肉体的次元にとどまっているからでしょう。
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哲学ってすごい!
哲学に触れることは今までなかったけど、今回、その考え方に感銘を受けた。
金も地位も名誉も、贅沢や肉欲を満たして得られる快楽も、ただ本能のままに満たすだけでは真実の幸福にはならない。本当に大事なことを愛し求めることが真実の幸福である。と。。。
最近、自分の人生において大事なことが何かを見つめなおしているが、金も地位も名誉も大事なことではないとしつつもどこか捨てきれない自分がいる。ではなぜ捨てきれないかというと、他者と比べて劣っていると感じることが苦しいから。つまらない見栄のようなもので、他者より優れていることが自分にとって「本当に大事なこと」なわけがない。だからそんなものは捨て去ろう。
と考えるが、なんだか、ただ自分が仕事から逃げている、楽をしようとしているとも取れてしまうから難しかった。実際に他者よりできないってことはつらいしね。
でも、きっとこれも生存本能からくるもので、この感覚・感情にしたがってしまうことは「ただ生きる」ことであり真実の幸せはその先にないのだろうと思う。
だから改めて「本当に大事なこと」を愛し求める。自分の場合は友達が大事。ちゃんとそう考えて、幸せな人生を送りたい。将来、後悔することがないように。
でも、その時々の気持ちで生存本能の赴くまま、瞬間的に「ただ生きる」ことは許してあげたい。