醜形恐怖症について
醜形恐怖症の定義について、
「実際には存在しない外見上の欠点について悩んでしまう」
と書かれてありましたが、
私の場合、欠点は存在するのです。
本当に見た目が良くないのです。
だから醜形恐怖症という病名ではなく、ただ己のみにくさを嘆いているだけ。ということになるのでしょう。
具体的にどんな点が醜いかというと、
①目が小さく、奥目なため、瞼と涙袋が少し前に出ていて、まるで目というより切れ込みのように見えます。
②鼻は低く、少し曲がっています。
③眉毛は目と離れています。
④手足が短い。
⑤顔が大きい。
など簡単に見つかる欠点はいくつもあります。
周りの人がマスクを外し、外食を楽しむ中、自分は醜い顔を極力晒さないよう早く食べて、マスクをつける。
顔が醜形であることにより制限されることはいくつもあるのです。
毎日、生まれてきてごめんなさいと思いながら生きていかなければならない。そんな毎日を普通の顔を持った人は想像もしない。たまたまこの顔に生まれただけなのに、虐められたり、馬鹿にされたりする。この社会は能力がない人に対してとても厳しい。顔という能力がある人はそれだけで優遇されるし、何より生きていて楽しいんでしょう。顔について悩むことも無いでしょうし、絶望に苛まれることも無いから。
醜形で良かったことなどありません。
しかし、最後は良い話でしめたいと思います。
醜形だと人に優しくなれます。自分が醜いということで、他人の醜さには気づかなかったりします。つまり人を顔で判断しないようになるのです。私は自分が醜形だと気づいてからは人に優しくなれたような気もするので、それは良かったことかなと思っています。