農村の肌感覚

長野県にも大雨特別警報が出て、やはりちょっと不安になった。10:30過ぎに止んだけど、まだまだ予断を許さない状況は続くだろう。


昨日は祖父の思い出を書いた。

今日は居住地について考えてみた。

2013年に横浜からいまの集落に移住してきた。

いわゆる過疎集落である。

親戚縁者はおろか友人も知人も居ないのに。いま考えると無謀だったかな?

ここ何年かは、一定数の移住ブームが続いているようだけど、近頃は年齢層が若くなっていると聞く。

以前は早期退職や定年退職組が多かったと思うが、だいぶ様変わりをしているようだ。

いざ自分が住み始てめると、自然と他の移住者の様子や噂が届くようになる。

現実にはやはり、なじめない人、出て行くケースもあるようだ。

そういう方々と話したり触れたりしたときに「やっぱりな」というふうに当たったりする。

違和感があるんだ。

田舎や農村は独特で、というのは確かにある。

でも、その多くは「都会の感覚のまま」移住してくること。もちろん本人達は気づかない。特に、立派な元が職業や地位だったり、それなりの成功者や自負心をお持ちの方は難しい。

ちなみに、地方のところどころに別荘地や移住者が固まっている自治区がある。それらはおそらく自然とそうなるのだろう。やはり価値観の差異は見極める必要がある。

まぁ、仕方が無い。

自分がすんなり今の過疎集落に住めたのは、きっと生まれ育った環境が正真正銘の農村だったからだ思う。

いまの集落に人たちは、なんとなく幼かった頃の近所の人たち、人間模様に似ている。

やはり原風景に近いのかな。

肌が合うんだ。

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