ダブルバトルを始めてからこれまでの振り返りとポケモンWCSを終えての心境
お疲れ様です。ヴァロンです。
今回はポケモンWCSゲーム部門に出場して、ダブルバトルを始めてからこれまでの振り返りを書きたくなったので書こうと思います。
SVからダブルを始めてWCS出ましたという人も割といる中で、自分はダブルを始めてからWCSに出るまでに9年もかかりました。もちろん全ての年で本気で取り組んだわけではないですが、この9年という長い期間は私の人生において大きな影響を与えました。その過程を自分で簡単に振り返ってみたいと思います。
あと一歩で世界を逃した2015年
自分がダブルバトルを始めたのは2014年のWCSを見たことがきっかけで、sejunのパチリスに感動したところからです。「自分もあのような舞台に立って戦ってみたい」という憧れからダブルバトルを始めました。
その当時は中学2年生であり、シニアカテゴリで出ることができるのは一度きりのチャンスということを知り、翌年世界大会に行けるように努力しまし
た。
そして2015年のネット予選は7位で通過し、JCS(当時は日本代表決定戦)に出るため、パシフィコ横浜に足を踏み入れました。
しかし結果はブロック予選敗退。しかもあと一戦勝てていたら代表かつ、その試合は自分の深読みのせいで負けたというとても悔しい結果でした。また、この時負けた相手はホンダコウキ選手であり、彼がその年のWCS準優勝者になったことで「あの時勝っていたらあの場所に立っていたのは自分かもしれない」という思いでいっぱいになりました。
すでに「呪い」にかかり苦しんだ8年間
思えば自分はこの時にすでに呪いにかかっていたのだと思います。JCSで勝てずWCSに出られなかったことから、「WCSに出るまでは終われない」という気持ちがどこかにあったのでしょう。
マスターカテゴリの洗礼を浴びた高校時代
しかしマスターカテゴリの世界はそう簡単ではありません。2016年、2017年はレート1700すら超えられない(2017年は特殊な形式だったがかすりもしていない)状況で、とりあえず受験勉強に集中するためポケモンは封印しました。
自分に自信が無くなった大学時代
自慢するつもりは全くないですが、私は中高時代ある程度勉強ができました。高校一年生の時恩師に某大学を勧められ、そこから勉強していたのですが、そこには全然点数が足りず落ちてしまい、現在通っている大学に入学しました。
勉強もポケモンもどちらも頭を使うものであるため、当時は「日本一の大学にすら行けないやつがポケモンで世界のトップクラスに行けるわけがない」、「自分は選ばれた人間ではない」ということを痛感しました。
そこから2022年まではなあなあにポケモンをやっていたと思います。自分に自信が無くなっていたので、ダラダラしながら大学のGPAを集めていました。ポケモンも一応はやっていましたが、予選抜けできるような実力は全くありませんでした。
しかし、大学の先輩にせぱるさんとshinさんという予選抜けやWCS出場をしている強者に出会えたのは幸運だったと思います。2020年や2021年に先輩たちが結果を残しているのを見て、素直に尊敬はしていましたが、苦虫を嚙み潰したような感情で悔しさを抱えていたことによってダブルバトルを続けられました。
自信を取り戻すきっかけ
なあなあに大学生活を送っていたところから環境に変化が訪れます。大学4年生になって、私はそこそこレベルの高い研究室に配属されることになりました。
その研究室は中々にハードで、4月に配属されてから4か月後には九州の小さな学会に論文投稿し発表、10月には卒論に向けて研究を進めながら3月に卒論レベルをはるかに超えた国際学会への論文投稿を計画に入れられました。私の大学でも学部生で国際論文を目指すのはなかなかないです。
そういったことをしているうちに、自分が他の大学生よりも進んでいることをしているという事実から、少しずつ自信を取り戻してきました。大変なことをするのはもちろんしんどくて何でもはやりたくないですが、リターンもあるものです。
ついに達成したWCS権利獲得
少し自信を取り戻して臨む今年のネット予選は気合いが入っていました。1回目、2回目の予選はある程度良いところまでいくも突破できず、悔しい思いをしました。2回目の予選後は自分の弱さに泣いていました。それでもあきらめずに試行錯誤した結果3回目の予選で突破しました。マスターカテゴリでの予選突破は初めてだったのでかなり嬉しかったです。
そこから公式側の不具合に散々振り回されながらも勝ち進み、WCSの権利を獲得したときは本当にうれしかったです。今までポケモンを続けてきて良かったと心から思いました。
この時の試行錯誤はぜひ以下の記事を見ていただきたいと思います。
横浜での5日間
ポケモン一色に染まった横浜の街、そして沢山の観光客を見て、「自分がこの場所に選手としてきている」という事実がとても誇らしく思いました。去年までは自分が日本代表になれるとは全く思っていなかったので、よくここまでたどり着けたなという気持ちでいっぱいでした。
そしてパシフィコ横浜の地に足を踏み入れた時、ようやく自分の中にある靄が晴れたような気がしました。あの日悔しい思いをして、何度も後悔して、それでも前を向いてこの日までポケモンをやってきたことを自分で褒めたいです。
また、オープニングで太鼓の演奏を聴いている時や、石原さんの「1年をかけて今日ここにたどり着いたトレーナーの皆さん、本当におめでとうございます」という言葉を聞いた時、いろんな感情が込みあがって泣きそうになりました。
肝心の対戦結果は1勝3敗で敗退、その後対戦を続けて2勝5敗とかなり負け越しました。少し運の下振れはありましたが、これが現状の実力だと思います。
しかしウェルカムキットや物販でいろんなグッズを手に入れたこと、夏祭りパークで遊んだことやクルーズで対戦をしたこと、ナルサスさんの飲み会で色んな人と沢山話をしたこと、その他たくさんの体験がとても楽しかったです。
これからの思い
何人かの方が「今年でポケモンに本気で取り組むのはやめるつもりでしたがまだやります!」みたいなことを言っているのを見ましたが、自分はそもそも来年以降もポケモンをやるつもりでいました。
人生の3分の1以上をダブルバトルと共にした結果、もう自分の人生とダブルバトルは切っても切れない関係にあるところまで来ました。また、ダブルバトルによって沢山の人間関係ができ、楽しい毎日を過ごせていると思っています。今のところポケモンをやらない自分は想像できないです。私の呪いはいつ解けるのでしょうかw
また、今回のJCS、WCSで一回も配信卓に行けなかったのも心残りです。自分がダブルバトルを始めたきっかけは配信を見て憧れたことです。自分もその場所に立つという目標はまだ達成できていないので、配信に映りたい、そして勝ちたいという気持ちはあります。
配信に映るという目標は結果と直接結びつかないため、次の目標は「WCSでトップ32に入ること」にします。その理由は、トップ32の人が限定グッズをもらっているのがとても羨ましかったからです。これまでWCSに出たい理由の一つはウェルカムキットが欲しいということであったので、また限定グッズを目指して頑張る、ということならモチベーションを保てそうです。
ただ来年以降の取り組み方に関しては結構悩んでいます。私は現在修士1年であり、就職のことを考えなければならない時期になっています。これからポケモン10割の人生を送るつもりはないですが、だとしたら自分の人生の軸はどうなるんだろうという不安に駆られている状況です。その辺に関しては人生の先輩ポケ勢の方々に是非アドバイスいただきたいです。よろしくお願いします。
最後に
たくさん振り返ってみて、自分はポケモンというゲームが本当に好きだということを改めて感じました。これからもポケモンを通じてたくさんの思い出を作りたいです。
また、ダブルバトルでの次の目標はWCSトップ32と述べましたが、それとは別の目標も新たにできました。それは今回の大会を自分の目で見て、そしてネット上での様々な反応を見て考えたことです。その目標を達成するのはきっと難しいと思いますが、できる限り頑張ってみようと思います。
その目標とは何なのか?
WCS優勝でもできたら、その時に語ろうと思います。