ライターズブロックを考える/各論/リテイクってどーやってる?

こんなマンガがタイムラインで話題になっていた。


仕事で創作をやるときって、必ずこのリテイクってやつがでてくるんだけど、いろんな考え方ややり方があってオモシロイ。

たとえば有名どころだと、ストレートエッジの三木一馬さんなんかは、
「ダメ出しをするなら、必ず対案をいっしょに出す」っていってるし、
http://amwbooks.asciimw.jp/trial/978-4-04-865715-0/C4-06/

コルクの佐渡島庸平さんなんかは、
「代案は出しちゃダメ。読んだ後の感情のリクエストをする」っていってたりする。
https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/chiefeditor03

どっちの考え方も、わかるなぁと思う。
どっちも正解なんだよね。

僕の考え方は、以下の講談社のマンガ編集さんの考え方に近い。
(この方は捕まってしまったんだが……)

『担当の感想は大事に受け止めるけど、修正案は自分で考える』。

対案って、やっぱり切り口がその人のものなので、そのまま採用しちゃうと、作品のなかに継ぎ目みたいなものができていっちゃうので。
それであんまり継ぎ目が増えていくと、自分の作品のはずなのに、ぜんぜんわかんねえ~! ってなっていっちゃったりする。
担当の感想をきっかけにしつつも、具体的にどう修正するかは、自分の頭で考えさせて、って思うことが多い。


あともういっこ、リテイクの際に気をつけているのは、そこそこ大きな修正の場合は、直接会って話を聞くか、せめて電話で話をすること、かなぁ。

新人のころは、PDFに直接赤字がバーッって書かれたやつをメールでもらっていたんだけど……このやり方は、合わなかったんだよね。
なんというか、「指示を受けている作業者の感覚」になっていっちゃって。「こうしなければいけないんだ」って義務感になっていっちゃった。

文面の場合、読みながら相手の意図を汲みとろうと考えるうちに、主体が自分じゃなくなっていっちゃうのかもしれない。
初稿終えたあとならぜんぜんいいんだけど、書いてる途中にこの状態になると、ノリやテンションがよくわからなくなっちゃって。

その点、会話だとすぐに意図を訊いたりできる。
(なるほど、そういうところがよくないのか。それじゃ、こんなふうに修正してやるのはどうかな?)
って、リテイクであっても、「こうやってやりたい」って攻めの気持ちのままでいられることが多いなぁと。

あと文面だと、修正指示が、ぜんぶ均等にみえちゃうのもいまいちで。
ほんとは、「めっちゃ大事で修正しなくちゃ!」ってところもあれば、「そうでもないけどいちおう修正した方がいいかも?」みたいなところもあるはずなのに、全部均等でみえちゃうという。
それで全部均等に対応してると、疲れるのもそうだし、修正自体もバランス悪くなっちゃったりするんだよな。
会って話してると、そのへんの強弱はなんとなくわかるので、きっちりと本質を考えてなおすレベルの修正と、ただ単語や言い回しを変更するレベルの修正と、自然に分けながらできることが多い気がする。


小2からプログラミングやってるデジタル人間のくせに、このへんの感覚はだいぶアナログだなぁ。

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