ホラーなんて書けないよ!

怖いってなんだろう? とよく考えている。

『絶望鬼ごっこ』なんて本を書いているためか、ホラー作家として認識されてることが多いのだが……僕はほんとは怖い話の書き方なんて、ぜんぜんわからない。
いや、謙遜とかじゃなくて、ほんとにわからない。
それで結構苦労もしているので、ちょっととりとめもなく考えてみる。

貞子とジュラシックパーク

なんというか。
単に「ホラー」というと、日本人的には「貞子」の怖さじゃない?

あれを表現するためには、人間の心の湿度というか、ドロドロ感というか、ウェットさを描ける能力が必要だと思うんだよな。
僕、無理なんだ。
茶化したくなっちゃう。
素敵な前髪ですね、って言いたくなっちゃう。

僕がかろうじて書けるのは、「ジュラシックパーク」の方なんだよな。

ジュラシックパークに、ウェットさはないじゃん?
おまえを喰うぞ、ガオーでいいじゃん?
でもそれがホラーかと言われると、「ホラー…?」ってなってしまう。

「怖い」と「ハラハラする」

そういえば編集さんに「もっと怖くして!」と言われることがあるんだけど、いつもよくわからなくなってしまう。
怖くってどういうことなのか、自分の中にあまり感覚がない。
ただ「ハラハラさせて!」と言ってもらうとピンとくるんだ。
お化け屋敷じゃなくて、ジェットコースターですね? っていう。
なので今では編集者に「怖く」って言われたときは、「ハラハラ」って翻訳して理解することにしている。

僕の感覚では、「怖い」と「ハラハラする」って違うものなんだよな。
「貞子は怖い」
「ジュラシックパークはハラハラする」
は、そうだよねと思うけど、
「貞子はハラハラする」
「ジュラシックパークは怖い」
は、ちょっと考えこんじゃわない?
どう違うかっていう説明はうまくできないんだが……。
なので絶望鬼ごっこを書くときも、「読者が怖がるような話にしよう!」って意識したことはなくて、あるのは「読者がハラハラする話にしよう!」って意識の方だ。
結果的に「怖い」と言われることはあるのだが、いつも「怖くなくない?」と思っている。

「怖い!」に興味がある? そのあとに興味がある?

そういえば、怪談や都市伝説って、怖い部分で終わることが多いように思うんだよな。
うしろになにかいる…と思って、バッと振り返った! ……そこで幕引き、物語終了ですよ、というか。
「怖い!」という感情の頂点で終わるというか。
そこの一点をどう印象的にするかっていう考えで、前段の構成があるというか。

僕はそうではなくて、バッと振り返ってなにかがいたあとで、
「そいつがどう襲ってきて、どう追い詰められてしまうのか? / それに対してどう対処するのか?」
っていう部分の方に興味がある。
前者を濃くするとハラハラ感が増し、後者を濃くするとエンタメ感が増す。
これはホラーというよりも、ゲームとか、ハリウッド的なエンタメの構成の話であって。
なのでたぶん、焦点がちがうと思うんだよな。

恐怖の帰り道

そういえば以前、『恐怖の帰り道』という本を書いた。

https://www.amazon.co.jp/dp/B0771GVKVN/

これは都市伝説や怪談っぽい作りを意識した本。担当さんが怪談ムック本をよく作っていた経験から、書店のそのへんの棚に並べてもらおう! ということから立てた企画である。
でもね。
担当さんに、どこが一番面白かったか訊いてみたらね。
「子供たちが道を歩いているときに、みんなで話してるシーンが可笑しくてお気に入りです!」。

ぜんぜん、「恐怖の」関係ねーじゃねえか!
俺もそこが一番楽しいよなと思ってたけど!

キャラが強いとホラーにならなくね? 問題

怪談や都市伝説って、登場人物は顔のないAさんのことがほとんどで、キャラ付けなんていらないと思うんだよな。
匿名性の高い、どこかのだれかであることが良い。なぜなら、だれにでもあてはまるから。(感情移入度を高めるために、ドラクエの主人公がしゃべらない、みたいなもんだ)
怪談オムニバスにおける案内人のキャラクター(世にも奇妙な物語におけるタモリですよ)も、正体のわからない謎のキャラクターで、感情的な部分が見えないことがほとんどなんだよな。
感情的な部分が見えると、怖さからは遠ざかる。

でも僕の作劇は真逆で、キャラをつけてっちゃう方。
恐怖の帰り道でも、キャラを掘り下げて会話を楽しくしちゃったし、案内人であるコガラシくんにいたっては、
「もう何年も家に帰ることができず、道で拾った最強の雨ガサを手に、子供を家まで送り届ける帰宅請負人をやっているショタっ子」
と立てすぎちゃって。
……もともと、「これは道端で拾った、最強のカサなんだ!」ってセリフを言わせたくて考えた企画だったし。
あと横断歩道の隙間からワニを飛びださせたかった。

なので、物語としては楽しかったと思うんだけど、怖さからはどんどん離れていっちゃって、「恐怖の」というパッケージングで手にとってくれた読者に対して、期待と違うものを渡してしまってるなぁ…という迷いは強かった。ただ、書けんもんは書けん。。
3巻とかはもう吹っ切れて、「すんません恐怖ってよくわかりません!」って言って、感動話とかコミカルな成長話とか入れちゃってるんだが。

デビュー前からここらへんの、どこのジャンルに入るべきか、みたいな話が苦手だったりする。
書きたいものは人間やキャラクターであって、ジャンルにはあまりこだわりがないんだよね。
でも商業では、まずジャンルを求められやすいというのはあって。売るときのカタチを求められるんだよね。
そういうときは、担当と好きなものについていろいろ語り合うか、箱を借りてくるかのどっちかだと思うんだけど。

ツノウサギリストラ問題

そういえば、絶望鬼ごっこの巻数が浅いうちは、担当に、
「ツノウサギ出すと怖くなくなるんで、こいつもう出さないでくださいーっ!」
ってよく言われていた。
これ、怖さに着眼した考えだと思うんだよな。
僕は僕で、
「いや、人喰い鬼がすっとぼけた性格してるのが面白いんじゃないすかぁー!」
って抵抗してた。
これ、キャラに着眼した考えだと思う。

読者ハガキでイラストが増えたので、ツノウサギはリストラを免れたんだけど。
でもこの綱引きは必要だったように思うんだよな。
編集が強く引きすぎても作家が強く引きすぎても、うまくいかないバランスがある。


とりとめなく考えてみただけなので、特に結論はない。
とりあえず、あれだ。ホラー作家じゃないんすよう!

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