他人のお仕事
Xで「文筆業と声優は『誰でも簡単にできる』と思ってる素人さんは昔から一定数いる。」というポストを見た。
これ、素人さんにかぎらず、編集さんにも、
「マンガは無理だけど、小説なら、日本語の文章なんだから、やろうと思えば自分にも書ける」
「大人向けの文芸は無理だけど、児童書なら平易な文章だから自分でも書ける」
と思ってる人、ちょくちょくいたりする。
年次が経つと言われなくなるんだけど、新人に対しては編集さんたちも正直なもので、直で言われたこともあるし、言外に感じることもちょいちょいあった。
いや、そんな簡単なもんじゃないと思うけどな~。
平易な文章書くのって、じつはムズいんだぜ~。
…と、多少腹の立つところはあれど、べつになにか弊害があるわけでもないので、まあいっかと流すんだけど。(や、それで「逐一文章添削!」とかはじめられるとさすがに困っちゃうんだけど)
単純に、「他人のお仕事」に対する解像度っていうのは、そんなもんだよな~と思って。
実際にやってみないかぎりわからない感覚っていうのは、誰にでもあるというか。自分だって他人の仕事に対して、「それくらい自分でもできる」って無意識の感覚、たくさん持ち合わせてるだろうしね。
新人のときはそんな感じなんだけど、年次が経つとだんだん言われなくなって……それはそれでじつはキケンだったりしないか? とも思ったりする。
歳を食うほど、「侮られる感覚」を意識的に摂取しないといけないのではというか。
これは特に、自分が児童書を書いているからかもしれない。
や、子供って基本的に、「子供であるということをもって、いろいろな面で社会や大人から、無意識に侮られる立場」であるわけじゃないか。「庇護」と「侮り」って、表裏一体というか。
でも年齢を重ねるごとに、逆に「大人(もっといえば、老人)であるということをもって、若い人から(表面的には)敬意を持たれる立場」になっていくわけで。
くわえて、いわゆる作家……つまり「先生」とか呼ばれてちやほやされるような立場が重なっちゃうと、それって子供の感覚とは対極にあるよなぁと思っていて。
なので、歳を食っていくごとに気をつけていかないと、自分の中から子供の感覚が抜けていっちゃう気がして。
なので、「もっと…! もっとゴミみたいに扱って…!」とか思ったりす……いや、さすがに思わねえな。
心の中の小学生男子を大切にしようって話でした。うんこ。