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サマリー:自由な人間はどのように社会を構成するのか(Futurist note第3回)


イントロダクション

こんにちは、VARIETASのFuturistのRentaです! VARIETASは、構造的な問題によ って発生するひとりひとりを取り巻く摩擦(=フリクション)がゼロな社会(=Friction0)を実現することを目指すスタートアップ企業です。Futuristとは、目指すべき未来像を示す未来学者です。

前回のnoteでは、次のようなことを考察しました。自由は自然法則からの自由であり、社会の構成によって可能になります。時には本能に反する行動や大規模な協業を可能にします。その一方で、自由はまったく制限がない、ということは意味しません。自由は様々な制限の中で、成就したい欲望を選択し、実現可能なアクションを取ることを指します。

前回のnoteを受けて起こる疑問として「なぜ人間の本質は自由であるにも関わらず、社会的抑圧が確認されているのか?」というものがあります。今回のnoteはこの問いに答えるための準備作業です。人間がどのように社会を構成するのかを、アメリカの社会学者であるバーガー&ルックマン著『現実の社会的構成』(原題Social Construction of Reality)をもとにして考察します。

『現実の社会的構成』に沿って、人間はどのように社会を構成するのかを追跡する

『現実の社会的構成』の位置づけ

バーガーとルックマンは自らの学問を「知識社会学」としました。
バーガーとルックマンにとって知識とは、イデオロギーや思想だけでなく、常識や自転車の乗り方、テーブルマナー、行政手続きなども含むものです。
彼らの主張は「社会とはこのような知識に媒介された構築物であり、それは人間の主体的な解釈や行為によって成り立っている。」ということです。1)

補足として、バーガーとルックマンの時代の社会学の潮流を簡単に表した図を添付します。彼らの位置づけがよくわかるはずです。


20世紀社会学の潮流

バーガーとルックマンの立場はFuturistの立場に似ています。というのも、Futuristも社会が所与というわけではなく、人間が構成するものであると考えているからです。
そのため、上記の問いに回答するためにも有効な議論だと考えました。

人間はどのように社会を構成するのか

前提条件:人間には本能がないので、代わりに社会を作る

バーガーとルックマンは社会の生成過程を追う際に、人間とは何か考えました。
バーガーとルックマンによると、人間の動物界における特異な特徴として、環境に縛られないという点があります。言い換えると、人間が自身の行動を選択し、自身の生活を創造する能力を意味します。
つまり、人間には本能によって定められた居住に適切な環境や生存戦略が存在しません。

なぜそのようなことが可能なのかでしょうか。
人間は、生まれたときにはまだ成熟していないため、本能的に行動することが難しいようです。そもそも行動を規定する本能が未発達だからです。2)
本能がないため、個々の人が自然環境に適応するためには、社会的な環境が必要です。
例えば極寒の地で生き延びるためには以下のような社会的環境が必要です。

  • 狩猟の技術の学習環境

  • 忍耐力を是とする価値観

  • 動物の体を最大限に利用する技術

などが挙げられます。これらはすべて、社会的な環境から学ぶことができる知識や技術です

ここまでをまとめれば、人間は自然環境に対して適応していくために社会的環境に入る必要があるということです。
ちなみに人間は社会秩序がなければ何もできなくなり、ある種の無秩序の中で活きることになります。その結果、選択肢が多すぎて何をすればいいかわからなくなる可能性があります。このような生物学的条件は、人間に社会秩序を作ることを要請します。3)

社会秩序はどのように作られるか?

社会秩序の発生過程を追うため、歴史的に何の文脈もない(たとえば偶然無人島に流れ着いた)AとBを考えてみましょう。
AとBが相互関係に入った途端、お互いの類型化が始まります。お互いの行為に動機を認め、それが繰り返されるのを見ることになります。となると、「ああ、相手がまたあの行動をしているな」という観測が可能になります。
しかし、ここではまだ社会秩序は発生していません。
お互いの行動はAとBが自発的に始めたものなので、歴史性を獲得していないからです。

この行動や役割のパターンが歴史的に受け継がれてきた、という認識が社会秩序を可能にします。秩序である以上、構成員にある程度従ってもらう必要があり、そのためには構成員が社会に参加する前から秩序があった状態にすることが有効だからです。例としては、AとBがそれぞれ子どもを持った場合や新参者であるCがAとBの関係に参入してきた場合があり得ます。
AとBは自分たちのパターンを維持するために、「これがしきたりだ」と言って子どもやCを、自分たちのルールに従わせようとするでしょう。ここに歴史が現れ社会秩序が発生します。

『現実の社会的構成』への批判と擁護

ここからは『現実の社会的構成』の問題点を指摘し、その改善点や擁護を提示します。このことで、今後のFuturistの考察に役立てるためです。

批判

バーガーは初期の取り組みで、社会システム論に対抗するために人間の主体性に注目した社会学を構想していました。しかし、『現実の社会的構成』では、個人が歴史を通して社会の規範や価値観を内在化することが語られ、個人と社会との間に矛盾を想定することができず、新たな主体的行為そのものが構想できなくなってしまいます。4)

反論

上記の批判に反論すると、そもそも人間の意識には社会化される部分と社会化されない部分があるはずです。言い換えれば、個人が社会に完全に同化することはまず起こりません。

ここに、社会に同化した部分と同化していない部分の対立が個人の内部に現れます。言い換えれば、社会に馴染まない部分があるはずです。そのような側面があるからこそ、主体性を発揮して新たに社会をつくり変えていく余地が残されているということです。5)

まとめ

バーガーとルックマンの主張は、「現実は社会的に構成され、その基盤には知識がある」というものです。人間は選択肢が多すぎて不安になるため、行動をルーティン化する習慣が生まれ、社会秩序が形成されます。しかし、個人は完全に社会に同化せず、同化していない部分の対立が新たな社会構成の契機となります。

このnoteは「人間の本質は自由であるのにも関わらず、なぜ社会的抑圧が生じてしまうのか?」という問いに答えるための準備でした。次回もその続きで、「実際にどのような社会的抑圧が存在しているのか」を考えていきます。

最後までお読みいただきありがとうございました!

出典
1)大澤真幸、社会学史. 講談社. 2019.p.383
2)P.L.バーガー、T.ルックマン. 現実の社会的構成.新曜社. 2003. p.75(以下『構成』と示す)
3)『構成』.p.80、P.82
4)吉田幸治、’P.L.バーガー「現実の社会的構成」論における問題性と可能性’. 『立命館産業社会論集』.2002
5)同5)

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