資本主義の構造が機会平等・能力主義の理不尽の原因である
今回はImaginist(Imagineギルドメンバー)で
あるRentaが資本主義のアマチュア化の前提にある問題の機会平等/能力主義と資本主義の関連について書いたnoteです。
資本主義のアマチュア化について先に知りたい!という方はこちらのnoteをぜひご覧ください!
機会平等・能力主義について先に知りたい!という方はこちらのnoteをぜひご覧ください!
はじめに
機会平等・能力主義は理不尽な制度です。
なぜなら、個人を自由にする制度に見えるのですが実際には個人を
縛っている制度だからです。
(もちろん身分による職業選択の制限の廃止などの良い面もありました)
機会平等と能力主義は
機会(やりたいことを実現するためのリソース・ポジション)得るための
競争は万人が参加できますが
機会を得られる定員が限られているので、能力主義という指標を用いて
誰が機会を得るべきか決めている関係です。
この関係は以下のような形で個人を縛ります。
支配=自ら社会的な場を選択できない
抑圧=社会的な場でできることが拘束されている
例えば「アーティストになりたいのだが、オーディションの枠が
限られている中自分の実力に自信がない。結果、挑戦もできなかった」
という人は定員が限られているなか自分の能力が足りないため
オーディションという場に飛び込めないという支配を感じているし、
大企業に就職したいが、高学歴ではないため難しいという人は現在の学歴では大企業に就職するために必要なリソース、手段が制限されているので抑圧を感じているといえます。
支配と抑圧は個人と社会の相互作用を示しているので
私たちが生きる社会に原因が求められそうです。
どんな社会かというと
文化の境界をある程度超えている
機会平等・能力主義が導入されている
この2点を満たしそうな社会の括り方は資本主義だと思います。
資本主義は近代ヨーロッパに始まり世界中に広まりました。
また、資本主義では利益やパフォーマンスを最大化するために
機会平等・能力主義を取り入れられています。
機会平等・能力主義の理不尽な点、支配と抑圧といった用語に関する解説はこちらのnoteで詳細に行っていますので
是非ご覧ください!
資本主義の構造が機会平等・能力主義の理不尽の原因である
それでは、資本主義とは何かという問いに切り込んでいきます。
ここで用いる学問は哲学です。
浅田彰著「構造と力」で言及された資本主義論を使います。
「構造と力」で議論を行う理由は2つです
資本主義を別なものと比較して相対化できる
資本主義の理不尽に対するこれまでの解決策が根本的ではなかったと
わかる
資本主義とは秩序の一種であり、その構造が個人を縛る
「構造と力」では、資本主義を人間が発明してきた秩序の1つと位置付けています。
人間は欲望が氾濫している存在という前提のもと、何とかコントロールするために秩序が生まれました。無秩序、絶対王政、資本主義を比較した表が
以下になります。
以下から人間は欲望が氾濫しているという前提や、秩序としての資本主義を
もっと詳しく見てみましょう。
秩序の前提1:人間は欲望が氾濫している
→人間は様々な欲望を持つため、外部からの刺激に対して
多様な反応を示します。
これは人間以外の生物と比較すると分かりやすいです。
例えば、シマウマが他の動物の肉を目にしたときどんな反応を示すか。
どの個体も無視するでしょう。シマウマは草食ですから。
逆にライオンならばまず食べるか考えるはずです
(空腹状態にもよりますが。)
人間の場合、人によります。食べたいと思う人、解剖してシマウマの生命の
神秘を解き明かしたい人、キモイと思う人色々です。
図にすると下のような感じです。
秩序の前提2:欲望の氾濫は社会的摩擦を生む
→多様な反応が存在しているだけならいいのですが、個人の持つ欲望を
手放しにすると社会的に問題が発生します。
例えば破壊の欲望を解放した結果、他人を問答無用で傷つける人が大量発生したり、性的欲望を解放した結果性病の蔓延や近親相姦など性に関わる問題をまき散らしたりする人が出てくるでしょう。
そこで、人間が種としての自滅を避けるために、欲望をある程度
コントロールする必要が発生しました。そこで生まれたのが秩序です。
その秩序は原子共同体や絶対王政など様々ですが、
資本主義もその一種ということです。
資本主義はお金を用いて欲望をコントロールする秩序です。
様々な方向に向いてしまう人間の欲望をお金に向けるように仕向ける
秩序が資本主義です。
ちなみに他の秩序、例えば絶対王政などは王様が権力を使って無理やり
下々の人間の欲望を抑えるという風に見ることができます。
秩序の責任者(王)が存在していること、欲望を抑制している点が資本主義と異なります。
では、秩序の明確な責任者が存在せず、欲望を抑制どころか解放
させる資本主義はどのように欲望をコントロールしているのでしょうか。
資本主義の倫理に答えがあります。
資本主義の倫理とは「儲からなければ成功ではない」という行動規範です。
この倫理を個人が内面化しているからこそ、欲望はお金に吸収され、
秩序を保つことができるのです。
資本主義の構造は支配と抑圧を引き起こす
さて、人間の欲望をコントロールすることに成功してきた資本主義ですが、
問題点も抱えています。
それは資本主義の倫理により、個人が縛られていることです。
資本主義の倫理により、お金になる行動以外排除されるので
個人は縛られている、ということが言えます。
前章の言葉を使えば、資本主義の倫理は支配と抑圧を
生んでいます。なぜなら、
と言えるからです。
ここで、機会平等・能力主義と話が繋がります。
「儲からなければ成功ではない」からこそ機会平等・能力主義が
登場しました。個人や企業が資本主義を生き延びるには利益が必要です。
利益を得るために、能力が重視されます。
以下のような思考で能力が重視されます。
企業は利益を得たい
何もないところから利益を得るのは難しいため、資金調達する
資金調達ができるには、「信用=リターンの確実性」が必要
信用はこれまでの実績から成る
その実績はそもそも能力がないと積めない
だから、企業は能力が重視される
このロジックは個人にも通用します。
起業しても、雇用されるにしても、所属する企業の利益に貢献するために
能力が求められます(スキル、学歴など)。
そして機会平等という定員が限られた状況が競争を激化させるという仕組みです。
機会平等・能力主義はこのようなに機能しているはずです。
そして、以下のような効果を生みました。
お金になりそうな特徴・特技のみが能力と見做される
「したい」よりも「できる」を選択時に重視する
だから、機会平等・能力主義の理不尽な側面の原因は
資本主義の構造に求められるのです。
では、支配と抑圧をなくすにはどうしたらいいのでしょうか?
資本主義の倫理に個人が縛られないようにする
個人間のやりたいことの支援や応援を促進する
社会全体の秩序を資本主義と異なったものにする
という3方向のアプローチが考えられます。
また、支配と抑圧がなくなった社会とはどのような社会なのでしょうか?
選択が自分でできるし、そのためのリソースも得られるので
自分で成功を定義できるし、実現することもできる社会、ということができます。
no 支配かつno 抑圧ともいえる状態をどのように達成するのか、
それはどのような社会なのかはこちらのnoteで
詳細に述べているので、ぜひご覧ください!
使用文献
浅田彰『構造と力―記号論を超えて』、勁草書房、1983年
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