電車

 とりあえず目を瞑る中年サラリーマン、音楽を無線イヤホンから摂取する女性、眼鏡をかけたご婦人は大きなキャリーケースが転がっていかないよう、しっかりとってを掴んでいる。
平日の昼下がり、都会へ向かう電車の中。外から聞こえるのは切り裂かれる風の音。私が自転車を全力で漕いでもこうはならない。ガタンと機体が揺れるのは、レールに隙間があるかららしい。繰り返される機会的な行先のアナウンス。最近は英語での案内も増えてきた。何度も耳に入ってくるので、何を言ってるのか分からずとも、カタカナに直すくらいには慣れてきた。停車駅の名前はどう足掻いても日本語だから、嫌でもしっかりよく聞き取れる。たまに運良く他の電車とすれ違うことがある。空気のぶつかり合いのような爆音にはいつも驚かされる。
 私は四輪車が苦手だ。バッドステータス「乗り物酔い」が発毛するからだ。しかし、不思議なことに、電車は例外なのだ。乗り物なのに、全く酔わない。天井が高い、速度の違い、他人の存在などなど、考えることはできるが、正解どうかはわからない。確かめる術があるのであれば教えてほしい。中学時代、部活の遠征でバスに乗ったことが何度かある。その中に、英語単語帳を持参して移動時間を有意義に過ごそうとする賢い子ちゃんがいた。私にはあの子が羨ましかった。私も読書家だ。隙間時間に読書ができるなら喜んでする。が、あの無限とも思える吐き気と平衡感覚に直接くる怠さの前に、私は遠くを眺めるか寝るかの二択しか無かった。電車は酔わないと知ったのは、高校生での部活遠征だった。あの日はバスと電車の乗り継ぎで、そこそこ遠い場所までわざわざ足を運んだ。先輩にスマホゲームをしようと誘われた。所謂マルチプレイ。あの頃の私には(今も対して変化していないが)年上の頼みを断る勇気は備わっていなかった。覚悟を決めてゲームに挑んだが、他の先輩に声をかけてもらうまで、目的地に停止したことに気づくことができなかった。普通に遊んでいた。まったく酔わなかったのだ。
 そんなことがあってから、私は電車での移動時間のみ、有意義に過ごすことができるようになった。今こうして、目に写った光景、過去の出来事、それらをスマホのメモ帳に文章で書き起こす素晴らしい営み。これらは電車の中でのみ許された行為なのだ。残念なことに、私にはバスから見える帰り道の情景を文章に残すことはかなり難しい。本当に、残念だ。

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