生き残る鉄道、無くなる鉄道
今日、5月18日、JR九州の日田彦山線の一部区間の鉄道復旧を福岡県が断念したと報道が出た。
一方、同じJR九州の豊肥本線は2020年の夏に復旧し全線で再び鉄道が走り始める予定である。
同じJR九州の路線なのに、この2つの鉄道路線のどこに違いがあったのだろうか。
この2つの路線に鉄道が走らなくなったのはどちらも災害がきっかけだ。
日田彦山線は2017年の九州北部豪雨、豊肥本線は2016年の熊本地震により甚大な被害を受けて一部区間で鉄道が走ることが困難になった。
2020年5月現在、日田彦山線の不通区間は添田~夜明の29.2km、一方豊肥本線の不通区間は肥後大津~阿蘇の27.3kmである。
この2kmほどの差が二つの路線の命運を分けたのであろうか。
鉄道を復旧させるかどうかの判断をするにあたって重要な要素として、その区間がどれほど利用されているのかを考えるべきであろう。
この2つの路線はどちらも地方交通線、つまり国鉄時代に利用客がみなされた路線である。しかし、地方交通線という分類を受けたのは今から30年ほど前の話であり現状と一致しているとは限らない。
そこで2つの路線が普通になる直前の時刻表を分析してみる。
日田彦山線は全区間が非電化で気動車による運転、豊肥本線は熊本から肥後大津までは電化されているが肥後大津から先は非電化である。つまり肥後大津を境目に利用客が減っていたと推測できる。
では各線のダイヤについて見てみる。
まずは日田彦山線、2017年3月のダイヤである。添田~夜明間を通しで走るのは気動車が1日に9往復あった。添田止まりという列車も多く運行されており、添田から先は不通となる以前から利用客が少なかったことが伺える。
次に豊肥本線、こちらは2015年3月のダイヤである。普通列車は気動車15.5往復、さらに特急の「九州横断特急」が4往復、臨時特急の「あそぼーい!」が2往復していた。肥後大津から非電化で利用客が減っていたとはいえ、特急まで走るほどの重要な路線だったのである。
こうして不通以前の時刻表を比べてみると2路線の違いは明らかである。日田彦山線は鉄道での復旧を断念しバスでの輸送となるだろう。バスが一日に何往復するのかは不明だが、鉄道よりも輸送コストを下げることができて本数も増やしやすくなるのではなかろうか。
豊肥本線は復旧後のダイヤを見てないと分からないこともあるが、阿蘇周辺の地域需要、熊本~大分の都市間輸送需要、そして阿蘇への観光需要を拾うような体系に戻ることを期待したい。
ここでタイトルの「生き残る鉄道路線、無くなる鉄道路線」という観点に戻ってみる。鉄道路線が災害不通後、廃線になるか否かという判断は利用状況を基になされているのであろうという推測はできる
では、廃線にするかしないかの線引きの基準はどこにあるのだろうか。今回比較した2つの路線では違いがありすぎてどれが根拠なのだか不明瞭である。他の具体例も探らなければ答えは出ないが、災害で不通になる路線などこれ以上増えて欲しくはない。ひとまず豊肥本線の復旧後のダイヤが発表されれば何らかの手掛かりにはなりそうだ。他にも過去に廃線になった路線同士の比較というのもしてみようと思う。