あまつかぜ
吾待つ風
雲に雨にと
身を変へて
還り路誘ふ
雪解風なり
〈現代語訳〉
私が待つのは(留まっている雪を)雲や雨へ変化・還元されていく道へといざなう雪解風であるよ。
〈意訳〉
水は自然現象の中で目に映るその姿を変えて存在していて、人の手の介入できることなんてほとんどなく自然に任せるほかない。水だけでなく他のもの、たとえば人の心や環境や置かれた状況なども同様で、良い悪いに関わらずそれは移ろい変わって行くもの。その中で良い変化が起き(帰って来てまた再開でき)ますように。
(溶けない雪がないように、きっと必ずそうなる事だと思って待っています)
※
短歌は自分で作るのが好きです。文法は間違えると意味が変わってしまうので気をつけます(間違わないとは言えない)が、古語と現代語が混じろうが無数にある“お約束”を無視しようがあまり気にしません(とはいえ、枕詞に掛詞、係り結びに反語、詠み合いにおけるキーワードの盛り込みなどでしっかり表現出来るのは素直にすごいなと思います。嫉妬)。
言葉は変化していくもので、古語と現代語が混じることで新しい言葉や言い回しが生まれることもあります。最近だと「良き良き」とか、古語じゃないけど「わかりみが深い」とかありましたよね。たとえ意味としておかしいとか間違ってる用法だと言われても、通じあえてそこに面白みがあれば、そんなことは気にする必要もないと思っています。厳格であるべきだと言うならば「あたらしい」とか「確信犯(故意犯の意味)」なんて言葉は使っちゃいけないんだぞって話ですからね。
そうそう、名歌と呼ばれる歌や有名な歌は確かに良いなーと思う反面、意訳までも含めた情報が開示されすぎていて、自分で読み解いたり自分なりに楽しむという幅があまり無いのですよね。だから自分で作るのが好きになったのかも知れません。とか言いつつ、有名な歌から言葉やイメージを拝借してる時点で、私はやはり二次創作が適しているようです。
それにしても変化って、いいものですね。