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恋人を偲ぶように呼ぶ君

だめだ、このままでは、できない、ちゃんとやろう、という思いが高まって、短歌結社に入会した。できない、というのは、仕事が忙しすぎて自分ひとりで作品を作る時間も限界なところに、このうえ発表の場所まで自分で作ることはできないというのと、協調性とスキルがないために誰かと一緒に作品を作ったりすることも困難なので、定期的に作品を発表する場所を設けてしまわなければ続けられない、ということです。

短歌結社というのは、会費を払ってそのグループに所属する人々の短歌作品を掲載した冊子を定期的に発行する集団(一般社団法人になるのか)のことをいう言葉です。短歌をやるひとの間では一般名詞のように使われる言葉だけど、いざ知らないひと向けに説明しようとすると難しいな。まぁだいたいの定義としてはあってると思うし、実際に冊子を見せて、こういうものを発行したり歌会をやっているんだよ、というのが早そうだが。短歌結社の冊子をぱらぱらめくっただけでもわかる通りいろんな作風の人々がいて、そのなかに自分がいることで自然に読み比べができて、まず単純に楽しい。冊子があることで短歌になじみがない友人などに示して「僕はこういうことをやっとるんですよ、作品を読んでください、ほら、感想を述べろ、ほらほらほらほら」って言いやすくなるのもよいですね。これから僕に会うひとには読んでもらって感想を強いることがあると思いますので、よろしくお願いします。

いまの生活は本当に忙しすぎて、仕事がまぁ好きだから多少の無理も押し切るぞ、押切もえ、という気力でやっているわけでありますが、ゆっくりカメラを触って写真を撮るひまもじっくり映画をみるひまもないので、いつかこの生活は改められなければならない。短歌もひと月に15首くらいしか作れなくて、それも平日にメモしておいたアイデアを週末にガガッと作品にまとめるような荒っぽい作り方をしており、作歌のペースをコントロールすることもなかなか難しく、みんなよくコンスタントに続けているものだよって思う。僕はもう30首だと50首だのって長編の連作は作れないだろう。

そんなわけで数ある短歌結社のなかで、「未来短歌会」というところを選んで7月から入会して、まいつき投稿を始めました。今月10月号から僕の作品も載せてもらっています。冊子のタイトルは写真の通り「未來」で、これは過去ばかり見つめがちな僕が目を向けなければならない方角でもあります。筆名は「あめのちあさひ」です。知らないひとに作品を読まれるのかと思うとコッ恥ずかしいですね。僕はどうにもみなさん(←短歌をやっているひとびとの全称)みたいに普通な感じの作品が作れないし、自分の作品がウケるとも思っていないが、投稿して読まれる可能性があるからには多少の工夫は凝らしてみたいつもりであります。最初は10首に1首まぁまぁの出来のものがあり、さらに100首に1首の割合で会心の出来のものがあればいいかな、くらいの気持ちでやっていくつもりであります。

ところで、未来短歌会を選んだのは、いくつか見本誌を取り寄せて読み比べたりしたなかで、紀野恵先生の作品に惹かれたためであります。紀野先生の作品は、漢詩と短歌が融合したようなめちゃくちゃテクニカルなものがあったり、歴史的な題材をテーマにしたものもあり、はたまたねこちゃんのことをやわらかく詠んでいたり、自分のスタイルで自分のやりたいことを貫いているような作品を詠まれていることに憧れました。未来短歌会では投稿先の選者を自ら選んで、その方に選ばれた作品が掲載されるという決まりがあるのですが、僕自身の作風は紀野先生とは似ても似つかない、ちょっと、なんというか、道化みたいなものばっかですごい恥ずかしい感じもするのだけど、せっかくならば憧れているひとに読まれたいという気持ちが勝って、お送りすることに決めました。こいつなかなかやるな、と思っていただける作品を作らなければいけないね。それだけでもがんばろうという気持ちになれます。

初めて掲載された号に載せてもらったこの歌は、芥川龍之介のことが大好きな友人のことを詠んだものです。しかし、こんなへんてこな短歌ばっかり作っていて大丈夫だろうか。

リュウノスケ、リュウノスケって河童忌に恋人を偲ぶように呼ぶ君/あめのちあさひ

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