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親子別姓だった夫の話・1(全4話)

 私の夫(政夫)は実母と苗字が違う。産まれた時からずっと母親と一緒に暮らしているが親子別姓だった。

 義母は政夫が2歳の時に離婚が成立している。当時、乳飲子の息子を抱えて逃げるように実家に帰ってきたそうだ。そして離婚が成立した時、義母は旧姓の「鈴木」に戻したが息子は父方の戸籍に残し「竹之内」のままで母親と一緒に暮らすことになった。実は竹之内家は代々続く名家で政夫は、その竹之内家の長男だった。
離婚はしたものの、息子は竹之内家の長男のまま自分の手元で育て、成人したら竹之内家に返すつもりでいたらしい。

 しかし夫は20歳を過ぎても竹之内家に戻ることなく、35歳の時私と結婚し新しい戸籍になった。

 何気ない会話のつもりだったが、夫が自分の父親の話をし始めた。
夫が2歳の時に両親は離婚しているが、父親にその次会えたのは遺影だった。

「生きている間に、ひとことだけでも会話してみたかった」

 とポツンと言った。いつも強気な夫にしてはめずらしく感傷的なひとことだったので私は俄然興味が湧いてしまった。それまではなんとなく父親の話は御法度のようになっていたから。

「そういえば、おふくろの結婚写真があったような…」

そう言うと夫は、「よいしょ」っと立ち上がった。

 その写真を見て、夫が父親似だということを初めて知った。
若かりし頃のお義母さんも美しい。その写真を見ながら、夫の第一声が…

 私たち夫婦には3人の子どもがいる。まさに夫は父親そのものだけど己の存在を否定している。ということは、離婚はしたがお義母さんの子育ては成功したということなのか??

 我が家は、義母と5歳下の義母の妹もいる2世帯同居の7人家族だった。
私の持つお義母さんの印象は、聡明で負けず嫌い。人に厳しく自分にも厳しい人だ。洋裁が得意で何より優先することは家の掃除だ。とにかくだらしないことが嫌いで、服装と家がきちんとしていない人は相手にしない。

 もちろん嫁にも厳しいが、嫁以外の人にも厳しいので私はそんなに卑屈にはなっていなかった。ただ、一緒にいる時間が長いと居心地は悪い。できるだけお義母さんとは接触しないよう日々努力していた(笑)
 
 アルバムを閉じると夫は昔話を始めた。


 これは昭和30年代頃のお話です。

 とにかくおふくろは、厳しい母親だった。身の回りのことから箸の上げ下げまで、こと細かくしつけられた。言うことを聞かなければ叩かれた。

 今こそカラーランドセルも当たり前だが、当時、茶色のランドセルは奇異だった。高級皮革の特注ランドセルは、みんなのようなツヤもなくペチャンコだった。

 特に勉強は厳しかった。どんなにがんばっても褒められた記憶はない。

 叱られる時のセリフは決まってこれだった。<父親がいなくて、あんたは幸せだ>と言われているようで、幼いながらにそれはなんか違うと思っていた。
 
 そんなある日…

 本当に言われた意味がわからなくて、おふくろに聞いた。おふくろは血相を変えぼくの手を引いて友だちの家にどなりこんだ。そのおふくろの剣幕で、事の重大さを知った。

 自分の境遇は相当ほかとは違うらしい。

(つづく)

※登場する個人名は全てフィクションです。

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