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親子別姓だった夫の話・2(全4話)


 おふくろは市役所に勤めていた。毎朝ぼくを見送ってくれるのは、おばあちゃんだった。学校から帰ってくると家はいつも留守で、どうしても寂しい時は、畑にいるおばあちゃんのところまで1人で行った。
 
 その頃のぼくは、おふくろの言いつけを守り「神童」と呼ばれていた(笑)

 おふくろと遊んだ記憶はないが、一緒に暮らしていたおばさん(母の妹・未婚)が幼稚園教諭をしていてよく遊んでくれた。当時、おばさんからは「おねえちゃん」と呼ぶように言われていた。

 ほしいおもちゃ(めんこなど)やお菓子はいつもおばさんが買ってくれた。今思うと、おふくろが父親でおばさんが母親のようだった。おばあちゃんとおふくろとおばさんの4人暮らしだったが、相変わらず自分だけ「竹之内」だった。
 
 そんなある日、おじいちゃんの遺骨を京都へ本山納骨することになった。その儀式に参列するのは「鈴木家」の跡継ぎということだった。おふくろは4人兄弟の1番上で、おばさんのほかに2人弟がいた。上弟の息子が跡継ぎということで同行することになった。
 
 それは、ぼくの従兄弟の義夫くんだった。どうしてぼくじゃないのか、ちょっとショックだった。

 従兄弟の中で1番年上は自分だったし、親戚が集まればいつも
「政夫くんが1番のお兄ちゃんだから、ちびっ子たちのお世話をしてあげてね」
と言われていた。たくさん遊んであげたし、勉強を教えてあげることもした。

 でもぼくはいつまで経っても「鈴木」にはなれなかった。
 
 その頃から、ぼくはおとなたちの会話の内容が理解できるようになっていた。時々、竹之内家の悪口を言う会話も聞こえた。おふくろが竹之内さんを大嫌いなのもわかった。
 
 その元夫の竹之内さんは、おふくろと再婚だった。実はぼくには腹違いの姉が2人いるらしい。おふくろは結婚と同時に2児の母親になっていたが、その結婚生活も長くは続かず破綻し、父親の元に2人の娘だけが残った。

 その後、ぼくは父親のいるいないに関わらず思春期を迎え、反抗期に入った。小学校まで1番だった成績もどんどん落ちていった。

 何度も言うが、ぼくは父親を必要としなかった。しかし、おふくろは必要と感じたのだろう。

 父親は、隣の市で高校の英語の教師をしていた。公立の進学校だった。今の成績を維持すれば合格できる自信はあったが、ぼくは地元の高校に進学した。そこからは、どんどんおふくろとの関係は希薄になっていった。

 相変わらず母親不在だったが、おばあちゃんの作ったごはんを食べ、おばさんがくれるお小遣いで遊んでいた。

 そんなある日、部活の地区大会の試合会場で去年の担任に会った。

(ロングヘアは70年代のムーブメントだった)

 その時の自分の心理状態は、はっきり覚えていないがおそらく森本先生を驚かせるぐらいの軽い気持ちで言ったと思う。
 
「K高校で英語を教えている竹之内先生は、ぼくの父親なんですよ」

 後にも先にも、父親の存在を認めたのはこの時が初めてだったと思う。口に出した後、急激に変な汗が出た。しかし森本先生の反応は自分のイメージと違っていた。

「あれ?竹之内先生には2人の娘さんがいるだけだと聞いていたけど…」

 はずかしいやら、情けないやら、みっともないやらでその後のことはあまり覚えていない。
 
 やはり、ぼくに父親はいなかった。それを確認しただけだった。ぼくは鈴木でも竹之内でもなかった。そうだ、それだけのことだ。

(つづく)
※登場する個人名は全てフィクションです。

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