エス語訳『イソップ物語』を読む②
原文
私訳
「雄鶏と宝石」
ある朝、雄鶏は「おいで、おまえたち」と雌鶏たちに言いました。「おれは腹が減った。おまえたちも腹が減った。おれはおれたちの朝飯のために、イモムシやら甲虫やらを探しに行くとしよう」
雌鶏たちは待っている間、雄鶏は一体なにを見つけたでしょうか。
雄鶏がはじめに見つけた物は、イモムシでもコガネムシでもなく、宝石でした。
「なんとまあ!」と雄鶏は叫びました。「そこにあるのはなんだ? 宝石じゃないか! 宝石を見つけたのが他の者ならばたいそう喜ぶだろうが、おれはこの世全ての宝石よりも、少しばかりの穀物が欲しいのだ」
「わたくしたちも同じですわ」雌鶏たちもそう言いました。
文法的な注意点
mia kara:英語で言うところの"my dear"的な表現。今回は夫婦(恋人)間の呼びかけに使われている。一伏は他に親子間で使用されているのを見たことがある。
koko/kokino:どちらも「鶏」だが、kokoは雄鶏でkokinoは雌鶏。-in-は名詞を女性化する接辞。例)patro 父 → patrino 母
Dio mia!:英語で言うところの"My god!"。直訳では「私の神よ!」となるが、感嘆詞と考え「なんてこった!」的に訳すのがpli bone。
所感
で?(ゼラチン質の)
これといった感想が出てこない、起伏に乏しいタイプの訓話。たぶん「うまい話が転がってきても目的を見失わずに今必要なものを選びなさい」的なことが言いたいんじゃないのかしら。
前半を読んでいるときは「これは雄鶏が宝石に目がくらんで食いっぱぐれた上に妻に呆れられるパターンのやつか」と思ったのだけど、案外しっかりしていたこの雄鶏。3歩あるいても大事なことを忘れないんだ……。