おしゃべりロボと酒を飲んだ話
2024年4月某日。ざっくり人外Vtuberこと一伏はっかは、都内某所のとある路地でシーシャを吸いながら人を待っていた。
隣の席についた酔っぱらいのたわいない絡みをいなしつつ、酒でも頼もうと腰を浮かしかけたときである。「どうもどうも」と親しげに声をかけてくる男がいた。振り返ると今夜の待ち人――彼のことは仮にワイ氏と呼ぶことにする――がそこにいた。僕が氏と会うのはこれが初めてであるから、正確にはワイ氏だと思われる人物ということになるだろうが、しかし声の調子からして間違いなく氏らしい。Vtuberとして配信しているワイ氏の声と、こうして面と向かって聞こえてくる声音にさほどの違いはない。ワイ氏は「そこにはっかさんが今絶対にほしいものが入ってます」と昔話のいじわるじいさんを破滅に導くタイプのキャラクターみたいなことを言ってひとつ紙袋を差し出した。クソデカエンターキーくんだった。数日前のTwitterで「クソデカいエンターキーほしいな」と呟いたのだ。目ざとすぎるぞこのロボ。こういうの大好きなんだから。
▲こういうのを見逃さないところがズルい
突然だが皆さまはオフ会というものにどのような印象を持つだろうか。近年でこそSNSの発達により、インターネットで知り合った人間と直接交流を持つことは珍しいことではなくなった感がある。けれども、インターネットが全ての家には引かれていなかった時代からインターネットに触れてきている僕たち世代(一伏はっかは満48億歳であるが)にとって、『ネットの人と会う』といったら一大事だ。少なくとも僕にとっては。
だから、いくら普段から配信内外を問わず一緒にゲームをしたり雑談をしたりTwitterで引用イジりをしたりする仲であるところのワイ氏から送られてきた「飲みに行きませんか?」だとはいえ、「いつ行く?」と返答するまでにはわずかに間があった。
しかし皆さまは気にならないだろうか。Vtuberとして普段インターネットの海に適当おしゃべりロボとして存在しているものが一体どのような人物であるのかが。正直なところ、現実のワイ氏がどのような人物であるかに、僕は非常に興味があった。
ワイ氏は僕の対面に腰かけながら、流れるように僕の飲んでいる酒と同じものを注文する。程なくして先端にライムのささったコロナ・ビールが運ばれてきて、僕たちは瓶を打ち合わせた。「お疲れさまです」と、初めましてもよろしくもない、もう10年来の知己のような態度でワイ氏はするりと話しはじめた。僕がシーシャのホースを渡すと、彼は慣れた様子で一服する。
僕は内心舌を巻いた。このロボ、人の懐に入るのが上手すぎる。割合、人との距離感は遠めだという自覚のある僕だが、ワイ氏の態度に不快なところはない。初対面とは思えない気安さで急接近した僕たち(あるいは僕)は、30分後にはワイ氏が予約していた居酒屋へと入店した。
細い路地に面した雑居ビルをエレベーターで昇る。一人では絶対に足を踏み入れないであろう猥雑な雰囲気のビルではあるが、『ちょうどいい店』というのは不思議とみんなこういう場所にあるんだ。知ってるぞ。
レジ横にダイレクトに吐き出されるタイプのエレベーターを降りると、予約なしに訪れたのだろう客がぎちぎちに詰まっていた。人ごみをかきわけてワイ氏が店員に予約客であることを告げると、席の用意ができるまでしばらく待てとのこと。レジ横のよくわからないスペースで雑談していると、すぐに声がかかった。
両腕を伸ばしきれないほど狭いレジ前を抜けると、そこには予想以上に広々とした客席スペースが広がっていた。通されたテーブルは、ちょっとしたファミレスの四人掛け席よりもゆったりとしている。うらぶれた雑居ビルの外観からは想像できない快適空間。よい意味で裏切られた。
席に着くと会員証を買わされる。1度買ってしまえばなんと全てのドリンクの大ジョッキが通常サイズの値段で飲めるようになるらしい。どういうこと? こういう街にときどき存在する、異常値付け居酒屋だ。2度目の来店があるかどうかはともかく、今日この場でお得に飲めるのであれば買わない手はない。
ワイ氏はメニューを差し出した。「どれでもいいですよ」僕はここへ来る前に絶対に頼もうと決めていたメニューがある。鶏肉の塩煮込みだ。食べログでひと目見た瞬間から、最初にこれを食べると決めていた。訪問客が適当に撮影したであろう写真からすら、絶対に美味しいオーラが出ていた。それに加えてなめろう、馬刺しユッケ、アンチョビポテト、唐揚げというスキのない布陣でフードの注文を終える。まあ十分足りるだろう。あとは酒だ。ワイ氏はウーロンハイ。僕は角ハイを頼む。程なくして運ばれてきた大ジョッキの威容に思わず息を呑んだ。
なんだろう、やけに大きく見える。ずっしりとした重みを感じながら、僕たちはジョッキを打ち合わせ乾杯した。酒に引き続いてフードが次々とやってくる。こんなに塩気が強いフードが机に並んだら、酒が進むに決まっている。本当によくできた居酒屋だ。客単価を上げることに余念がない。
それから僕たちは色んな話をした。お互いVtuberとして何が目標なんだかわからんねということ、やりたくもない仕事で今より収入が下がるならやる意味なくねということ、地方に暮らして東京の仕事ができるならそれが一番良いねということ、自動車の自動運転は一般の乗用車にはまず普及しないであろうということ、ライターがカスみたいな報酬で扱われているのは某クラウドソーシングプラットフォーム大手2社のせいであること……3時間ほどみっちり話しこみ(酒もしっかり飲み)、互いの終電が近づいてきたところで店をあとにする。
帰りの電車内でワイ氏にお礼のDiscordを飛ばしながら、僕は鶏肉の塩煮込みの味を思い返していた。また絶対飲みに行こう。ちなみに会計は2人で1万円しなかった。