稲川会本家vs住吉会共和連合1

今のヤクザ事情とちがって、この頃は、暴対法もなく、飲食店はヤクザにみかじめ料を払うのが日本全国で当たり前の時代でした。

ヤクザは金バッジを堂々と着け、特攻服や車には代紋と一家名、組名が堂々と書かれていました。
暴走族がするファッション、行為はすべてヤクザの真似です。オリジナルではありません。
山口組が初めに特攻服を作ったはずです。

大槻力は、当時スナック渓流を経営していました。
スナックを出したその店に、小柳会が来て払えと凄むのですが、それ以上に気性の激しい父親の男は、簡単に拒むのです。
「なんで貴様らに銭くれてやらにゃいけねえんだ、ああ?」
そう言い捨てた父親の男に、小柳会は牙を剥くのです。
大槻力は当時、27・8歳でした。


日曜日の昼間だったと思います。小柳会の組員が、長屋に押し掛けてきたのです。父親の男はとっさに玄関の鍵を掛けます。

「開けろコラー!!殺してやるぞ!貴様コラー!!!」

組員が怒鳴り散らし、玄関のドアを物凄い勢いで蹴るのです。

継母だった大槻かよ子に、「警察に電話しろ・・」と言い、部屋の中を殴る物を探し、それを掴むと玄関の鍵を開け放ち、組員に殴り掛かるのです。
父・力は背は低いのですが、腕力、瞬発力、反射神経が尋常ではありませんでした。喧嘩が強すぎるのです。

ゴツ、ゴツ、ゴツと何度か鈍い音がして、

「誰を殺すんだ・・・ああ?」と静かに、低く唸った声が聞こえるとすぐ、


「すみませんでした・・・すみませんでした・・・すみませんでした・・・。」と言い残し住吉会・小柳会の組員は走り去っていったのです。

今でもよく覚えています。はっきりと三回詫びていました。

玄関が開いた途端、避ける間もなく、いきなり鈍器で頭を殴打されるなど、思いもよらなっかたのでしょう。しかもフルスイングで。
父・力のあまりの気迫と強さ、あまりの痛みで意気消沈して逃げてしまったのです。


大人になった今、思い返すとなんとも情けないヤクザでした・・・。

サイレンを鳴らし、パトカーが三,四台到着すると、私と胤違いの兄・誠は外に出されるのです。


「どうしたの!?。何があったの!?。」
長屋の住人がヤジウマとなって、私達に質問を浴びせてくるのです。

何も言わず私は、足早にそこから逃げました。

・・・住吉会共和連合現役の組員を袋叩きにしたのです。 
ただで済む訳がありません。




    小柳会は、本気で父・力を殺しに来るのです。

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