intervew with 河原崎聡 #1
NG: 今日は浅草橋蔵前のバー「夜更けの人々」にジャズプレイヤーカワラサキサトシを招いてインタビューします。サトシさん、自己紹介してください。
聡: いつもお世話になっております。自己紹介か―。おれとNGは何歳違うんだっけ?
NG: サトシさんのほうが三歳上ですよね。確か。
聡: 34になります。付き合いとしては、五、六年になるか。そうね。最初どこで出会ったんだっけ?
NG: 確か、おれが新宿歌舞伎町で先輩のトランぺッターのバンドでギターを弾いていたときです。
聡: おれはその先輩のトランぺッターの悪友で。
元々トランぺッターとおれは音楽仲間だったんだけど、トランぺッターはヒッチハイクで日本全国を旅して、そのことを本にして出版したり、詩の朗読をしたり、フリーハイタッチ運動したりしてた。そのころNGがそいつのバンドにギターで入って,ライブを観に行って出会ったんだよな。
NG: あの頃のサトシさんは本当に「大先輩」という感じで。おれはまだ歌舞伎町っていう街自体にもあまり踏み入れたことが無かったからドキドキしていたし、サトシさんの仲間は、ゴールデン街のヤクザなバーテンだったり、旅人のトランぺッターがいたり。みんなめちゃくちゃな人たちの集まりでした。その中でもサトシさんは一番ちゃんと音楽をやっていましたよね。
聡: あの中で一番マトモだった?
NG: ミュージシャンっていうアイデンティティーでおかしな人たちと渡り合っててすげえな―と思ってました。当時は。
当時は、とか言って、失礼ですけれど。
聡: 歌舞伎町のライブの日に知り合って、その後にNGが自分のリーダーバンドやるっていう時に誘ってくれたんだよね。
NG: ちょうどその頃、ここ、夜更けの人々のバーテンダーOとも知り合って。
サトシさんと一緒に出演した日、Oが初めておれのライブ観に来てくれた。下北沢に。「下北沢なんか絶対行かねえ」みたいな奴なのに。その日の対バンは始めたばかりの頃の思い出野郎Aチームもいた。
ライブ終わったあと、サトシさんと、Oと、思い出野郎のリーダーのマコイチと下北沢レディ・ジェーンに行きましたね。
店の中でマイルス・デイビスかかってたのを覚えています。エレクトリック・マイルスのBitches Brewだった。
アコースティックじゃない、エレクトリックなんだよ!とか言って40年前みたいな会話してましたね。酔っぱらって。
みんなでウィスキー飲んで、くだ巻きまくってた。マコイチが店員に食ってかかったりして。
その後、朝方にサイゼリヤに行って赤ワインのマグナム何本か開けて。
聡: あの頃か―。
NG: あの頃からOが蔵前のバーに演奏で呼んでくれるようになって。バンド以外にもおれとサトシさんでデュオで演奏しましたね。横浜のホテルでライブしたり。
聡: ドサ回りしたね。
NG: ドサ回り始めたころですよね。
聡: 右も左もわからないながらも、ミュージシャン的な享受を受け始めたころだったと思う。ドサ回り始めたのはおれもNGもいっしょだったよ。
安定はしてないけれど、突発的にご馳走にありつける時もあるという。
NG: ギャラっていうか飯は食える。
聡: おれは漠然とこういう夜の世界で生きていくんだろうなーって思い始めたころ。周りの人たちは就職したりし始めて。おれは安定しないけど、なんか充実している。苦い現実はあるけれど、そういう運命なんだろうなって思ってた。
振り返ると、どれもこれも世間狭かったなって思うけどね。
NG: その日ギャラもらって、その日に使い切るみたいな。
聡: 今でもミュージシャンの先輩の中にはそういう人はいるよ。
NG: 一緒にドサ回っていたのが五年前くらい。そこからサトシさんはどんな活動をされていましたか?
聡: 相変わらず、ご想像の通りだよ。ジャズクラブでライブやって。突発的に奢ってもらったりだとか。
NG: ジャズミュージシャンてどんな活動なんですか?おれは活動場所としてはロックバンドや弾き語りの人が活動しているライブハウスが多くて。プラスアルファでバーやカフェでも演奏しています。
サトシさんはジャズクラブが主戦場で、料金体系なんかも違うんじゃないかなと思うんです。
どんな環境で、どんな風にライズアップしようとしてるのか聞きたくて。
聡: ライザップ。
(#2に続きます。)