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読書会より―人間が持ち得る残酷さに目を向けるルポ 森村誠一『新版 悪魔の飽食』―

読書会で紹介された本を、たまには各参加者が紹介した本を1冊ずつ読んでみよう、ということで、電子書籍で買って読み進めている。
1冊目は森村誠一著『新版 悪魔の飽食』である。この本は偶然にも電子書籍の本棚にすでに入っていたのだ。読書会後に外出した際、早速電車の車中で読み始めた。
(後に引用するが、Kindleだと本によってはページ数が表記される。他のアプリも同じような仕組みでページ数を表記できないのだろうか)

読み始めて早々に思った。「これは中学生の時に手を取るには重すぎる…」と。そして、電車内で読む本ではない、本来は。ただ、どのみち周囲の人たちもスマホを見ている。なので、ゾッとする文章ではあるが、そのまま読み進めた。

読書会で紹介されたときの様子からしても、内容が非常に深刻なものであることは覚悟していた。とはいえ、本文に出てくる言葉は目を背けたくなるものばかり、というよりも、まだ文章だから読めなくはない(脳内で映像化しないように心掛ければよい)、という代物であった。

1つ例を挙げよう。人はどういう時に凍傷になるのだろう?漠然とした条件はおおよそ理解できる。とりあえず、ヒマラヤ山脈の頂上付近やシベリア、真冬の北海道等、極寒の地で皮膚に水滴(これが凍り付くことになる)がついた状態を放置していると凍傷になる。そして、ひどくなれば凍傷を起こした箇所が壊死し、切断が必要になる。そういう危険なものである。ただ、凍傷を起こす条件について、具体的に数値を挙げて説明せよと言われても、私は全く説明できない。そんな知識は持ち合わせていない。

であれば、実験してみよう!と言いたいところではあるが、そんなことも当然できない。…ハズなのだ。だが、そういう実験をしたのがこの本に登場する満州七三一部隊である。

これ以上内容を書こうとすると、それだけでR18認定(残酷すぎる、という意味で)されそうな代物であるし、そもそも、各気にもなれない。よって、気になる場合はご自身の判断でググるか、資料を当たるかしてみていただきたい。

この本を出版した前後、作者には右翼団体による妨害行為をはじめ、様々な圧力がかけられたようであるし、今でも「デマ」と断言するサイトが容易に引っかかる。拡大解釈にあたる部分がないとは言い切れないであろう。

確かに、森村が直接見たわけではない。また、証言を得るまでに30年以上要している。石井中将が米軍に提供されたとされる資料も、当時見られる状態ではなかった。

とはいえ、少なくとも731部隊の活動がまっさらな「ウソ」と言い切れる根拠はどこにもない。記録を抹消し、検証できないことを根拠に「ウソ」と言い切り、その歴史がなかったことになるならば、それこそ『一九八四年』の世界そのものだ。

また、当時生物兵器・化学兵器の研究は、主要国であればどの国も多かれ少なかれ行われていたであろう。その「実験」も当然行われていたであろう。その実験体がどういう人から選ばれるかは、想像するまでもない。

そして何より、史実かどうかを問題にしたら、著者の意図・願いは永遠に解決しない。

『悪魔の飽食』を執筆した真の意図は、侵略軍のもつ残酷性の剔出やその罪業の告発自体にはなく、戦争を知らざる世代にその実相を伝え日本人が同じ轍を踏むのを防ぐことにある。それは戦争体験者の義務であると信じている。

森村誠一『新版 悪魔の飽食』P.9

『悪魔の飽食』には、戦争による夥しい犠牲者の無料の恨みと、あの悲劇を二度と繰り返すまじとする悲願が込められている。

森村誠一『新版 悪魔の飽食』P.11

この本に限らず、これまでの歴史で人々が行ってきた残虐さは枚挙に暇がない。その歴史の上に現代がある。それを繰り返すのか、それとも繰り返さない道を選ぶのか。「その歴史は正しいかどうか」よりも、そこに記された現象を直視し、より良い在り方を模索するために歴史というものがあるのだろう。そう思わせてくれるルポであった。

と、締めたいところだが、最後に少々余談を。

森村はこの惨劇を繰り返さないようにとの願いを込めて以下のメッセージをしたためている。

 民主主義というものは、本質的に脆い。それは民主主義に反する主義思想をも体内に包含する。自分を破壊し、覆そうとする敵対思想をも認めなければ民主主義は存在し得ないところに、この体制の脆さと宿命があるのだ。
 民主主義の敵を認めて、ひとたび敵(ファシズム=独裁主義)の天下になれば、ふたたび民主主義を取り戻すために多量の血が流されなければならないことは、歴史の証明するところである。民主主義はその敵に対する絶えざる疑惑と警戒の上に辛うじて維持される。
 われわれが「悪魔の飽食」を二度と繰り返さないためにも、民主主義を脅かす恐れのあるものは、どんなささやかな気配といえども見逃してはならない。われわれは民主主義の敵に対して警戒しすぎるということはないのである。そのことをこの実録によって再確認できれば筆者の幸せこれにまさるものはない。

森村誠一『新版 悪魔の飽食』P.312

まさにそういうことだ、と断言したいところなのだが、これは二重思考に近い発想に感じる。民主主義そのものを維持するためには、「自由」という考えは不可欠だ。とはいえ、そこにあるのは、民主主義にとって都合の良い考えはそのまま受け入れつつも、民主主義に都合の悪い考えを持つ自由はない、という図式である。少なくとも、あまり悪い方向には進まなそうに思えるから、これはこれで良いとすべきなのだろうか。それとも、それこそが現状よりもより良い仕組みがあることの証と捉えるべきなのか(といっても、思い浮かぶものはないが)。二重思考…なんと厄介な代物よ。

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