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北の大地を巡る列車、そしてその風景(4)留萌本線と留萌の町

北海道へ行った時の印象をまとめ始めて7回。さらに本の紹介で2回。それですら、色々と端折っている。百聞は一見に如かずとは言うものの、文字通りであった。地図や本、友人らの話から情報は得ていても、実際に行ってみると、新たな発見の連続であった。今回は「留萌」に行った時のことをまとめよう。

①もうすぐ見られなくなる車窓―留萌本線―

北海道旅の目的の1つが留萌へ行くことであった。かつて増毛まで走っていた留萌本線、それが数年前に留萌―増毛間が廃止になり、来年には石狩沼田―留萌間、そして数年後には残りの全線が廃止になるという。まさに「過疎」を象徴する場所である。札幌の繁華街を楽しむのもいいが、旅は楽しみつつも、その土地の現実を見に行くもの。札幌では北海道の実態は見えない。その実態を見に行こうとすると、留萌や稚内といった終端部へ行く方が良い。もっとも、それら地域はまだ「マシ」なエリアなのだけども。

旭川を7時18分に出るカムイ8号に乗って深川へ向かう。この特急は札幌への通勤を考慮しているのだろうか?自由席が多い。留萌本線への乗換駅深川には7時36分に着く。ホームに降り立つと、かなり多くの人がいた。しかも高校生が多い。「本当にこの路線廃止なの?」と思いつつ列車を待っていると、構内放送が入った。函館本線(旭川方面行)で遅延が生じており、留萌本線の発着番線が当日に限り替わるという。

跨線橋を渡り、列車を待っていると、続々と人々がやってきた。先のホームにいた高校生は誰も来なかった。彼らは函館本線の旭川行き電車待ちであり、留萌本線への乗客ではなかったのだ。むしろ、観光客風な人たちばかりが跨線橋を渡ってくる。「ローカル線」は地元の人の利用がないからローカルになるのだろうと、改めて実感させられる。

留萌方面からの列車が到着すると、高校生が多く乗っていた。折り返し列車は観光客風な人たちばかり。それでも、1両編成の列車に対し、乗車率は50%未満。利用客はやはり少ない。

留萌行き列車は函館本線の遅延の影響を受けることなく定刻に発車した。函館本線の線路とあっさり別れると、あっという間に田園風景のど真ん中に放り込まれる。函館本線から見える空知の風景よりもより雄大な感じがする。ただ、それは同時に農地以外のものがほとんどないことの裏返しでもある。そう思うと、雄大さの中にも、寂しさが混じる。

しばらく同じような田園風景を眺めていると、恵比島駅に到着した。ここの駅舎は非常に年季が入っている木造駅舎であった。列車が動き始めると、改札口の上に「明日萌駅」の看板が見えた。駅名標にはきちんと「恵比島」とあった。頭の中が「?」でいっぱいなので、調べてみると、ひと昔前にドラマで駅舎が使われ、その時の看板を残したそうだ。もっとも、駅以外に観光で訪れるような場所がない上に、列車は1日7本しか止まらないので、降りるに降りられないのが、正直なところなのだけれども…

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恵比島から先はかなり山がちになる。次の駅は「峠下」。山間地を走っている証とも言うべき駅名だ。到着しても誰も降りない。そして、さも当然であるかのように留萌まで誰も降りなかった。運転手すら「もちろん降りる人はいないよね?」と言わんばかりに車内は一瞥するだけ。日常利用での留萌本線の需要はあまりにも少ないことを実感させられる光景であった。

最後の停車駅大和田を出ると、進行方向左側の山は段々と奥へ離れていく。留萌の市街地が近い証だ。次に北海道を訪れることがあったとしても、この車窓からの風景を見ることはできないだろう。文字通り一期一会の光景なのだ。

8時55分。定刻通りに留萌駅に到着した。利用客の人数には不釣り合いなほど広いホームに降り立つと、多くの人が駅名標などを写真に収めていた。無くなることが確定しているのだ。そういう気持ちになるのもよくわかる。私も記念にパシャリ。ふさがれた跨線橋がかつての栄華と、現在とのギャップを物語る。

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構内放送では折り返しの列車に乗る人も一度改札口を出るようアナウンスしている。私からすれば「もう折り返す人がいるの?」と言いたくなるが、乗り鉄の人の中には、留萌の町に寄る理由がない人もいるのだろう。とはいえ、「せっかく来たのだから町を見て回ろうよ」、なんて言いたくもなる。

改札を出たところ、すでに窓口には行列。「北の大地の入場券」目当ての人たちだろう。留萌へ行った記念に私も買いたいが、行列はキライだ。別の所を優先しよう。

窓口の反対側にはそば屋があった。朝ごはんを軽く済ませてきただけであったので、人生初の駅そばをいただいた。注文してすぐに食べられる「和のファストフード」。列車から降りてきた人たちだけでなく、地元の人も食べにくるようで、当日は地元トークに花が咲いていた。廃線後はこの場所もなくなるのだろうか?地元の人たちの交流拠点になっているのだから、経営上の問題がなければ、残してほしいようにも思える、そんな場所であった。

そばを食べ、折り返し列車が出発すると、駅は日常の静けさを取り戻したようであった。北の大地の入場券を手に入れた後、留萌の町を散策しに向かった。

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②ニシンの町留萌を巡る

かつてニシン漁で栄えた留萌も、今や過疎地域。数の子の生産量は今でも日本一というが、ニシンの漁獲量は最盛期と比べると、見る影もない。

最盛期にはニシン漁で御殿が建つ時代があったというのだから、当時は相当の活気があったのだろう。ゴールドラッシュならぬニシンラッシュと言わんばかりに。乱獲によるものなのか、生息環境の変化なのかはわかっていないそうだが、今では御殿が建つことはない。

かつての栄華の名残を遺した町を抜けた先に黄金岬がある。ここからは日本海を一望できる。留萌を代表する観光スポットの1つと言ってもいいだろう。岬の先端から海を眺めると、文字通り青一色。空と海の青、そして、雲と波しぶきの白。それらの濃淡で風景が描かれる。じっくりと眺めていられる光景、圧巻の一言であった。また、岬をつくり出した柱状節理とのコントラストもいい。

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この岬は昼もいいが、夕暮れ時の光景はさらに美しいという。なので、日中に、レンタサイクルで町中を観光した後、夕暮れ時に改めて訪れることにした。日没に間に合うように岬へ向かうと、すでに数人が夕暮れ時を待っていた。しかし、この日は残念ながら、西に雲が広がり、海に沈む夕日を眺めることはできなかった。それでも、青から黒に変わりゆく海の色、西の空から放射状に広がる雲を照らす夕陽のコントラストは、素晴らしい光景であった。

鉄道の廃線、過疎等、多くの厳しさを抱えた留萌の町。だが、黄金岬に沈む夕日はまだ留萌の町も捨てたものではない。黄金岬からの夕日は、そんな希望を抱かせる光景にも見えた(雲のない日の夕暮れは、留萌観光協会HPのリンクを貼るので、そちらをご覧いただきたい)。

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あまりにも長くなった(これでも当時まとめた文章を大分端折っている)ので、4回(稚内での出来事を含めると8回)に分けて北海道旅を振り返った。実際には旭川や苫小牧、函館も巡っているが、小樽・留萌・稚内に比べると、どうしても印象が薄い。これらの町が私に見せてくれた光景は忘れられない。

実際、観光地以外はあまり明るい話題を見つけられなかった。下の写真の鉄橋も留萌―礼受間、すでに廃止された後であり、もうここを鉄道が走ることはない。小樽や稚内と異なり、留萌―礼受間は割と廃線跡がはっきりと残っていた。それが侘しさを強調しているかのようでもあった。観光地の明るさや賑やかさとは裏腹な光景の方がむしろ多い印象だ。

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それでも、あの光景は日本の縮図でもある。都市に住んでいると忘れてしまいそうだが、一部地域を除いて「過疎」が進んでいるし、今後さらに加速するだろう。その町の文化をどう残していくか、活気を取り戻す手段はないのか、過疎の問題に対して見て見ぬふりはもうできないことを、改めて実感させられる旅であった。


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